文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年4月15日】『リトル・マーメイド』という外国のアニメ映画があります。主人公のマーメイドは王子を追いかけるために陸に上がりましたが、最終的に王子に選ばれず、海に戻るチャンスを諦め、泡となって永遠に消えてしまいました。
これは原作のストーリーではありません。原作では、考えることが大好きなマーメイドは、15歳の時に初めて海面に浮かぶことを許され、そこで水に落ちた王子を助けました。ハンサムな王子に心を動かされたものの、それが陸に上がる決意に至った唯一の誘因ではなく、彼女の人間に対する憧れも深まったのです。好奇心に駆られたマーメイドは、祖母に人間の話を聞かせてほしいと頼みました。そこで、祖母はこう言いました。「マーメイドは人間より長生きできるが、人間には不滅の魂があり、たとえ肉体が土に帰っても、魂は永遠に生き続けるのよ。この不滅の魂はマーメイドにはない。マーメイドは死後、水面に浮かぶ泡となって消えてしまうの」。これを聞いたマーメイドは悲しくなり、「不滅の魂を手に入れる方法はないの?」と聞きました。祖母は微笑みながらこう答えました。「1人の人間の愛を手に入れることができたとき、あなたも本当の魂を持つことになるのよ」
そこで、マーメイドは魔女と取引し、自分の声を犠牲にして魚の尾びれを人間の足に変えてもらいました。彼女がこの決断を下したのは、不滅の魂を手に入れるためであり、単に王子の愛を得るためではありませんでした。魔女は「王子の愛を得られなければ、あなたは水面の泡になってしまう」と言い聞かせましたが、愛らしくて思慮深いマーメイドは迷うことなく決意しました。
最終的に、王子は隣国の王女と結婚しました。妹を救うために、マーメイドの姉たちは自分たちの美しくて長い髪で魔女とナイフを交換し、「これを王子の心臓に突き刺し、王子の血があなたの足に流れ込むと、再びマーメイドに戻れる」と妹に教えました。
新婚初夜、隣国の王女と結婚した王子は深い眠りにつきました。愛を得られなかったマーメイドは憎しみを抱かず、王子を傷つけることも選びませんでした。彼女はナイフを海に投げ捨て、後悔なく海に飛び込んでいきました。
「マーメイドが泡に化した」、これはほとんどの人がイメージする結末です。しかし、原作はここで終わるのではなく、驚くべき転換が訪れました。太陽の光が冷たい泡を柔らかく照らすと、マーメイドは滅びを感じず、自身がより広く、より深くなったと感じました。実は、精霊たちはマーメイドの優しさと無私の心に感動し、世間を300年漂った後、不滅の魂を得ることができると彼女に約束したのです。
これが原作の最も感動的な部分です。マーメイドは優しさと無私の愛ゆえにすべてを諦めましたが、最終的には求めることなく得られ、永遠の魂を手に入れました。結局、人間としての一生において、長い愛の道のりは、ただ一種の特別な試練に過ぎないのです。
ここで、私は師父が『洪吟六』で書かれた歌、「生命のために歌う」を思い出しました。
五千年の文明は、天に帰る大道
多彩で美しく、神もこのため感心している
古くからの智慧は、神が指し示す道
現代観念と行為は、魔徒そのものである
無神論、進化論は、毒を放ち
伝統を放棄すれば、まるで枯れた湖である
世人の多くは神が転生し、創世主を待っていた
天に帰ることこそ、あなたの幸福
私たちは、救い済度するために舞う
慈悲を込めて、一つ一つの音符を演奏し
創世主は私に歌わせ、救い済度させる
私はこれまで、なぜわずか5千年だけの文明の中で天国に帰る道があるのかとずっと理解できませんでした。この物語を読んでから、その理由が分かりました。おとぎ話の形で地上で語り継がれたこの物語を通して、私は師父の世人に対する愛、教え、および呼びかけを感じ取りました。
師父は私たちにこのように教えられています。「しかし、真の向上は放棄することであって、得ることではありません」(『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」)。法理から私が悟ったのは、この放棄は物質の所有を放棄するのではなく、自分の私心や貪欲を放棄し、新しい宇宙の基準に到達することなのです。
ここで、私は昔のことを思い出しました。かつての私は住む家がなく、家を買うお金もありませんでした。この問題に対する両親の態度は毎日変わり、買うべきと言ったり、買わない方が賢明と言ったりして、私の心も揺れ動いていました。ついにある日、私は考えが固まりました。「修煉者として、私は法に従って行動すべきだ。買うより借りればよい。生活が苦しくても恐れる必要はない」。師父はこのようにおっしゃっています。「あなたが元へ戻りたければ二つの要素を備えなければならず、一つは苦しみに耐えること、もう一つは悟ることです」(『シドニー法会での説法』)
私は心が決まりましたが、両親はまだ買うか買わないかで言い争っていました。というのも、義姉が大病を患ったことがあり、父は家の貯蓄を義姉の病気治療のために残しておきたく、つまり私に渡せないと言いました。私は感動し、父にこう言いました。「お父さんの考えは素晴らしいです。義姉が実の娘でなくても実の娘のように扱い、お父さんは素晴らしいです!」。私はこの言葉を口にしたとき、心が温かくて、本当に義姉のことを思っていました。
その後、家族会議が行われ、必ず私に家を買ってあげるとの結果になり、すぐに一括で買ってくれました。その時の自分の心がなぜあんなに純粋だったのかを振り返ってみたところ、自分が修煉者であり、師父のお教えの通りに行動すべきだと思いついたからです。
師父はかつて私に慈悲の状態を感じさせて下さいました。それは言葉では表現できないほど温かくて柔らかなエネルギーであり、心が喜びと平和で満たされていました。その時、私は「利他的な境地はこんなにも美しいものなのだ」と感嘆しました。
神韻芸術団は毎年、伝統的な物語を舞踊で演出しています。『寒窯』では宝釧の堅持、民国の将軍による家族を守り、国を守る姿が描かれています。生命は異なる時代に生き、異なる役割を演じていますが、根底には常に一つの真理が語られています。それは、無私と善良さこそが永遠の存在であり、それが未来に入る基準であるということです。
五千年の物語には、師父のどれほどの苦心が注ぎ込められているのでしょうか。私は師父の深い愛を感じました。修煉の道を歩みながら、私は大法の真・善・忍を実践し、師父の愛を伝えています。