ゲームをやめる前と後
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文/中国の大法小弟子

 【明慧日本2024年11月29日】私は今年10歳で、小学校4年生ですが、抱えている問題はたくさんあります。今の社会で少年が抱える問題の多くを持っており、さらに困ったことに、特に自己中心的で、家族が私の欠点を指摘するのを聞くのが苦手です。そのため、家族とよく対立し、かなり不幸な気持ちで過ごしていました。そんな時、叔母が導いてくれたおかげで、法輪大法を学ぶようになり、それから私の身に奇跡のような変化が起こりました。

 家族の中で「小さな皇帝」

 私は長男で、祖父母から大切に育てられてきました。しかし、私が6歳のときに弟が生まれ、父も母も弟に多くの時間と精力を注ぐようになりました。幼い私はその変化に不安を感じ、弟に嫉妬していました。弟が家族の愛を奪ったように感じ、彼に対して嫉妬し、愛を争い、玩具を取り合って、まるで兄のようには振る舞えませんでした。どこへ行っても自分が主役だと思い、自分中心に考えていました。弟とだけでなく、家族が他の子どもを褒めるのを聞くと、我慢できずに泣いたり駄々をこねたりし、家族は私にどう接すればいいのか困り果てていました。

 私は自立心と自立能力がとても弱く、6歳で学校に通い始めた時も祖母が服を着せてくれたり、ご飯を食べさせてくれたりしていました。10歳になっても下着を洗ったり、靴の紐を結ぶことさえできませんでした。祖母が面倒を見てくれるのが当たり前のように感じ、何一つ自分で責任を持とうとは思いませんでした。怠け癖がすっかり染みついていました。

 私は多動症があり、家族が口に出したくない病気も抱えていました。そのため、家族は私に対して非常に寛容でした。学校では授業に集中できず、わざと変な声を出してしまうこともあり、先生やクラスメイトに嫌われていました。友達もいませんでした。

 私は学校や宿題が嫌いで、特に宿題を手伝ってくれる父を困らせていました。父は夜11時過ぎまで私の宿題に付き合ってくれました。弟の世話をしながら、私という手のかかる長男の面倒も見てくれて、家族は本当に大変でした。

 その中で唯一、ゲームをしている時だけが楽しく、リラックスできる瞬間でした。ほかのどんなことにも興味がなく、ゲームに依存して抜け出せなくなり、学校のことや宿題も手がつかない状態になりました。家族の私への失望も感じるようになりました。

 大法と出会い、光が差す

 今年の夏休み、28年間大法を修めてきた叔母が私に法輪大法を教えてくれることになりました。大法の学習には静かに本を読むことが求められますが、これは私にとって本当に難しいことでした。本を数ページ読むだけで落ち着かなくなり、寝転んだり、物を触ったりして、叔母に早く帰ってほしいと願っていました。時には「叔母さん、いつ帰るの?」と直接聞くこともありました。それでも叔母は怒らず、忍耐強く私を説得してくれました。私が小さな動作をしても、叔母は足を組んで静かに法を読んでいました。形にはなっていませんでしたが、叔母が読んでいる法が私の心にも少しずつ響いてきました。

 叔母は以前、家族の中でいとこや兄にも大法を教え、彼らは健康を取り戻し、クラスで後れを取っていたのが学校で優秀な生徒になりました。そうした実例を見て、私も大法が素晴らしいと感じるようになり、信じるべきだと思いました。しかし、当時の私は叔母に合わせて学んでいただけで、心の中ではまだゲームをしたい気持ちが消えませんでした。

 この頃、家族も私のゲーム時間を制限し始めました。早くゲームをやめられるようにと、叔母は『轉法輪』中の禁煙に関する教えを一緒に学んでくれました。その内容を少し理解したものの、やはりゲームがしたい気持ちは残っていましたが、叔母は学習の進行に合わせて『轉法輪』を一緒に読み続けてくれました。そして、100ページ以上学んだある日、放課後家に帰る途中、突然ゲームがとても遠く感じ、もうやりたいと思わなくなり、それ以来ゲームをやめることができました。家族は、私がこんなに簡単にゲームをやめられるとは信じられない様子でしたが、私は本当にやめたのです!他の人が勧めても、私は全く心が動きませんでした。叔母と私は、私が法を学び続けることができたのは、師父が私の信念を見て「ゲームの魔」を取り除いてくれたからだと悟りました。この経験は、私が大法を学ぶ自信をさらに高めてくれました。

 ゲームをやめた後、祖母が私に水泳を教えてくれました。今では、休むことなく1,000メートル以上も泳げるようになり、この「壮挙」は以前の家族には考えられないことでした。

 嫉妬心と自己中心性を取り除く

 ゲームはやめたものの、心の安定はまだ足りませんでした。少し法を読むとすぐに終わりにしたくなり、あまり学びたくない気持ちがあり、時々邪念が湧いてきて、大法を学ぶのは苦しい、真・善・忍に従うのは難しいと感じることがありました。

 そんな私に、叔母は映画『再び神になる』を観るように勧めてくれました。真剣に観終わると、大法を学ぶことが神聖な道であり、これは神の道を歩むことなのだと理解しました。しかし、理解することと修煉することは別で、嫉妬心や自己中心的な性格はまだ強く残っており、他人が私より良いと感じるのがどうしても嫌でした。叔母は私に『精進要旨』の「境界」を暗唱させ、私は善なる人になりたいと思うようになりました。このように、大法の教えによって、私の嫉妬心は消えました。今では、他人に嫉妬していた自分が笑えてきます。

 その後、私はさらに『精進要旨二』の「妨害を排除せよ」の中にある「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」という言葉を暗唱しました。これにより、私はさらに大法を学ぶ信念が深まり、学び続け、暗唱し続けるうちに、徐々に私の自己中心性も薄れ、他人が私の過ちを指摘してくれても受け入れられるようになりました。

 結び

 もし私が大法を学んでいなければ、私はどうなっていたでしょうか? 考えると本当に恐ろしいです。

 今、私はすでに『轉法輪』を一通り学び終えました。叔母は「問題があれば大法に従って対処するように」と言ってくれます。今では、頭痛や多動の問題も大幅に改善し、集中力も上がっています。また、料理や洗濯もできるようになり、さまざまな生活のスキルやコツも覚えました。これからも学び続ければ、心性が少しずつ向上し、怠け癖もきっと改められると思います。

 (本文は叔母の協力でまとめられました)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/9/29/481611.html
 
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