湖南省の劉継順さん 長期にわたって迫害され死亡
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 【明慧日本2023年8月18日】湖南省祁東県洪橋鎮の法輪功学習者・劉継順さん(男性)は、中国共産党(中共)当局から長期にわたり迫害を受け、今年7月27日に他界した。享年77歳。

 劉さんは生前、労働教養処分、実刑判決を受け、計7年6カ月間拘禁されていた。そのうえ、繰り返し嫌がらせや、生活を維持するための収入源まで絶たれてしまった。

 劉さんは祁東県糧食局の書記だった。田舎の貧しい家庭に生まれたが、勉学に励み、優秀な成績で省の進学校に入学し、優秀な成績で卒業した。その後、入隊した劉さんは、数年後に将校に昇進した。十数年後、妻の体調不良のため、故郷に戻り、地元の規律検査委員会、県委員会を経て、県糧食局に書記として赴任した。

 1997年、劉さんの妻は、さまざまな病気に苦しみ、治療を受けても効果がなかった。その後、病気治療のため、妻は法輪功を学び始めた。心身ともに健康を取り戻した妻の姿を目の当たりにした劉さんは、法輪功は普通の功法ではないと確信し、迷わず法輪功を学んだ。劉さんは、「真・善・忍」の基準に従って自分を厳しく要求し、清廉潔白で、仕事を真面目にやり遂げ、全てにおいて自分より他人を優先し、地元では「良い人だ」と知られていた。

 しかし、1999年7.20、中共は法輪功への弾圧を開始した。劉さんは法輪功を学び続けていたため、残酷な迫害を受けた。劉さんは公職を解雇され、給料を止められ、退職後の年金も受け取っていない。その額は100万元以上に達した。

 労働教養処分と2度にわたる計6年半の判決を言い渡された劉さんは、拘禁されている間、殴る蹴るの暴行を受け、壁に向かって長時間に立たされ、犬や豚の餌を食べさせられるなどの拷問を受けた。拘禁期間を終えて解放され、帰宅した劉さんは全身が腫れ上がり、フラフラで立てなかった。血圧が240㎜Hまで上がったことがあり、生命の危険にさらされた。

 以下、劉さんが受けた迫害事実の一部である。

 2001年、劉さんは法輪功の実態が書かれた資料を配布したため、懲役3年の判決を受けた。その後、公職を解雇され、収入源を失った。

 2006年7月5日夜7時、劉さんは610弁公室の警官7、8人によって自宅から連行され、短パン一枚と裸足のままパトカーに押し込まれた。危篤状態になっていたある法輪功学習者を訪ねたという理由だった。劉さんは15日間拘留された。その後、労働教養処分1年を科され、新開舗労働教養所に入れられた。教養所で劉さんは壁に向かって立たされ、強制的に「転向」が行われた。元々丈夫だった体が数カ月間拷問を受けた末、劉さんは深刻な心臓病と高血圧症を発症した。そのため、労働教養所側が劉さんを早期に釈放せざるを得なかった。 

 2014年10月16日、劉さんは県の郵便局で法輪功の実態が書かれた手紙を郵送していたところ、県の郵便局の職員に通報され、県の「610弁公室」と国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官に連行された。警官は劉さんから家の鍵を奪った後、劉さんの家に押し入り、家宅捜索し、MP3、すべての法輪功関連書籍、『明慧週刊』、法輪功の実態について書いた手紙などの私物を押収し、劉さんを県公安局に連行した。劉さんが県の留置場に送られた時、血圧が200㎜Hg以上であったため、劉さんは入所しなかったが、護送の警官は県公安局に戻り、上司に書類のサインをしてもらい、無理やり劉さんを留置場に押し込んだ。劉さんは留置場の警官から頻繁に取り調べをされながら、「10年以上の刑を言い渡してやる」と脅された。プレッシャーで劉さんは倒れてしまった。家族が「保釈」の手続きをして、帰宅できた。 

 しかし、帰宅しても、劉さんは派出所、司法所の警官、コミュニティの職員からの嫌がらせが絶えず、健康状態が悪化した。2021年3月、劉さんは病院に搬送され、救急手当を受けた。退院して間もなく、城東派出所の警官は2回、劉さんの家に行き、尋問や写真を撮るなどの嫌がらせをした。続いて、居民委員会の人員も劉さんの家に行き、劉さんに「転向書」を書くように強要した。同年10月22日、県、市から来た人員は劉さんを呼び出し、「まだ法輪功を学んでいるのか」と聞いたので、劉さんは、「私は死ぬほど迫害され、体が不自由になり、10年前に公職を解雇され、収入源もありません。それでも、法輪功を学んでいるかどうかだけを聞くのですか! 私の健康問題と生活の問題を解決してくれますか?」と話した。彼らは言葉を失った。

 2014年11月末、祁東県の国保は劉さんの案件を検察庁に送った。2015年1月19日、劉さんは祁東県裁判所に裁判をかけられた後、3年の実刑判決を言い渡された。

 劉さんは、拘禁期間を終え、帰宅した後も、当局から様々な嫌がらせが続けられた。尾行、住居監視、行動の制限され、ほかの学習者と接触することを制限され、又県外へ出ることを制限されて、毎日司法局に顔出すことを要求され、尋問、家宅捜索、「転向」のサインなどだった。 

 劉さんは、長年、穏やかに過ごすことはなかった。劉さんは県政府、県食糧局、県社会保障局に足を運び、何度も法輪功迫害の実態を話し、給料と年金の払い戻しを要求したが、無駄だった。収入がないため、劉さんは生活が苦しいうえ、健康問題、昼夜を問わない監視、嫌がらせなど、非常に苦痛の日々を送っていた。長期的な迫害を受けた結果、7月27日に劉さんはこの世を去ったという。 

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/8/6/463862.html)
 
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