青年学習者、56億7000万年を経て佛縁を結ぶ
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2021年9月25日】世界法輪大法デーの5月13日に際し、明慧ネットを通じて師父の慈悲なる済度に感謝を申し上げます。また、私がネットで大法を知り修煉して感じ取った素晴らしい体験を皆さんと分かち合いたいと思います。初めての投稿ですので、不足がありましたらご指摘をお願いします。

 私は2012年に法輪大法の修煉を始めました。ちょうど24歳の時でした。私は小さい時から両親が別居していたため、祖父母に育ててもらいました。ほかの80年代以降に生まれた若者とは違い、私は年配者の教育の影響を受けて伝統的なものを多く守ってきました。小さいときから、私は祖父母から教えられたように、困難なことにあって何かを失っても、いずれは別のところから思いがけない収穫があるものだということを信じています。このことから、この世界にはきっと人より高い法が存在し、その見えない法がすべてを制御していると思っていました。この法が何なのか分かりませんが、私の心に種のように植え付けられました。それは、必ず善良であるべきだ、ということです。

 大学時代、私は旅行ガイドを目指してフランス語を専攻しました。学校では多くの西洋文化に触れ、『聖書』、『周易』、佛教の経典などを読みました。なぜか分かりませんが、たくさん読むにつれ、現在の世界に対する疑惑と疑問が増えていきました。ある日、佛教の授業のとき、先生は自分も信じていないかのように、「皆さん聞いたことがありますか? 釈迦牟尼は、56億7000万年後に、未来佛である弥勒佛が世に降りて衆生済度すると言いました。皆さんがそれまで生きていたらぜひ学んでください!」と半分笑いながら話しました。話し終わったとたん先生は笑い出し、多くの生徒も一緒に笑いました。しかし、この話は電流のように私の脳を直撃し、考えの奥深くまで届いたように感じました。「良かった、将来、弥勒佛に会ったらぜひ学ばせて頂こう」と思いました。

 大学3年生のとき、私は順調に資格試験に合格し、フランス語ガイドの資格を取得できました。しかし当時、学校ではずっと「佛法」とは何かを理解したかったので、研修のときは外国人のガイド業務に従事せず、中国佛教の名山である五台山でガイドをやることを選びました。

 しかし、行ってみて初めて分かったのですが、そこは古い寺院が残されてはいるものの、伝統的なものはもうすでに見かけなくなりました。五台山では旅行会社の先輩は毎日どうすれば観光客にお金を落としてもらえるか、どうすれば佛像を買ってもらえるかの話ばかりで、寺の和尚のほとんどは南から来た人で、坊主になって昼間は僧侶の服を身にまとい、ガイドと連携して接客し、夜になれば私服に着替えて地元の夜市を訪れ消費するのです。

 佛を利用して、お金の搾取ばかり考える偽坊主たちを見てから、私は昼間は社内にとどまり、夕方以降になると外出するようになりました。夜、一人で文殊寺の庭に座ってぼうっとして、かすかに吹く風に揺れる屋根の下の鈴の音を聞きながら虚しさに浸っていました。昔日の佛教の聖地がなぜこのようになってしまったのか、佛教の浄土は一体どこにあるのだろうかと思いました。

 ある日の午前、ふと外で誰かが自分を待っているように感じたので、立ち上がって山のふもとまで下りました。そこで大学の同級生と会って立ち話をしました。しばらくしたら遠くから3人組の女性がやってきました。そのうちの眼鏡をかけた中年の女性が私に道を尋ねてきました。話を聞くと東北弁でした。私は小さいときから東北弁を聞くのが好きで、「こういけば行けますよ。ちょうどやることがないので道案内しましょうか」と提案しました。

 このように私を含めて一行4人は山を登り始めました。50メートルほど歩くと、中年の女性が突然私に「あなたは旧暦2月にある重要なものを失ったでしょう、でもその後、神のおかげで見つけたでしょう?」と言い出しました。急にこの話を聞いて私はびっくりしました。よく考えてみると確かにそのようなことがあったのです。

 それは冬休みが終わって学校に戻った初日のことでした。まだ寒く私が下宿している学校の寮のベッドがちょうどドアの前にあるので、朝7時に冷たい風に吹かれ目覚めました。なぜドアが開いているのだろうと思ってベッドから降りてドアを閉め、また寝ようと思ってベッドに戻ってみたら、枕の隣に置いてあったはずの財布がなくなっていました。財布の中には身分証明書と合格証明が入っていて、いずれもガイドの資格証を取得するのに必要なものです。これらがないとこれまでの努力が水の泡になってしまうので大変焦りました。

 私は学校中のいたるところを探し回り、ごみ箱まで探しましたが、見つかりませんでした。寮に戻って友人に「探し物広告」を書いてもらっている間、私は茫然としていました。ふと神に探すようにお願いしてみようかと思って、「神様、あなた様に何かをお願いしたことはまだありません。これほどのことでお願いすべきかどうか分かりませんが、この証明書は私にとってとても重要な物です! もし見つけてくだされば必ず感謝し、たくさん善行します!」と心の中で念じました。

 そう思うとすぐに私は気が楽になって外をふらりと歩いていました。ある寮に入って同級生がベッドに座っているのを見かけると、彼は私に向かって「誰か俺の携帯を盗んだやつがいるんだ! しかもベッドに知らない人の財布を置いているよ!」と機嫌悪そうに言いました。その財布を見ると、なんとこれは私の財布ではないかとびっくりしました。

 中年の女性が言うには、私の財布が見つかったのは、神が私に善の念が生じたのをみて助けてくれたのだそうです。しかし、彼女はなぜこのことを知っているのか不思議でした(その後、法輪大法を修煉してから、この中年女性に宿命通功能があり、過去と未来を見ることができたのだと分かりました)。中年女性といろいろな話をしました。彼女は道を修めるもので、その師父は小さな白龍であり、私たちは以前に縁があったなどと話しました。

 最初はまだ話に乗っていましたが、聞いているうちに突拍子もない話だと思い、信じられない話ばかりで受け入れらなくなりました。小さいときから祖父母の下で育ててもらって神と天を敬う考えの基礎はあるものの、10年以上にわたり学校で受けたのはずっと無神論の教育でした。中年女性の話はあっちにいったりこっちにいったり、賛同したり疑ったりしてついていけなくなりました。いずれにしても中年女性に未来が分かるならと思い、自分の未来について聞いてみました。

 私は自分が五台山に来た顛末を説明し、良心に反してまで観光客にお金を払わせるのは良くないと思い、今後卒業してもガイドはやらないと決めたと伝えました。また、フランス語専攻のため、アフリカでは多くの国がフランス語を使用するので、自分はこの先アフリカに行く可能性はあるのかと質問しました。中年女性は少し間をおいて、半年後に行けると言いました。

 結局その通りになりました。大学卒業後、つまり2009年9月に私はネットでの応募に合格し、ある企業の採用通知をもらいました。しかもその会社の社長から直接合格通知の電話をもらい、直接アフリカの現地会社の財務兼セールスマネージャーをやってほしいと言われました。給料は年収8万元にボーナスがついてくるので、21歳になったばかりの自分にとっては身に余る話でした。念のため列車に乗って30時間かけてこの会社の本社を訪問し、実態を確認してから出国の準備に移りました。

 海外に行く前に私はあることを事前に決めました。それはどんなことがあろうと、長くても2年、つまり2012年までには必ず家に戻る予定でした。なぜなら、育ててくれた祖父母はすでに高齢で、私が2人の介護をして親孝行を尽くす必要があると考えていたのです。もう一つの理由は、私はその当時2012年に世界が大きな災いに遭うという予言を信じていたのです。どのような災いになるかは全く思いつかなかったのですが、人の道徳が落ち、資源が消耗され人間はどんなこともやりかねないので最後は必ず家族のそばにいてあげたいと思いました。

 あっという間に2年が経とうとしました。会社の社長は私が仕事能力が高く、若くてフランス語も上手だと思い、どうにか私に現地にそのまま残ってほしいと言ってくれました。3年以降その会社で勤めたら副社長に昇格のうえ、給料は年収15万元まで昇給するほか、乗用車まで手配すると言ってくれたのです。しかしそれでも私は帰国する決定を覆しませんでした。最後に社長は私に、いずれにしてもここにあなたのポジションは残しておくから、帰りたいときは帰ってきて、とまで言ってくれました。

 アフリカに滞在した毎日は同じ日々でした。周りは中国人に囲まれ、テレビをつけると中国国営放送、ネットに上がっても中国の検索エンジンでニュースを検索したり、ウェイボーやQQといった中国のアプリを使ったりしていました。会社に行くときは外に出て町中で黒人を見かけ、初めて自分がアフリカにいることに気づくほどでした。

 このような生活が帰国する2カ月前まで続いていました。時差の関係で私はよく高校の同級生とスカイプで雑談していました。彼は中国国内で映像制作会社で編集業務をやっていますが、昼間は撮影のため彼は夜に編集の仕事をするので、ちょうど私の時間と合います。彼の話によれば、現地では「抗日戦争ドラマ」をたくさん撮影していますが、現地に行って初めて歴史の事実を知ると、なんと教科書で教えている内容は全部共産党がでっちあげたものばかりだというのです。また、ある日彼が私に中国経済の真相に関する報告書を送ってくれました。その内容を読むと、なんと中国の経済の好転は実は嘘で固められていることが分かりました。ドラマ撮影と経済の情報ですらウソを作るのだから、歴史上の政治事件も実はウソではないかと思うようになりました。そこで同級生からこのような情報を知りたければグーグルで検索しないかと言われました。実は私はその時初めて中国がネット封鎖をしていることを知りました。アフリカで2年間滞在しているのに、いつも百度を使っていますが、グーグルを使ったことは一度もありませんでした。

 同級生に言われたようにグーグルで「文化大革命」、「大躍進」、「3年大飢饉」、「天安門事件」、「法輪功迫害」などのキーワードを検索しました。法輪功については天安門焼身自殺事件の真相を暴く動画を見てから、私はこの上なく動揺しました。私はずっと虚言の中で生きてきたのだと初めて気づきました。私は動画をダウンロードして同僚たちにも見せ、みんな大変憤慨していました。数万に上る法輪功学習者(以下、学習者)の臓器が生きたまま摘出され売買されているという臓器狩りの報道を見たとき、こんなことはあり得ないと思いました。学習者は迫害され、ひいては拷問にあっているだろうとは思ったものの、まさか人間の臓器を生きたまま摘出することなど考えることすらできませんでした。しかし残念なことに、私が中立の立場でいろんな証拠をみて分析してみたところ、臓器狩りは紛れもない事実だと認めざるをえなくなりました。

 帰国する数日前、私は再び虚言の環境に戻ることを不安に思い、VPNソフト(中国国内にいながら海外のサイトを訪問できる)をダウンロードしてハードディスクに入れて帰国しました。

 2年ぶりの帰国後、私は極端から極端に走り、放蕩三昧の日々を送るようになりました。しょっちゅう友人と遅い時間まで酒を飲んで生活の虚無感を埋めようとしました。しかしこのような生活から幸せは全く感じず、酒席での会話の内容にも嫌悪を感じるようになりました。ある日友人から聞いた幼稚園児の話を境に私は人生について考え直すようになりました。

 友人によれば、ある幼稚園に通う5歳の子供がいますが、毎日父に電動バイクで幼稚園まで送迎をしてもらっていた子供は、ある日の朝、どうしても幼稚園に行きたくないというようになりました。両親が色々話を聞くとやっと原因が分かり、前日に5歳の息子がほかの子供に貧乏だから電動バイクしかないのだろう? 自分の親は毎日車で送迎しているよとばかにされたようです。仕方なくこの子の父は借金までして車を購入してやっと子供が幼稚園に再び行くようになりました。

 拝金主義で道徳が喪失している中国を見て、自由で民度の高い海外と比較し、なぜアフリカ、チベットなどのような貧しい地域の人たちは生活が苦しいのにみんな毎日楽しそうに生きているのだろうか。人の一生はただ名利のためだけに生きているのだろうか、と考えるようになりました。

 私はいろいろ考えた結果、これらのすべての問題の根源は、ほとんどの中国人に信仰が欠如していることに起因しているのではないかと気づきました。1949年以来、中国共産党(以下、中共)は度重なる政治運動を通じて中華民族の伝統的な信仰を断ち切り、学校では意図的に無神論と唯物論の思想だけを教えました。1990年代以降はさらに拝金主義に人々を誘導してきました。いろんな誤った導きにより人々はこの生き方しか知らなくなりました。これは伝統的な文化を守ってきた台湾とは全く対照的な存在になりました。

 これらの束縛を断ち切るには、失われた信仰を取り戻さなけばいけないと思いました。2012年明け、私はネット上で、魂と輪廻に関する科学者の研究に関する情報を読みました。長い間、迷信であると学校で教えられた私はこの情報に触れてやっと考えの限界を突破できました。どうやら中国の学校では共産党の理念に合うものであれば科学であり、そうでないものは科学として教えていないことが分かりました。宗教のいうことはいずれも本当でした。信仰とは修煉であり、修煉も本当に存在していたのだと分かりました。

 ではどうすれば修煉できるのでしょうか? どこで教えてくれる師父を探せばよいのでしょうか? 佛教はもうだめだということは五台山を訪れた自分にはよくわかりました。道家の本も古文ばかりで読めませんでした。『聖書』は西洋人のためにあるもので自分には合わないと感じました。そこで気功を思い出して祖母が昔やっていた気功を教えてもらい、やってみましたが、探していたものではありませんでした。

 その当時私は台湾の友人と一緒にビジネスをやっていましたので、台湾の人に、お勧めの気功はないかと尋ねました。その人はいろんな気功のサイトを送ってくれましたが、あまり満足のできるものはありませんでした。ある日この人があるサイトのリンクを送ってきて、これを見てみたらどうか、台湾ではたくさんの人がこれをやっているよと言ってくれました。開いてみると、法輪功のサイトでした。

 私は毎日VPNソフトでネット封鎖を突破するためのサイトに入りますが、法輪功の情報はそのサイトのど真ん中にありますが、あたかも何かに阻まれていたように一度もクリックしたことはありませんでした。今日は友人に送ってもらって最初は見るかどうか躊躇しましたが、中国で臓器狩りなどの残酷な迫害にあっているにも関わらず台湾と欧米では多くの知識人がやっているのでやはり見てみようと思って見ることにしました。

 法輪大法の書籍のページ(日本語版はこちら)を開くと、数十の書籍名が並んでいました。なんと法輪功はこんなに本が多いのかと考えているうちに、『米国法会での説法』というタイトルに惹かれました。アメリカで気功を伝えるならどんな内容だろうと思って開いてみました。

 今でも覚えていますが、説法を読むにつれ、私は電撃されたような感覚を覚えました。人生の中の疑問が次から次へ解かれ、興奮で驚愕しました。人類文明の古今東西、宇宙空間の存在形式、人体修煉の奥深さ、俗世で修煉できるなど私が追い求めていた内容はすべてここにあるのです。法輪功の師父は簡単な言葉でそれらをすべて話していたのです。

 私は一気に『米国法会での説法』を読み終え、すでに真夜中の3時になりましたが全く眠気がなく頭ははっきりしていました。私はやっと自分に修煉を教えてくれる師父に出会えました! 私は法輪大法を修煉したい! そう思って私はベッドで跪き、涙を流しながら両手を合わせ、心の中で師父に対して「どうかわたしを弟子にしてください。どんなに苦しくても私は必ず師父の下で修煉し成就したいです」と念じました。

 師父は『轉法輪』の中で、「返本帰真することこそ、人間としての本当の目的です。したがって、ある人が修煉しようと思うと、佛性が現われて来たと認められます」、「佛性がひとたび現われると、十方世界を震わす」、「真・善・忍という特性は、宇宙の中の善悪を判断する基準です。善し悪しはそれによって量られます」、「また低下した道徳水準で自分の行動を判断し、他人よりましだと思っている人もいます。判断の基準まで変わったからです」、「一人の修煉者として、あなたがこの特性に同化すれば、得道とくどうした者となるのです。理はこんなにも簡単です」とおっしゃいました。師父の説法を読んで私は大変感動しました。これこそが自分が小さいときから求めてきた法ではないでしょうか。真・善・忍はまことの法です。やっと見つけました。師父がおっしゃったように、私は長年自分が善良で、同年代の人より良いと思っていましたが、しかし本当の基準である真・善・忍と比べるとまだまだ大きなギャップがあります。私は本当の修煉者になろうと決意しました。

 修煉してから私は常に師父の教えである真・善・忍に従って行うようにしました。ウソ偽りは言わない、人に対して優しく、もめごとにあっても争わないように、自分の責任を人に転嫁しないように、何があれば常に自分の問題を見るようにしました。

 仕事も一生懸命真面目にやって人に対して寛大になりました。修煉してから、2人の社長から数万元の給料の未払いがありましたが、私はただ会社の経営だけ心配し、自分の損失は全く気にしませんでした。私の言動を見た同僚は、「人を侵害する心はあってはならないが、人からの害悪を防ぐ心はなくてはならないというが、あなたには全くそれが効かなくなりますね。みんながみんな法輪功をやっていたら社会はどんなに良くなることやら」と言ってくれました。

 家では老人の介護をして、家族の関係が良くなるように我慢強い心を養いました。修煉してから間もなく祖父が病気で半身不随になりました。父とおばさんたちが仕事に集中できるように、私は自ら祖父の介護を担うようになりました。昼は食事を食べさせ、体をふいてあげたりしますが、大小便を失禁するようになったため排便を助け、夜は隣で寝て時間が経てば寝返りする時に体の向きを変えたり、皮膚が長時間敷布団と接して蒸れないように気を使いました。

 祖父は病気になってから人が変わったように、自分の感情をコントロールすることができなくなりました。しょっちゅう怒り出すようになり、私がどんなに心を尽くして介護してもいつも不平不満を言って罵りました。ご飯を食べさせても嫌がって食べたものを私に向かって吐き出しました。でも私は怒ったりせず、これらをすべて修煉における心性向上のチャンスととらえ、いつも笑顔でご飯を食べさせてあげました。ある日私は『轉法輪』を読んで聞かせたところ、怒り出して「どけ! 向うへ行ってろ!」と怒りました。祖父が落ち着かないのを見てとりあえず本を読むのをやめました。翌日祖父は私を呼びつけて、「昨日は悪かった。あんなに言ってごめんね。師父に謝ります」と言って左手を胸の前において優しい表情で言ってくれました。祖父がこのように変わったのをみて私もびっくりしましたが、「師父は衆生済度に来られたのですから、きっと師父はおじいさんのことを怒ったりはしませんよ」と言いました。

 祖父は病床に伏して10カ月後に静かにこの世を去りました。家族のみんなは亡くなってから祖父の夢を見ないとを言っていましたが、亡くなって1周年の日の夜、私ははっきりと祖父が自分の身の近くまで寄ってきた夢を見ました。祖父は若くなり、眼鏡をかけていました。祖父は私を客間から寝室まで呼びつけ、「法輪大法を教えてくれてありがとうね。これから良いところに出発するので、必ずおばあさんにも法輪大法のすばらしさを教えてあげてね」と言って去りました。朝起きて、夢で見たことを祖母に話したら、祖母も私と同じように夢でおじいさんを見たと言ってました。しかし祖母はおじいさんが少し離れたところから笑顔で手を振ってから消えたと言いました。

 法輪大法は私の人生を有意義なものに変えてくださり、もはやさみしいとか、空しいとかといった感情を感じなくなり、心と体もよくなり、毎日楽しく生きられるようになりました。修煉してから私は簡単にたばことお酒をやめました。また、長年テレビゲームをやってきたため首の痛みがずっと続き、首を曲げると音をたてたり大変痛かったのですが、煉功してから数日で良くなりました。夜更けのせいか心臓の鼓動も一定ではなく、何度も病院で治療を受けましたが効果がなく、原因すら分かりませんでした。しかし大法を修煉してから完全に治り、それから全く再発しなくなりました。

 佛教の経典では、3000年に一度開くという優曇華の花が開いたとき、それは未来佛である転輪聖王が世に下り衆生済度をするときだと言われています。2014年、うちの瓜に神聖な優曇華の花が開きました。私は瓜の皮を切って保管しました。3年たつと瓜の皮は水分がなくなり木のようになりましたが、優曇華の花は当初咲いたままでした。

 3年間静かに咲いた優曇華の花

 修煉して分かったのですが、空間が異なるため天上の時間は地上の時間とは異なります。当初釈迦牟尼が弟子たちに説法した「56億7000万年後に弥勒仏が世を下る」というのは、まさしく地上の時間である2500年後の法輪大法であることが分かりました。佛家は縁を重んじますが、56億7000万年を経て、私はやっと佛縁を結ぶことができました。今生に一切悔いはありません。

 2015年5月1日、中国最高検察院最高法院が「訴求あれば必ず受理する」という通告を出しました。中華民族の末裔として、民族の災いに際して必ず歴史的責任を負わねばならないと思いました。大法の修煉者として、すべての正の要素に対して責任を負うべきだと思います。6月、私は実名で元中国国家主席・江沢民を訴える訴状を提出し、江沢民が法輪功への迫害において犯した罪の数々を訴えました。

 今から振り返れば、もし1999年に江沢民による中国での1億人に上る学習者への迫害がなかったら、おそらく10年後私が大学に通うとき、学校の先生は軽い気持ちで56億7000万年の予言をしなかっただろうし、多くの受講生が自然に大法の修煉に入ったことでしょう。少なくとも私はきっとそうしただろうと思います。

 師父は『洪吟(三)』の「私は誰か」中で次の歌詞を書きだされました。「天地は広々として果てしなく、私は誰なのか幾度の輪廻を経たかは覚えない 苦難の中で助けもなく迷い続け 待ち望む心はこれほど疲れはてる 暗夜に流れ出るのは世の変転の涙 真相を見たその時 名を馳せる大法を見つけたその時 自分が誰だったかを知り 私は神の路にて奮い立ち 追いかけるべきだと分かった」

 人間の一生ははかなく、この世にもって来られるものや持ち帰れるものは何一つありません。私は24歳のときに観念の障碍を突破して本当の自分を見つけ、人類の末期のこの最後に大法を得ました。あなたは追い求めているものを見つけましたか?

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/14/346775.html)
 
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