文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年8月22日】私は中国共産党当局に不法に有期懲役を科されたことがあります。留置場での日々は苦しかったのですが、善良な検察官や、警官を含めて、そこで多くの親切な人たちにも出会いました。彼らの多くは、本心から法輪功学習者を迫害したいのではないのです。邪悪な環境下で、仕方なく命令に従っているだけなのです。
派出所の隊長:「本当はあなたを逮捕なんかしたくない!」
L隊長は、私を逮捕する行動を仕切った人物であって、彼らは我が家から多くのものを押収しました。取り調べの時、私は一言も喋らず、すべての質問に沈黙を守り、また、どんな書類にもサインをしませんでした。
後日、Lは、私と2人きりになった時、「あなたの経歴を見てから、あなたを人としてとても尊敬するようになりました。もし外の世界にいたら、私とあなたとは友達になれたかもしれません」と言いました。私は、「今だって友達になれますよ」と言うと、Lは「いや、あなたは法輪功学習者で、私は中国共産党の党員です。法輪功学習者と友達になることを同僚に知られたら……」と答えました。
私は彼に、先ず法輪大法の素晴らしさを伝えてから「公務員終身責任制度」と、「将来、法輪功の冤罪が晴らされる時、あなたは法によって罰せられます」と教えました。Lは、「私は上の〇〇さんの命令に従ってあなたを逮捕したので、自らの意思で逮捕したいわけではありません」と言ったので、私は「上から『逮捕しろ』と言われた証拠はありますか? 上層部の命令に従うといっても、実際に逮捕を実施したのは、あなたなのです。ですので、あなたには大きな責任があります」と答えました。
翌日、彼はまたやって来ました。50歳近い立派な男ですが、泣きそうな表情で「もう限界です。もう36時間も飲まず食わずで寝てもいません。あなたの案件のことで、本当につらいです。あなたが、もし資料を配っていなかったら、こんなことにならなくて済んだのに」と言いました。私は「真相資料を配るのは衆生のためです。資料を配ること自体は違法でもないですが…」と言いました。
私が留置場に勾留された4、5日の間、Lが良心の叱責を受けていることがよく伺えました。一人の人間として私を逮捕したくない一方で、臆病で上司の命令に逆らえないLがいました。彼の部下も大半が、彼の仕事に協力していません。多くの部下は、多かれ少なかれ法輪大法の真相をある程度知っていますので、迫害に加担しようとする人はいません。心の不安を補うためか、私が留置場で何も飲まず何も食べないでいるのを見て、Lはよく自腹でケーキや牛乳などを買ってきてくれますが、もちろん私は何も受け取っていません。
なんと悲しいことでしょう。Lは、心から私を迫害したくないにもかかわらず、受動的に迫害の手先になりました。しかし、こうしてでき上がった事実は、決して書き換えられることはできないのです。
家宅捜索の時、警官は私を守った
家宅捜索された時、ある警察官は勇敢に私を守りました。彼のことをAさんと呼びましょう。他の警察官が捜索しようとすると、Aさんは、「私にやらせてください」と言って立ち上がりました。Aさんは、戸棚から法輪大法のお守りが入った透明なプラスチックの箱を取り出したのですが、また戸棚に戻しました。その時、傍にいた私は一部始終を見ていました。
また、ある警察官が、私のiPad、ハードディスク、MP4(中には大法関連の資料が入っていた)を引出しから取り出してテーブルの上に置きました。「これらも押収します」と言いました。すると、Aさんはそれらを一つずつテーブルの下の仕切りに移しました。そして、「これらは押収しなくてもいいです」と言いました。しかし、別の警官がまたそれらを持ち出したのですが、Aさんはまた何も言わずに、ハードディスクとMP4を下の仕切りに戻しました。結局、ハードディスクとMP4は持ち去られなかったのです。
Aさんが捜索した時、目につくところにあるもの以外は手をつけませんでした。例えば、ノートパソコン、大きなペーパーカッター、大きなホッチキスなど、全然触っていませんでした。家にあった物も、元の場所から動かされていませんでした。
留置場の職員:「彼女を釈放して」
数日後の夜、私は地元の留置場に連れられて行かれました。留置場の受付の担当者は、調書を読んだ後、私を連れてきた警察官に、「コロナが流行っている時に法輪功を逮捕するなんて、何の意味がありますか。すぐに彼女を釈放するようにと上司に言いなさい」と怒りながら言いました。
そして、その警察官は弱々しくこう言いました。「彼女を逮捕したがるのは、私たちではありません。上の支局がそうしろと言ったからです」。受付担当は、「『パンデミック時期は、法輪功を受付けない』と上司に言いなさい。彼女を釈放しなさい!」と警察官に教えて、最後に調書に不備がある理由で、私の入所を拒否しました。しかし、地元の警察署は徹夜で調書を書き直すと、翌日、やはり私を留置場に入れたのでした。
入所して約1時間後、一人の女性職員が来て、私に簡単な質問をしました。「ここで毎日煉功をしたいので、止めないでください」と言おうとした時、意外にも女性職員は、「あなたは、ここで煉功してもいいし、ほかの人に法輪功を教えてもいいです。但し、彼女たちに、押し付けることはしないでください」と言いました。私は「心配しないでください、押し付けたりはしませんから」と言いました。その日から、私は毎日『轉法輪』を暗唱し、煉功と発正念をして、同室の数人に真相を伝えまいた。
また、廊下を巡回する若手の職員たちも、とても親切でした。よく私の部屋の柵の前に来ては、数分間私とお喋りしながら、法輪功の真相を聞きました。留置場の規定では、職員は各部屋の前に長く留まることができないのです。そのため、職員らは毎回私の部屋の前に数分間しか立ち止まることが出来なかったので、一日に何度も何度もやって来たのでした。私が毎日座禅したり『轉法輪』の暗唱をしたりするのを見て、優しく「お姉さん、疲れていませんか。休んでくださいね」と声をかけてくれました。そこで、若い職員の多くは私のことを「お姉さん」と呼んでいました。邪悪が法輪功を迫害していても、彼女たちは「心の中では真相、善悪を分かっている」と思いました。
看守は上司に「彼女はとてもいい人だ」と言った
その後、私はB留置場に移されました。各部屋の外壁に、部屋の中の人の一般情報と逮捕原因を書いた紙が貼られていました。ある日、ある男性職員が巡回した時、私の情報を見てから、特別に私を呼び出してしばらく話をしました。彼は、「あなたが、ここにいるのを見るに耐えられません。法輪功学習者が信仰を捨てなければ、非常に重い刑罰を言い渡されます。博士号や修士号を持つ大法弟子が、5年や8年の懲役を言い渡されるのを見たことがあり、とても同情しています」と話しました。最後に、「もしあなたが、信仰を捨てることができれば、すぐに出所できると私は保証します」と言いました。しかし、私は「いいえ、自分の信仰を決して捨てたりしません」と答えると、彼は「それは残念です」と言いました。
翌日、彼は椅子を持って部屋の前に座り、私と30分ほど会話をしました。彼は法輪功について多くの質問をしたので、私は一つ一つ答え、天安門焼身自殺事件の真相を教えました。翌日、彼はまた来て、30分ほど話した後、椅子を持って立ち去りました。その時彼はこう言いました。「これ以上あなたと話していると、私も法輪功を修煉したくなります」
B留置場で煉功し始めた時、ここの責任者を含む数人が来て、「煉功してもいいのですが、カメラの前で大きな動きをしないように、カメラは公安局に直結しています。もし上層部に、ここで法輪功学習者が煉功をしているのがバレたら、ただでは済まされないのです。私たちの立場も考えてください」と言いました。それで、私は座禅をして動功をあまりしないようにしました。
ある日、上層部が視察に来たのですが、あの男性職員が同行していました。私が監禁されている部屋の前に来ると、彼は「この人は法輪功学習者で、とてもいい人です」と上層部の人に紹介しました。
(続く)