振り返るに忍びない日々の中で(上篇1)
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文/李文明

 【明慧日本2024年3月16日】[編集者注] 法輪功学習者(以下、学習者)の李文明さんは2002年8月、青海省と甘粛省の数カ所で法輪功迫害の事実を伝える電波ジャックに参加した。李さんは中国共産党(以下、中共)の関係者により20年の懲役を言い渡され、2003年に蘭州刑務所に送られたが、師父のご加持とご加護の下、修煉するという固い意志によって、李さんはあらゆる拷問を経た後、2021年8月、ついに刑務所から帰宅した。

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 「真・善・忍」という普遍的価値観を信じる心優しい人々や、国と社会にとって有益で、善をなすことだけを目的とする市民活動が、残酷な弾圧や迫害を受けるとは、これまで信じることができませんでした。しかし、それは中国本土で起こり、今も続いています。

 1999 年 7月 20日、中共の指導者である江沢民は、嫉妬と極度に膨れ上がった私利私欲と傲慢さから政府機関全体を乗っ取り、伝統的な修養法である法輪功を理不尽に中傷し攻撃し、法輪功を学ぶ1億人もの心優しい人々に残酷な弾圧を行いました。師父に対する誹謗中傷、法輪大法に対する理不尽な迫害に直面する中で、学習者は毅然として天安門広場、政府機関、社会の各界に行き、法輪功が受けた不当な扱いを訴え、虚言を暴き、事実を明らかにしました。しかし、このような平和的な人々が陳情し、要求を表明したのに対して、さらに厳しい弾圧と破壊が加えられ、「その名誉を腐らせ、その経済を断絶させ、その肉体を消滅させる」という邪悪な指示に突き動かされた犯罪者の手が学習者に伸びました。

 私は中共によって4回連行され、21年6カ月にわたり拘禁され、非人道的な拷問、人格に対する屈辱を受けました。過去のことを思い出すとき、これまで警官の前で涙を流したことがなかった私は、思わず何度も涙を流してしまいました。私は師父の衆生に対する慈悲と苦心の救い済度に涙を流し、大法の偉大さに感激を受け、学習者たちの忍耐力に驚嘆しました。 多くの逡巡の末、私はペンを手に取り、より多くの人々の良知を目覚めさせ、嘘の欺瞞から離れ、法輪大法の良さを理解するために、中国本土における中共制度下の衝撃的な出来事を明らかにしました。

 一、法輪大法との出会い

 私は李文明と言います、別名は李明一です。以前は甘粛省の蘭州機関車工場で働いていました。法輪功を学ぶ前、私は名利に貪欲な人間で、よく工場の物を家に持ち帰っていました。立て替え金を精算する際も、できる限り多くもらうようにし、本来は一緒に申告すべきではないものも申告することが多くありました。私は、呼吸器系、消化器系、泌尿器系の慢性疾患など、さまざまな病気を抱え、毎年秋から冬にかけて、咳や喘鳴が絶えませんでした。慢性胃腸炎、腰の痛み、体力の低下に悩まされることがよくあり、手足のだるさ、慢性的な鼻炎と咽頭炎の症状が一年中ありました。他の気功もいくつか試しましたが、どれも効果がなく、有名な先生を探すため名山に行ったこともありましたが、何も得られませんでした。

 1996年、私は幸運にも法輪大法に出会い、師父の深い教えにすぐに魅了され、人間であることの本当の意義を理解することができました。 涙を流しながら師父の講義ビデオを観たときから、私の人生観が根本的に変わり、自分が探していたのはこの師父だと確信し、それ以来法輪功を学ぶことを決心しました。

 多くの病気は奇跡的に消え、私の精神状態は以前とはまったく異なりました。 私は工場から持ち出したものを工場に返し、今まで多くもらった金額を返済するために、精算すべき領収書を破棄しました。 私はすべてにおいて法輪功の教えに従って自分の言動をチェックし、それ以来、返本帰真の道を歩み始めました。

 二、大法を実証し、20年以上迫害される

 (1)「4.25」請願

 元甘粛省政法委(治安・司法などを統括する機関)書記の洛桑・霊智多傑が公の場で法輪功を「邪教」(訳注:中国の法律では法輪功が邪教であるとは言っておらず、江沢民による誹謗中傷である)と中傷したことにより、学習者に対する嫌がらせをして煉功から追い払い、家宅捜索などが省各地で発生しました。1999年4月27日(おそらくこの日)、蘭州市および同省の他の地域の学習者が省政府部門に請願に行き、洛桑の無責任な発言を訂正し、妨害されない煉功の環境を提供するよう政府に求めました。

 私は5人の学習者代表の一人として状況反映に参加しました。省政府の担当者は「洛桑の発言は個人的な行為であり、政府を代表するものではない。政府は市民の集団煉功活動を禁止したことはない」と対応しました。しかし、その後しばらく、高音の嫌がらせや煉功している学習者たちへの放水などが各地で発生し、連行(直後に解放)する事態までますます激化しました。

 5月のある日、蘭州市の学習者たちは再び省政府部門に請願に行き、私も5人の代表の一人として参加しました。省党委員会の秘書長が私たちを応対しましたが、彼は非常に厳しい態度で、嫌がらせや煉功する学習者を追い払うことについて言及せず、「4.25」の平和的請願を「中南海を包囲した」と表現し、私たちに状況を認識して「法律」を遵守するようにと注意しました。

 しかし、彼の態度に怯える者は誰もおらず、その後の数日間、省政府部門に請願する学習者がいました。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/1/441663.html)
 
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