嘘とごまかしを修めて取り除く(二)
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 【明慧日本2024年6月17日】(前文に続く)

 三、「真」のことができていないことに気づく

 今まで、自分は「真」の面ではよくできていると思っていました。自分は小さいころから、嘘をつかない単純で優しい子供だったと思っていましたが、最近、周りの同僚から「話が信用できない」とよく言われていました。

 「自分に問題があるから言われているのではないか」と気がつき始めました。例えば、工場が予定通りに納品できず、延期を繰り返していたため、営業担当者は私がいつも約束した納期を守らないので、顧客の前で信用を失ったと非難しました。それに対して、私は「自分には関係はない、工場の問題だ」と平気な顔をしていました。

 今にして思えば、表面的には、私の問題ではないように見えますが、この過程で、私は工場が納品できない具体的な理由を詳しく説明せずに、勝手に生産計画に沿った納期を営業担当者に伝えていました。これは、顧客のことを考えず、「真」を修めず、顧客に信用を失ったことになったと認識しました。

 さらに深く考えてみると、これまで自分は多くの場合、「真」を守っていなかったことに驚きました。

 例えば、ある時、私と一人の同修は集団学法のためにわざわざ半日休みを取ったのに、別の同修から「参加できなくなりました」と急きょ連絡があり、その日の学法が取りやめになりました。後で理由を聞くと、同修は「夫が急に家に帰ってきたので、夫に何をしに出掛けるかが説明できませんでした」と言いました。彼女の夫は普段彼女がどこへ行ってもついて行きますので、私は思わず彼女に「実家に行くって言えばいいじゃない」と言いました。その時彼女は何も言いませんでしたが、もう一人の同修はすぐに「あなたはどうして人にうそを教えるのですか」と言いました。私はそれを聞いて恥ずかしくなりました。「そうだね。私はどうしてこんなに自然に嘘をついたのか? もう習慣になっているようだ」と自分で反省しました。

 また、ある日、午後の休みを利用して、大法の資料を作成しようともう一ヵ所の持ち家に行ったら、父が段ボールを片付けていました。父は私が突然来たのを見て不審に思い、何か忘れ物があったのではないかと聞きました。私は普段、父には大法のことをしているとは言えず、父が出かけている間に資料を作っていました。母は大法を修煉するために迫害されて亡くなり、私自身も不当判決を受けたことがあり、父は私にまた何かが起こるのではないかと恐れていたので、家の修煉環境はなかなか開けませんでした。仕方なく私は「週末にこっちで作った合鍵の調子が悪いから、調節しに来ました」と嘘をつきました。

 父が鍵屋さんの技術に文句を言うと、私は急いで「このU字錠の鍵はもともと合わせにくくて、前回も2回合わせてもらいました」と嘘の説明をしながら、心の中で「ああ、どうしよう。また嘘をついて徳を失ってしまった」と後悔しました。父には本当のことを言うと、必ず激怒するに違いありません。普段、私は大法のことをするために、いつも父に「仕事が忙しくて毎日帰りが遅いですよ」と言って、休みがあることも伝えていませんでした。

 今思えば、これらはすべて「真」ではない表現でした。しかし、私はいつも正しいことをしていて、正しいことをするためだと言い訳をしてきました。修煉はとても厳粛なもので、当たり前のことではありません。修煉する中でこんなに大きな漏れがあり、よく修めていないことに、私はやっと気づきました。

 前回の棚卸の件もありますが、無料の予備部品を使用するたびに登録しなければならず、月末に棚卸もしなければならず、とても面倒なので、経営責任者はそれを全部処分すると言いました。しかし、財務担当者は同意せず、整備士に必要と必要でないものを分けてもらい、必要でないものだけを処分し、必要なものは続けて私に登録管理するようにしました。結局、整備士が「全部必要である」と返信しました。私は彼のメールを見て、「何てバカなんだろう。自分で仕事を増やしているんじゃないか」と思って、気分が悪くなりました。私はほかの同僚に「彼は本当にバカ正直で、全部処分していいと言えばよかったのに、そうすると好きなようにも使えるし、使うたびに登録する手間もなくなるのに」と整備士のことを揶揄しました。

 しかし、言い出した瞬間、「私は嘘をついているのではないか? それなのに、自分が『賢い』、物事には柔軟であると自慢しているのではないか?」と気づきました。この問題の財務部の処理は適切ではないかもしれませんが、トラブルを避けるために嘘をつくわけにもいかないので、「真」を修めなければなりません。

 四、自分を正して、本当の自分を探し戻す

 ある日、父に『動かぬ証拠が山のようにある』シリーズの第1話を見せました。それは、大法弟子に対する臓器狩りを目で見た武装警察の証言録音でした。その過程があまりにも残酷なものだったため、父は途中で耐え切れず、突然興奮してしまい、「師父はなぜ構わないのか」と、師父に対して不敬なことを言い始めました。母は迫害されて亡くなった(毒注射を打たれた可能性が高い)ことで、父はそれをずっと忘れられず、「なぜ師父は守ってくれなかったのか」と、師父に文句を言っていました。普段から私は父に大法の良さと迫害の真実を伝えてきたので、父も心の中では分かっていました。今回、私は父に「ここまできたら善悪の区別をつけないといけません!」と厳粛に注意した上で、「こんな恐ろしいことが起きて、誰が非難すべきですか? 師父は私たちに借りはありません。師父は衆生を救うために、私たちのために多くのことを引き受けてくださいました。人それぞれ業力の大きさが違いますから、自分で一部を引き受けなければなりません」と言われました。父は修煉者ではないので、私も父が理解できる角度から話すしかありませんでした。

 また、ミラレパ佛の修行の物語を聞かせました。「ミラレパの師父は、彼に石を山に運んで家を建てさせ、建てた後は彼に壊させてはまた建てさせ、何度も繰り返しました。しかし、彼はこれまで師父に対して少しも文句を言ったこともなく、ただ自分の作った業力が多過ぎて、佛法を得る資格がないと後悔していました」と話しました。父は黙って、それ以上何も言いませんでした。

 このことを経て、私は自分の心性に問題があったから、父がこのような言葉を言い出したに違いないと反省しました。これまで私は、国内の大法弟子が迫害されている報道をあまり見たくありませんでした。また、見ている時、頭の中には常に悪い考えが浮かび、「師父はどうしてこの弟子を守ってくださらなかったか」と師父に対する疑いがちらついてきます。私の主意識は、「これが後天的な観念で、本当の私ではない」とはっきりと知っていましたが、これまで、私はこの問題を厳粛に受け止めておらず、本当にこれらの正しくない考えを徹底的に取り除いていませんでした。

 私にはまだ、大法のことを伝えたり、資料を配ったりするのは危険で、迫害される可能性があるという人の観念を持っていました。これは、師父がいつでも私たちのそばにおられていて、私たちを見守ってくださっていると100%信じることができていないからです。そのため、これまで、この方面ではあまり確実に修めておらず、そして、師匠の法を言い訳にして、自分は得意で比較的安全だと思う他の方法を選択していたのです。

 実は、やはり気楽な生活環境を失うことと迫害されることを恐れており、さらに、再び迫害されると自分が耐えられず、また邪悟してしまうとおしまいだという不安がありました。これらは皆自分のための私心です。

 その一方で、常人の観念に固執していて、この方面では確実に修煉しておらず、その観念を自分だと見なしていました。師父が『険悪を遠ざけよう』と『大法修煉は厳粛である』の二つの経文を発表された後、私は何回か読むだけでした。自分を反省しながらも、自分を変える決心と意志が足りず、いつも正念を簡単に放棄し、怠惰と安逸を求める自分の魔性を放っておきました。今後、最後に残されたわずかな時間を大切にして、大法弟子のやるべき3つのことをやり遂げ、貴重な時間を無駄にせず、しっかり自分を修め、先史の誓いを実行し、師父について本当の故郷に帰ります。

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/6/7/477053.html)
 
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