【神伝文化】古人の婚姻観
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 【明慧日本2023年7月4日】北宋期の斉州(今の山東省一帯)に、名は劉庭式、字(あざな)は徳之という読書家がいました。彼は科挙に合格した後、密州の総判事を務めるようになりました。当時、密州の長官であった蘇東坡は彼を大いに賞賛し、その人格を敬い重んじていました。

 科挙の試験に合格する前に、劉庭式は郷里の民家の女性と知り合い、婚姻の約束を交わしましたが、結納金はまだ納めていなかったので、婚約は正式なものではありませんでした。

 その後、科挙に合格した劉庭式は晴れて官僚となり、名士からも認められ、前途は洋々たるものとなりました。ところが例の女性は大病を患い、両目とも失明してしまいました。女性の家庭は田畑を耕す百姓の身分で家も貧しいため、劉家に縁談のことを持ち出すことができませんでした。

 劉庭式にこう勧める友人もいました。「あの女性はすでに両目を失明してしまいました。君は自身の前途と将来の家庭のためにも、別の人を娶った方がいいでしょう。どうしてもあの家と婚姻関係を結びたいなら、彼女の妹を娶ればいいでしょう」

 劉庭式はこう答えました。「彼女と婚姻の約束を交わしたとき、私はすでに彼女に心を許しました。彼女は今失明してしまいましたが、心は変わらずきれいです。私が当初の約束に背いたら、私の心が悪くなったということになるでしょう。それに、誰もが老いてゆくもので、妻が年を取り容色が衰えたからといって、若くて美しい女性に取り替えたりはしないでしょう? 人は誠信を守らなければならず、心変わりがあってはなりません」

 こうして、2人は結婚しました。結婚後、劉庭式は失明した妻をできる限りよく世話をし、夫婦仲むつまじく暮らし、数人の子供を儲けました。

 この事情を知った蘇東坡は劉庭式の行為に深く心を打たれて感動し、「劉庭式はまことに高尚な情操の持ち主です!」と話しました。

 家庭は国家と社会の礎石です。この礎石が正しく据えられていれば、国と社会は安定し、強くなり、繁栄します。結婚は家庭の礎石です。この礎石が正しく据えられれば家庭は仲むつまじく、調和し、活気に満ち溢れます。そして、人の情操と品性もまた、夫婦関係の礎石です。夫も妻も誠実さ、優しさ、互いへの尊敬と愛情を持って、はじめて幸せで円満な結婚生活を送ることができます。人は心性が高まれば、自ずと善良で誠意があり、正直で寛容になるのです。それこそがもっとも大切なのです。

 筆者の言葉は浅薄で、古人の箴言をいくつか引用して、その意味の追加説明をしたいと思います。

 「賎貧の交わりを忘れるべからず、糟糠の妻は見捨てるべからず」(『後漢書』)

 「愛するものは愛される、与えるものは与えられる」(唐代の賢明な宰相・魏征)

 「所謂卑しいものといえば……凡俗の情人であり、心よりも肉体を愛する人だ。彼の愛するものは不変ではない。従って、彼の愛情もまた永遠に不変というわけにはいかない。一旦肉体の容色が衰えると、彼は以前からの信義と誓いを捨ててどこかへ行ってしまう。しかし、優美な心を愛する人は違う。彼の愛情は始終変わらず、そのため彼の愛する対象もまた変わることがない」(古代ギリシャ・プラトン)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2007/6/21/157211.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/7/17/87772.html)
 
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