『轉法輪』を書き写し、新たな理解を得た
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文/台湾の新しい大法弟子

 【明慧日本2023年9月1日】私は最近、法輪大法を実践し始めた新しい大法弟子です。『轉法輪』がいかに奥深いかを知っていますが、私は法を読んだだけでは必ずしも法理を理解することができませんでした。 法を暗記して書き写しているという同修の修煉体験を読んだ後、私も法をしっかり学ぶため、これをやりたいと思うようになりました。

 私は法を書き写しながら同時に暗記するのが遅く、たった一つの段落を覚えるのに何日もかかります。しかし、私は落胆しません。これが修煉のプロセスであることを私は知っています。

 今、『轉法輪』の「第三講」を書き写しています。 私はすでに手写した『轉法輪』の「第一講」と「第二講」を再び見てみると、私は敬虔な心で集中して書いていたはずなのに、字が乱雑で走り書きに見えます。その時、私は師父の法を思い出しました。

 師父はこう説かれました。

 「釈迦牟尼は菩提樹の下で、功を開き悟りを開いた後、直ちに如来の次元に達したわけではありません。彼は四十九年間にわたる説法の間も、絶えず自分を高めていました。次元を一つ上がる度に振り返って見ると、説いたばかりの法はみな違っていました」

 私は自分の筆跡から自分の修煉状態が分かりました。私は落ち着いてゆっくり書くよう自分に言い聞かせました。私の目的は速さを追求することではなく、法をしっかり学ぶことです。『轉法輪』を手書きで書き写しているうちに、法に対する私の理解が変わっていくのがわかりました。

 今日、次の段落の法を書き写しているときに、私は突然、夫の連れ子に対して抱いていた大きな執着に気づきました。これはまさに私の心の葛藤について説いていることがわかりました。

 師父はこう説かれました。

 「人の病気を治してあげても、本人はまったく理解しない場合もあります。病気の治療をする時、どれだけ悪いものを取り除き、どこまで治してあげたのか、すぐにははっきりした変化が現われないこともあります。それで、その人は機嫌が悪く、感謝するどころか、騙されたと罵るかも知れません! こういうことに直面して、どう対処するか、といった環境の中で、あなたの心は磨かれていくのです。功を与える目的は、修煉させ向上させるためであり、良いことをすると同時に、自分の功能を開発し、功を伸ばさせるものですが、この道理を知らない人がいます」

 私が法輪功を修煉し始める前、夫(当時のボーイフレンド)と付き合いしばらく経った後に、夫は以前結婚していて子供もいることを話しました。 当時の私にとっては大きな衝撃でした。なぜ彼は私に嘘をついたのですか? 私は継母になりたくはなかったのです。 さらに私を不安にさせたのは、この子が度々私に辛く当たってくることでした。

 夫はとても優しく、また私を愛してくれたので結婚しました。結婚後、この子の存在が私を不幸にしました。何も知らない親戚や友人は、夫の経済力を当てにして結婚したと思ったようです。そうでなければ、普通の女性が継母になりたいと思うでしょうか?  義理の両親は、よく私に子供の面倒を見てほしいと頼みます。実際、私は経済的に自立していますが、継母としての責任も負い、他人からも批判されなければなりません。

  夫の子供はほぼ毎週末、私たちと一緒に暮らし、私は子供の世話をしました。しかし、この子は私がすることすべて当然のことだと思っており、父親がいない時には私に暴言を吐いてきます。ここは私の家ですが、この子が私を追い出そうとしているように感じました。 私は惨めでしたが、夫には文句を言いませんでした。

 法輪大法の煉功を始めてから、なぜこのような結婚をしたのか疑問に思いました。 同修は、「師父が按排してくださったものが、必ずしも一番快適なものではないかもしれませんが、一番良いものであるに違いありません」と言いました。私はおそらく過去に、夫の連れ子に借りがあり、今返済しているのではないかと思いました。

 法を書き写しているとき、私がわずかばかりの自分の家と車を持つだけの経済力があるのは、家族と快適な生活を送るためではなく、法を実証するためにここにいるということに突然気づきました。

 『轉法輪』第三講の「返修」の人々が出したエネルギー(功)は、彼自身のものでなく覚者から与えられたものです。その目的は彼らの富を築くためではなく、修煉するために与えられたものなのです。

 夫の子供は時々、失礼で恩知らずな態度をとることがありますが、これは師父の「どう対処するか、といった環境の中で、あなたの心は磨かれていくのです」[1]という意味であることを悟った時、私は安堵し、涙が溢れてきました。師父の按排は最高で、全ては困難を乗り越え、心性を向上させるためなのです。

 子供の私に対する態度は変わりませんが、私の心境が以前とは全く変わりました。師父はこう説かれました。「苦を嘗めるをもって楽とす」[2]。これからは、ただ受け身で耐えるのではなく、師父の法に基づいて精進していきたいと思います。

 偉大な師父に感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』 
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/7/14/462927.html)
 
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