文/河北省の大法弟子・暁新
【明慧日本2024年2月17日】今日、ここで私は、法輪大法が科学であり、超常的な科学であることの証として、私自身が体験した素晴らしい出来事について書きます。
小学校2年生のある日曜日の午前に、4人の友達が私の家に遊びに来ていました。私たちは、床からベッドに上がったり、降りたりして、遊んで笑ったり、大喜びしてはしゃぎました。しかし、その結果、私はドスンとベッドから落ち、右腕を床に叩きつけ、痛みで泣き叫びましたが、友達はみんな、叱られるのを恐れて家から逃げ出しました。
その日、叔母が家にきていて、台所で母と一緒に料理をしていた時、私の悲鳴を聞いて、駆け寄ってきました。私が床に倒れているのを見て、母は私を抱いてベッドに運ぼうとしましたが、私は泣きながら、「触らないで。痛い、痛いんだよ」と叫びました。叔母が「腕を脱臼したのかもしれない。そうでなければこんなに痛くない。早くタクシーを呼んで病院へ行こう」と言いました。母が顔を上げて時計をみると、もう12時を過ぎていて、週末だから、医者はとっくに午前の診療を終えたと思いました。そして、母と叔母は「大泣きしちゃだめだよ。大泣きしたらもっと痛くなるんじゃない?」と、私を慰めました。母と叔母は急いで昼食を食べて、私を病院に連れていきました。
医者は私の腕がぶらぶらしているのを見て、脱臼しているかどうかレントゲン撮影をするように言いました。しかし、医者はレントゲン写真を見ながら、腕の骨折箇所を指差して、「骨が折れています。ここに黒い影があるのは骨髄腫ですね。すでに大きくなっています。すぐに入院する必要があります」と、母と叔母に言いました。
医者の話を聞いて母は怖くなって顔が青ざめました。叔母が「治療法はありますか?」と尋ねると、医者は「まず骨髄から腫瘍を取り除いて、太ももの辺りから骨の一部を取り出して腕に定着させます」と言いました。私はテーブルの前に立ち、医者を見て、「私は人間です。白菜を切るようなものではありません」と、言いました。医者は何も言わずに私を見ました。叔母が「この手術にはいくらかかるのですか? 治癒率はどのくらいですか?」と聞くと、医者は「これは大手術だから、5万元はかかるかもしれません。手術の成功率は、どうだろう。先月、私たちの故郷の食糧店の店長の姪がこの手術を受けましたが、成功しなかったので、保定市の病院に転院しました」と言いました。
叔母は、「まずこの子の骨折の手当てをしてください。プレートで固定し、腕を包帯で巻いて首にかけてください。この子の父親が出張中なので、戻ってきたらまた連絡します」と言いました。医者は「この腫瘍が中にあるのに切除しないで、外側にプレートで固定することに何の意味もないのです。手術のとき、この子はもっと苦しみますよ」と言いました。叔母の再三の要求と、医者は叔母と古くからの知り合いであったため、医者は叔母の言う通りにしてくれました。私は腕を包帯で巻き固定されて傷病者のようになっていました。
母は手術の話を聞いて、足の力が抜け、地面にしゃがみこみ、空が落ちてきたようかのように感じたそうです。叔母は母を抱き上げ、片方の手で母の腕を、もう片方の手で私の手を握り、病院を出ました。
「果てしない人の世では、道はどこにありますか?」というのがそのときの私たちの気持ちでした。ここまで書いてくると、私は、もう涙が流れていました。
帰り道、叔母は「甥よ、よく聞きなさい。あなたの前には二つの道がある。一つは、お母さんと一緒に家に帰り、お父さんが出張から帰ってくるのを待ち、病院に入り、お医者さんに手術をしてもらう。手術が失敗すれば、一生不自由な体になる。もう一つは、私と一緒に我が家にきて、法輪大法を学び、修煉の道を歩むことです。どっちか選びなさい」と言いました。
私は迷うことなく、「叔母さんと一緒に帰って修煉する」と言いました。そしてその日、私と叔母は叔母の家に行きました。翌朝、私は『轉法輪』を読み、学び始めました。私の腕は固定され、首には包帯が巻かれていて、とても不便だったので、叔母が本を読んでくれました。午前中は第一講を学んで、第二講が終わらないうちに昼になりました。叔母は、「お腹が空いたでしょ。食べてからまた続けて学ぼう」と言いました。
午後1時、母が勤め先から電話をかけてきて、「お父さんが帰ってきたから、2時に病院に行こう。昨日折れた骨が正しく接骨できているかどうか、レントゲンを取って確認をするから」と話しました。母も休みを取って一緒に病院に行きました。後で知ったことですが、母は私の選択が邪魔されるのを恐れて、父に本当の状況を話さなかったらしいのです。母はただ、父に「昨日と友達と遊んで、ベッドから落ちて、骨折した。学校へ行って誰かにぶつかったりされると大変だから、叔母の家に数日住ませる。よくなったら、学校へ行かせる」と言いました。父が「プレートで固定して、レントゲンを撮ったのか? 骨は正しくつながっているのか?」と聞いたので、母は「病院に行ったのが遅くなって、医者も忙しかったし、他の科の医者はすでに退勤していたので、レントゲンは撮らなかった」と答えました。父は心配になって、「それはだめだ」と言って、母と私たちを呼んで、一緒に病院へ行くことにしました。午後2時、両親、叔母と私は病院の整形外科に行きました。
医者は、出張から帰った父の顔を見て、「入院の手続きをしてください」と言い出したので、父は何のことか分からないので固まりました。叔母は、「入院はしません。まずこの子の腕のレントゲンを撮って、骨がちゃんとつながっているか確認したいのです」と言いました。医者は「レントゲンにばかりお金をかけてどうするのですか? 腫瘍を摘出する手術をするとき、骨がきちんとつながっているかどうかに関係なく、骨を切らないといけません」と言いました。父は話の意味がわからなかったのです。叔母は「この子の父親はレントゲン撮影を希望しているのだから、それをお願いします。お金がかかっても大丈夫です」と言いました。医者は、父にレントゲンの費用を払わせて、父と私を連れて放射線科に行きました。
レントゲン写真ができると、医者はそれを持って、私たちに「骨の接合は非常に良好で、骨折した部位は順調に回復しています。でも、腫瘍はどこですか? 何でなくなったのですか?」と言いました。叔母は、「もうありませんよ! 佛様が取り去ってくださったのですよ!」と言いました。
医者は困惑した表情を浮かべ、昨日の2時に撮った写真と今日の2時過ぎに撮った写真を何度も何度も手に取って見比べ、首を振りながら、「不思議だ、信じられない」とつぶやきました! 同じ部屋の医者がみんな、見に来て、「珍しいね。一晩で骨折がすっかり治ったなんて、こんなことは初めてだ。腫瘍も一日で消えた! 本当に不思議だ」と、言いながら、謎を解こうとして、もう一度レントゲンを撮るよう私に指示しました。しかし、レントゲン写真を再度確認しても、腫瘍が消えていたのです。私は喜びました。
午前中、「ある人が修煉しようと思うと、佛性が現われて来たと認められます。この一念こそ最も貴重なものです。なぜならその人が返本帰真を願い、常人という次元から抜け出そうとしているからです」「『佛性がひとたび現われると、十方世界を震わす』という言葉があります。覚者がそのような人を見ればひとしく救いの手を差し伸べ、無条件に助けてあげようとします。佛家では、人を済度するにあたって、条件を言わず、代償を求めず、無条件に助けるということなので、われわれも学習者の皆さんに多くのことをしてあげることができるのです」(『轉法輪』)と読んだのを思い出しました。
昨日の夕方、叔母に「修煉する」と言ったことだけで、師父がすぐに私を助けて下さったのです! 「師父がいて本当によかった!」と思いました。母のほうを見ると、母は笑いながら、涙を流していました。「これは母が大法師父に感謝している涙なんだ!」とわかっていました。
父は困惑して「2人はどうしたんだ? 1人は笑っていて、1人は泣いている。大丈夫だよ。レントゲン撮影したし、骨も問題がないし、家に帰ろう」と言いました。
私は叔母の手を引いて、叔母の家に戻りました。私たちは『轉法輪』を読み終えました。それから、大法の修煉の道に入りました。師父のご加護の下、私は小学校、中学校、高校、大学、大学院を卒業しました。中国本土では、就職の競争率の高い中で、師父の助けで、私は良い職に就け、安定した修煉、生活、仕事の環境ができました。師父は私に新しい人生を与えて下さいました。師父に叩頭いたします!