【明慧日本2023年12月31日】大連市の法輪功学習者・鄒秀菊さんは8月10日午前6時、迫害により、家に帰れないまま亡くなりました。享年63歳でした。鄒さんは、留置場や労働教養所で様々な拷問を受けてきました。私は、鄒さんが亡くなったと聞いて涙が止まりませんでした。
鄒さんに初めて会ったのは、悪名高い馬三家労働収容所に拘禁されていた2005年5月のことでした。ビルの3階の部屋に通されると、誰かが床を掃除していました。私たちが目を合わした瞬間、掃除していた彼女は私に微笑みました。そして彼女は手を上げ、胸の前で拳を作りました。私は、彼女が法輪功学習者(以下、学習者)だと知っていました、彼女は、私に強くなるように励ましてくれました。受刑者たちが私たちに注目していたので、話すことはできませんでしたが、私たちが交わしたアイコンタクトは、言葉以上に雄弁でした。私は、とても嬉しく思いました。なぜなら彼女は、あの残酷な刑務所で22ヶ月ぶりに出会った学習者だったからです。
それから1年も経たないうちに、私は再び鄒さんに会いました。 その時になって初めて、彼女の名前を知りました。看守の馬吉山らが彼女の名を呼び、言葉や身体的な虐待を加えたとき、私は近くの部屋で手首をつかまれて吊るされていました。その後、看守がドアを閉めて彼女を拷問しましたが、私は当時、彼女が耐えた残忍な拷問について知りませんでした。
2006 年末に向けて、大連労働教養所は一緒に不当拘禁していた学習者を、別の監区に再配置しました。私と鄒さんは同じグループではなかったのですが、トイレ休憩のときによく会っていました。私たちを監視する受刑者たちは、依然として私たちが話すことを許可せず、時々私たちを怒鳴りました。しかし私たちはなんとか意思疎通の方法を見つけ、教養所の学習者がどのように迫害に抵抗したかについてさらに学びました。私たちは迫害に抵抗し始め、拷問は一定期間、緩和されました。
彼女は教養所で私にとって唯一の同修であり、多くの励ましを与えてくれました。鄒さんは、もう私の元から去ってしまいましたが、私の心の中ではまだ生きています。