責任を負う
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 【明慧日本2023年7月3日】24年前の7月から、古い学習者は皆、法を正す修煉の時期に入りました。反迫害と真相説明の過程で、海外の修煉環境も大きな影響を受けました。例えば、それまで法の集団学法に参加したとき、ほとんどの学習者は法を学び法を得て、心性を高めるという気持ちで臨んでいました。普段の暮らしの中でまたは職場でトラブルに遭ったとき、皆心性から原因を探し、法に基づいて求め、内を修めて外を安定させるようにしていました。しかし、法を正す修煉に入ってから、多くの地区ではトラブルと魔難が現れたとき、各種の人心、自我、場合によってもっと非常に良くない観念や言動が徐々に受け入れられるようになり、トラブルに遭ったとき、外に責任を押し付け、外に向けて求めており、修煉の観点から問題を考えていません。その結果、2000年以降に法を得た多くの新しい学習者は集団学法と煉功点としてあるべき雰囲気と純粋さを知ることができなくなりました。

 師父は説法でたびたび、海外の佛学会の責任者の責任について触れました。例えば、『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』で、「師父はたくさんの大法弟子をあなたに任せ、しっかり導いてほしいと思っています。あなたはこれを必ずやり遂げなければなりません。これは責任です。しっかり行わなければ、自身の修煉と直接関係があります」と説かれました。しかし、実際、多くの責任者(および学習者個人)はやはり時々、トラブルと責務を師父に押し付けていて、または他の常人的なやり方で避けようとしており、本当に「師父に対して責任を負って」いるわけではありません。(『更なる精進を』)

 佛学会の責任者がプロジェクトの責任者になったため、佛学会の責任者としての職責をないがしろにしてしまったこともよく見受けられます。師父は『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』で、「師父の代わりに彼らをまとめ、彼らが修煉において向上できるようにし、師父の代わりに彼らをしっかり導かなければなりません。これはすなわち、現地の責任者の責任です」とおっしゃいました。佛学会の責任者はまず佛学会の責任者の職責に対して責任を負ってはじめて、各地の修煉環境を取り戻すことができ、学習者は今まで以上に心を修め、心性を高めることができ、人を救うことを行うときにより良い効果を得ることができるのです。

 様々な困難、多くの複雑な人と出来事がありますが、各地の佛学会の責任者は法をしっかり勉強し、果敢に職責を引き受け、確実に佛学会として果たすべき責任を果たしてからはじめて、自らの使命に背かないようにすることができるのです。

 

明慧編集部
二〇二三年七月一日

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/7/2/462578.html)
 
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