文/雲南省の大法弟子
【明慧日本2023年8月24日】(前文に続く)
4、忍耐してこそ慈悲心が生じる
毎時間の発正念のとき、母は頻繁に手が倒れたりして、注意しても5秒も経たないうちにまた倒れる時もあります。その時、私の我慢強さが試される他、難関を乗り越えられるかどうかという母への信頼も試されています。居眠りして意識がもうろうとなると、どんなに発正念しても、どんなに座禅しても意味がないと思いました。一方、表面の虚像に振り回されないで、母の精進の信念を信じようとも思ったりします。そのように私の心は繰り返しとても錬磨されました。
だんだんと、すぐに成果を出したい心を放下することができ、マイナス思考を抑えることもできました。母を注意する時、たとえ5秒前に同じことを注意したばかりだったとしても、できるだけ冷静になり、怒ったり責めたりしないようにすることができました。
ある日の夜、この時間に先に静功を済ませれば、翌朝の第五式のとき、母の隣に座って座禅を見守り、母が眠るとすぐ注意することができ、母もまるごと1時間の座禅ができるようになるではないか、と思い付きました。それで、私は静功をやり、翌朝の第五式は母の隣に座り、「昨晩、静功をやったので、今からお母さんの煉功を見守るから」と伝えました。
奇跡的に母は、その日の静功でほとんど眠ることなく、また固定していたベルトを捨てて40分以上両足を組むことができました。煉功の後、母はとても感動したと言い、煉功中に頭がすっきりして、眠気がまったくしなかったと言いました。私はというと、母の隣に座り、静功の音楽が流れた瞬間から、今まで感じたことのない慈悲と殊勝な感情が心に湧き上がり、一人で座禅するよりも幸せな気分になりました。人生の本当の幸せとは、どれだけ得たかや、どれだけ失ったかではなく、どれだけ放下して、どれだけ他人のために犠牲になったかにあると分かりました。
5、人を助ける過程は、自分自身を成就させる過程でもある
明慧ネットのある交流文章を読んでとても感動しました。文章の内容は、数人の大法弟子がある病業に遭った修煉者Bさんを助けて一緒に煉功します。Bさんの片方の腕が上がらないので、第二功法を行うとき、同修たちは交代でBさんの腕を上げるのを手伝いました。天目が開いた弟子は、腕を上げるのを手伝った同修たちがBさんを支えて一緒に天上に飛んでいく場面が見えました。その光景は壮観で感動的でした。その文章を読んで涙が出ました。文章に書かれた同修たちに比べると、私の心性はまだ程遠いのです。
それから第二功法をする時、私も時々母の腕を持ち上げて、ほかの功法をする時も母の腰や背中を支えて、体をまっすぐにして煉功できるように助けました。静功をやる時、母の足が滑り落ちたら、私は足を上げるのを手伝ったり、発正念の時、母の手が倒れると私はその手を持ち上げたりします。本当はそのようにした回数はとても少なかったのですが、こうするたびに母の状態は良くなり、明らかな進歩が見えました。
その間の自分の煉功と発正念は、母のせいで邪魔されたことはなく、かえって功が速いスピードで伸び、正念も強くなったと感じました。自分の修煉に最も欠けていたのは、自我を放下し相手を助けることだと、今回の母の病業を通じて思い知らされました。そして、人を助ける過程は自分自身を成就させる過程でもある、と悟りました。
6、今の一瞬一瞬を大切に
病業に苦しんでいる人は、病業によってもたらされる肉体的、精神的、その他のあらゆる苦痛に常に直面しなければならず、母も例外ではありません。幸いなことに、私たちには全能の師父と大法があり、真に人生を変えることができるのは大法しかありません。大法が人生を変えるプロセスは、ちょうど木の年輪が出来上がるプロセスのように最も中心部から始まり、一層一層外へと押し出し、最後には表面に到達します。
そのため、師父と大法にすべてを任せて、母が表した健康状態が良いかどうかと執着せず、余計なことを何も考えず、病業のことを忘れて、病業の関を乗り越えている真っ只中にあることさえ忘れて、ただ修煉に専念し大法に溶け込んで、毎日毎日を大切に過ごし、昨日のことや明日のことを考えず、ただ今日、ただ今の1分1秒を大切にしようと、私と母は決めました。だんだん、母に毎日、「排便はしたか、お腹はまだ痛いか」と聞くことを止め、母の体調も日に日に良くなっていきました。
7、「功は師にあり」ということを忘れずに
母の体調が徐々に回復してくると、私に歓喜心、顕示心が生じてきて、これは自分の手柄だと思い、良い気分に浸る時がありました。次の瞬間、「修は己にありて、功は師にあり」[1]を思い出し、自分は大法の中の一つの粒子であり、大法がなければ自分は何ものでもないと新たに分かりました。そして、謙虚さを取り戻し心が穏やかになり、自己満足や見せびらかしたい気持ちを捨てました。
母が闘病していた2ヵ月間、2人の同修に感謝したいと思います。1人は前文で触れた、一緒に発正念をしてくれたAさんで、もう1人は母の妹(修煉者)で、2人とも母の辛い局面を静かに見守ってくれました。紙面の都合上、ここでは多く書かないことにします。今、母はほとんど病業の状態を突破して、修煉においても大きな向上を遂げました。母と私は、今回の経験を新たな出発点として、今後励まし合い、支え合い、初志貫徹し師父について精進していこうと決意しました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』