役人はよく修行できる
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 【明慧日本2023年7月16日】昔から「役人はよく修行できる」と言われるように、政府機関に勤める者は、善意を持ち、社会のため、国民の利益のために権力を適切に行使すれば、他の職業に就く者よりも善行を積む可能性が高いということです。 同時に、権力を握る者は様々な困難や誘惑に直面することを余儀なくされますが、道徳心を研ぎ澄まし、善良な考えを持ち続けることができれば、身をもって教えていくことによって、社会全体の善行の模範にもなるでしょう。

 政府機関のさまざまな地位の中で、法執行官は善行を積み重ねる最大の機会があります。『袁氏世範』には、「古来、法を執行する役人は人知れず善良な民の権益を守り、他人を利する機会が多いため、徳を積んで子孫を繁栄させることができる」という言い伝えがあります。東漢の郭躬(かく きゅう、生年不詳 - 94年)は、その典型的な例です。

 ※『袁氏世範』は南宋家訓的性質の著作で、宋代の家庭倫理や社会強化の思想を豊富に反映している。

 法を理解し法を論じる  権威をもって法を代替しない

 『後漢書』には、父の跡を継いだ郭躬が法律を学んで教え、後に官職に就いたことが記されています。明の永平(えいへい)の時代、奉車都尉(ほしゃとい)であった竇固(とうこ)は匈奴を征服し、騎都尉(きとい)の秦彭を副官と定めました。秦彭が自分の駐屯地で罪人を軍法で処刑すると、竇固は秦彭の独断専行を処罰し、朝廷に死刑を求めました。明帝(めいてい)は官僚たちにこの問題を議論するよう求めました。議論に参加した者たちは、全員一致で竇固の要求に同意しました。郭躬だけは「法律上、秦彭に処刑を執行する権限があります」と反対しました。明帝は「軍隊が将軍の指揮下で統一されているのに、処刑権のない秦彭がどうして任意に人を殺すことができるのか」と尋ねました。郭躬は答えました。「軍事的に統帥が統一に指揮しますが、秦彭は統帥と同じ場所に常駐しているわけではないので、軍隊の法律では、実情に応じて、副将は臨機応変に対応することができ、すべての問題について最高指揮官に相談する必要はないと規定されています。ゆえに秦彭の罪を治めるべきではありません」結局、明帝は彼の意見を採用しました。法律に対する郭躬の明確な理解は、権力者が権力を法に代えることを防ぎ、秦彭の命を救いました。

 天の道は正直、疑うことで断罪しない

 『後漢書』にはもうひとつ、郭躬が法に従って人を救った話が記されています。 二人の兄弟による共同殺人事件がありましたが、しばらくはどちらが主犯か判断がつきませんでした。明帝は、弟をよく教えられなかった兄に主な責任があると考え、兄の厳罰を認め、弟の死刑を免除しました。その後、中常侍(ちゅうじょうじ:皇帝の身の回りの事を司る侍中府の中の一役職)の孫章が詔書を読み上げる時、二人とも死刑に処すると言いました。これを知った大臣は「詔命(しょうめい)を偽った」として孫章を弾劾し、処刑を要求しました。孫章は、自分は間違いを犯したのであり、そんなつもりはなかったと主張しました。明帝は郭躬を呼んで意見を求めました。郭躬は「孫章は罰金刑に処すべきだ」と言いました。明帝は「なぜ孫章は詔命を偽ったのに罰金だけを科せられるのか?」と尋ねました。郭躬は、「故意と過失は違い、孫章はただ伝達のミスを犯したので、過失の罪になります。過失の罪が軽いです」。明帝は、「孫章は犯人と同じ県の出身である。私は、孫章が故意にこのようなことをしたのではないかと疑っている」と言いました。郭躬は、「天の道は正直であり、君主は証拠もなく他人の欺瞞を疑うべきではない。君主は天の道に従うべきであり、疑って有罪にするべきではない」と答えました。明帝は彼の考えに同意しました。 郭躬は「疑わしきは無罪」という法の原則を守り、孫章の命を救い出しました。

 寛大で公正である刑務所の管理で子孫に恩恵をもたらす

 章和元年、章帝(しょうてい)は4月丙子(ひのえね)の日以前に投獄されたすべての囚人に恩赦を与え、死刑をせず、鞭刑も加えなく金城の辺境の守衛につかせると命じましたが、逃亡中の囚人には適用されませんでした。郭躬は皇帝に、「皇帝が慈悲を与えて死刑を減刑し、彼らを辺境の守衛につかせたのは、人命を重んじたからです。いま死罪を犯した逃亡犯の総数は万人を上り、恩赦が与えられて以来、多くの犯人が逮捕されましたが、恩赦はこれらの人々を対象としておらず、彼らはみな重刑に処せられました。今、死刑を宣告された者は新たな命を与えられましたが、後に逮捕された犯人だけが皇帝の恩恵を受けることができていません。私は、恩赦の前に死刑を犯し、恩赦の後に逮捕され者が同じように鞭刑を加えず、すべて金城に送って辺境を守るべきであり、人命を守り、同時に辺境防衛のためになると思います」章帝(しょうてい)は彼の意見に同意し、多くの人の命が救われました。

 郭躬は、裁判、刑罰などの官を司っている間に寛容と公平を重んじ、思いやりと許しを原則としました。彼はかつて、41種の重刑を軽刑に変更するように皇帝に提案しました。皇帝に承認されました。『為政(いせい)善報事類』の記載によると、郭躬の官職は廷尉(ていい)正であり、その子孫は公卿(くぎょう)一人、廷尉七人、諸侯(しょこう)三人、刺史(しし)や侍中(じちゅう)十数人、正侍御史(じぎょし)に至った人がたくさんいたといいます。

 ※公卿は国政を担う最高の職位をさす

 ※刺史は州の監察官や行政長官を意味します。

 ※侍中は、皇帝の側近で皇帝の質問に備え、身辺に侍する役職である

 ※侍御史(じぎょし)は、主に監察・弾劾の官である。

 結び

 「役人はよく修行できる」、特に検察官や法執行官の場合はそうです。例えば、中国共産党が数百万人の法輪功学習者を迫害して以来、ますます多くの良心と善意を持つ公務員が真相を理解し、無実の法輪功学習者が犠牲者にならないように正義を尽くしています。陰で徳行をおこなう者は、必ずよい報いがあらわれます。

 逆に、悪意があり、私利私欲のために権力を乱用する役人らは、他の職業の人よりも悪業を蓄積する可能性が高いのです。

 検察官や法官の中には、法律を理解していなかったり、良心の呵責なく悪いことをしたりするため、権力者に従って法律を踏みにじり、不当な冤罪事件を作り出し、善良な法輪功学習者を迫害する人がまだいます。

 天の道において、歴史は常に何度も繰り返されます。政府機関に勤める人々、特に法執行官は、自分自身の考えと心に注意する必要があり、善良な考えを持てば、福は必ず従います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/6/6/461659.html)