遼寧省丹東の劉品彤さんに、再度不当判決
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 【明慧日本2023年9月28日】遼寧省丹東市在住の法輪功学習者・劉品彤さんは、9月中旬に懲役1年6カ月の不当な判決を受けたことがわかった。劉さんは、2023年7月7日に撫順市順城区裁判所で不当な裁判を開廷された。

 劉さん(52歳)は、元、丹東市東港市に住んでいた。劉さんは法輪功の「真・善・忍」の教えに従って善人となり、心身ともに恩恵を受けた。劉さんは法輪功の素晴らしさと法輪功迫害の実態を人々に伝えた。2012年8月10日、丹東市振興区裁判所から懲役8年の不当判決を受け、後に遼寧女子刑務所に拘禁されて迫害を受けた。一度は致命的な傷を負ったが、3年前にようやく開放された。解放された後、劉さんは撫順市に住む叔母のところへ引っ越し、重病を抱える叔母の介護をした。

法轮功学员刘品彤女士

劉品丹さん

 2023年2月3日、劉さんは撫順市順城区欧博城近くで法輪功迫害の実態を一般の人々に伝えていたところ、中国共産党(以下、中共)の虚言に騙された人によって通報され、将軍派出所の警官に連行された。劉さんは不当に撫順市拘置所に15日間拘留された。

 2月8日、現地の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の副隊長・焦臣など3人の警官が、劉さんの叔母の家に不当に押し入って家宅捜索を行った。

 7月7日、劉さんは撫順市拘置所で、撫順市順城区裁判所により不当裁判を開廷された。9月中旬になって、劉さんは順城区裁判所に1年6カ月の不当判決を宣告されたという。

 以下は、劉さんが以前に法輪功迫害の実態を伝えたとして受けた迫害の実例。

 連行と拷問

 2012年3月3日、劉さんは東港市前陽鎮で法輪功迫害の実態を一般の人々に伝えていたところ、丹東市公安局協力支局とその下部の前陽辺防派出所の警官らに連行され、夜間に丹東拘置所に不当に収容された。翌日午後、劉さんは協力支局の警官に連行され、国保の警官によって拷問された。具体的な拷問方法は、拳での殴打や、蹴ったり、顔を平手打ちするなどが含まれ、劉さんは悲鳴を上げた。

中共酷刑示意图:殴打

拷問のイメージ図:殴打

 丹東留置場での迫害

 劉さんは丹東留置場に不当に収監された後、毎日最低でも13、14時間、時にはそれ以上奴隷のように働かされた。ある日、劉さんは無理な労働を拒否したとして、刑務官・艾莉と何延婷は、監視カメラのない部屋に劉さんを引きずり込み、暴行を加えた。艾莉は「お前を殴っても、傷を残さないことにする(証拠を残さないこと)。ここには監視カメラがないから、お前はどうすることもできないだろう」と誇らしげに言った。暴行が終わった後、劉さんは独房に戻され、連続して立たされ、夜には寝ることも許されなかった。

示意图:中共监狱中的奴工迫害

中共の刑務所で、奴隷のような労働

 留置場では、収監された人々は毎晩1時間だけ立つことを強制されるが、刘さんは2時間も立ち続けるように命じられた。劉さんが眠りにつく頃になると、刑務官は他の受刑者に指示して、2時間ごとに刘さんを起こさせ、睡眠を奪うための妨害を行った。この長期間にわたる苦痛の結果、刘さんはますます眠りに入りにくくなり、毎晩3〜4時間しか眠ることができなくなった。

 また、2012年11月10日前後、刑務官は受刑者同士の争いを利用し、劉さんに対して故意に攻撃的な行動をし、劉さんを部屋に連れ込み、劉さんの四肢をベッドに縛りつけたまま数日間放置した。この虐待を受け、劉さんは肛門から出血が止まらなかった。

 

酷刑演示:死人床(呈“大”字型绑在抻床上)

拷問のイメージ図:死人ベッド(大の字でベッドに縛り付けられる)

 2012年8月、劉さんは懲役8年の不当判決を言い渡された。
 

 遼寧省女子刑務所での迫害

 2012年12月11日、ひどく衰弱した劉さんは遼寧省女子刑務所に移送され、そこで拘禁と迫害を受け続けた。

 拘禁されて2日目、劉さんは刑務所の事務所に連れて行かれた。眼鏡をかけた女性の看守が「なぜ法輪功を修煉するのか? 罪を認めるか?」と自白を強要した。劉さんは「私は無罪です」と答えた。女性看守は「それなら、待ってて!」と言って、劉さんを矯正課に連れて行った。

 矯正課では、課長・郭暁瑞と教官・張磊、それに2人の協力者・李小芳と徐英美が、劉さんを苦しめるように指示された。寒い冬、劉さんはトイレに行きたくなった時でさえ、凍てつくセメントの地面に立たされ、身動きもできなかった。その日、劉さんは生理になったが、ずっとズボンの下に流れ落ちたままだった。

中共酷刑:冷冻
拷問のイメージ図:厳寒の冬、外で凍えさせる

 劉さんは毎日、夜明け前~午後10時まで立たされ、洗濯やトイレに行くこともできず、辛い思いをさせられた。長時間の体罰と精神的な拷問が重なった結果、劉さんは自分の意思に反して「五書」にサインした。

 2013年1月16日、遼寧省刑務所管理局の職員が視察のために刑務所を訪れ、収監の手続きの一環として劉さんは刑務所3階のいわゆる「教育課」に連れて行かれた。検査官の前で、劉さんは自分が受けた残酷な迫害を暴露した。そのため、刑務所の悪徳刑務官は激怒し、劉さんを「矯正課」に連れ帰り、受刑者・孫若燕と、李景春に劉さんを拷問するよう指示した。 劉さんは一日中、針のような突起のある小さなプラスチックの便器に座らせられ、午前5時~午後10時まで、時にはそれ以降も、背筋を伸ばし、両脚を揃えて両手を脚の上に置いたまま動かないように座らせられた。 同時に、劉さんは中共が捏造した法輪功を中傷するビデオを見せられ、強制的に洗脳された。

中共体罚示意图:长时间罚坐

拷問のイメージ図:長時間小さな椅子に座る

 2013年4月12日、劉さんは刑務所の第1監獄区の6班に移送され、そこで悪徳刑務官・張暁冰が監督課長や班長と共謀し、多くの受刑者が交代で劉さんを迫害するよう手配した。

 2014年10月14日、劉さんは衰弱し、瀋陽739病院(遼寧省の女子刑務所指定病院)に送られた。 悪徳刑務官はロープで劉さんの手足をベッドに縛りつけたため、劉さんの手足は饅頭のように腫れ上がり、身体は痩せ細って骨と皮のような状態になり、話す力もなかった。 刑務所当局は劉さんの医療仮釈放を拒否し「病院は彼女の腎臓が損傷しているのを突き止め、たとえ彼女は今死んでも、それは病気で死んだのであり、普通の死であり、刑務所では一定の人数の死が許されているから、我々には何の責任もない」と主張した。 1週間後、劉さんは刑務所に連れ戻され、家族が預けていた4000元(約8万円)を強制的に奪われ、家族も劉さんに会えなくなった。

 劉さんは受刑者らに厳重に監視され、やせ細るほどの拷問を受けた。 劉さんは断食をして迫害に抵抗したとして、悪徳警察に2カ月間拷問され「死人ベッド」に手足を縛りつけられ、野蛮な灌食をされた。

中共酷刑示意图:绑在床上灌食

拷問のイメージ図:ベッドに縛り付けられて強制灌食

 2016年5月24日午後2時頃、受刑者・趙梅娟は第1監獄区の2階トイレで劉さんを平手打ちし、洗面器で殴り、作業場内で追いかけ回した。 刑務官・曲小青は「監視カメラの映像では、劉が先に趙梅娟を殴ったのだ!」と公然と言った。 刑務官はまた、受刑者・何芳に劉さんを殴るように指示した。

 2016年5月26日午前7時30分、何芳受刑者は第1監獄区の旧工場棟1階のロッカールームで、劉さんの頭を椅子で殴ったり、蹴ったりして、劉さんの口に靴を押し込んだ。10分も経たない内に、劉さんの頭は腫れ上がり、耳、顔、腕に傷がつき、体のあちこちにあざができた。ある時、寝室においていた経文を探し出され、劉さんは独房に監禁されて、15日間迫害された。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2023/9/24/465663.html
 
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