家族との苦難を乗り越え、人を救い済度の厳粛さを体験
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文/台湾の大法弟子  

 【明慧日本2021年5月19日】私は2020年の夏、台湾の台中市で開催された電話チームの交流会に参加しました。基隆市の修煉者が、中国の派出所に電話をかけて法輪功迫害の実態を明らかにした経験を話したことに感動しました。その年の後半、私はトレーニングを受け、中国の人々に電話をかけて法輪功迫害の事実について話す救助電話プロジェクトに参加しました。

 ある朝、真実の電話をかけようとしたところ、電話回線が使えないことがわかりました。電気通信局に連絡して、翌日に電話線の修理を予約しました。しかし、こんな些細なことで私は父を怒らせてしまいました。

 その日の午後、私がパソコンを使って電話をかけようとしていると、父が「市場にパンを買いに行きなさい」と言ってきました。私は「まず電話をかけてから5時頃にパンを買いに行こうと思っていた」と言うと、突然、父が声を荒げて言いました。「電話掛けなんかして、何でそんなつまらないことをしているんだ!」と。私はこの「つまらない」という言葉に違和感を覚えました。私も声を張り上げて「電話をかけることが、どうしてつまらないことなのか」と言い返しました。父はさらに大きな声で「神韻公演の宣伝やメディアの仕事をするのはいいが、なぜ中国に電話をかけているんだ?」と言い、父と私は何度も口論になりましたが、このとき私は自分が修煉者であることをすっかり忘れていました。

 父は若い頃に軍隊に入って台湾に行き、退職する頃には総統府の政務局の監督官になっていました。父は「台湾にどれだけのスパイがいるのか知っているのか? 家族の安全を考えたことがあるのか? 孫はよく中国に出張しているが、母親として心配ではないのか? どうしてそのような電話をかけることができるのか?」と言いました。私は、父が現地の電話回線の故障は私のせいだと思っていることを知っていました。だから私は泣きながら「いいよ、じゃあ帰るよ」と叫ぶと、心優しい父が私に「すぐに出て行け」と言ったことが信じられませんでした。

 玄関を出た後、私は何人かの修煉者に電話をして、父とのやり取りを話そうとしました。しかし、電話をかけても出なかったり、回線が混み合ったりしていました。私は、車の中で正念を発して、落ち着いてから、なぜ同修が電話に出てくれないのかを考えました。ある考えが頭をよぎりました。これは私が自分で乗り越えなければならない試煉なのです。

 2010年夏に法を得て以来、さまざまな試煉を乗り越えてきました。夫からは離婚を迫られ、両親からは法輪大法の修煉を諦めろと言われたこともありました。私はこれらの状況に憤慨して耐えました。私は4年間、大法のメディアのプロジェクトに携わってきました。ある時、私が体験談の中で何人かの修煉者に欠点があるとほのめかしたため、プロジェクトの協調人から修煉者に謝罪するよう求められました。私は心の中で憤りを感じながらも耐えていましたが、耐えきれずにメディアチームを去ることになりました。

 今回の父の言葉は、私の心の中にあった過去の恨みをすべて呼び覚ましました。

 師父の経文を思い出しました。

 「忍とは心性を高める鍵です。怒り恨むこと、不平、涙をたたえて忍ぶことは常人が世間体に執着する忍です。まったく怒り恨むことがなく、不平に思わないことこそ修煉者の忍なのです」 [1]

 私はよくこの法を唱えますが、父と口論したあの時はこの法を忘れていました。自分への執着、面目を失うこと、名声、利益を求めることなどが表面化したのです。

 徐々に落ち着いてきたとき、私は自分に「もう逃げてはいけない。同修に頼ることなく、勇気を持って立ち向かわなければならない。自分の執着を抑え込むのではなく、手放すべきだ」と考えました。私は家に戻り、父に謝りました。父も私に謝りました。

 父に携帯電話の安全性を説明すると、電話をかけることに口を挟まないと約束してくれました。翌日、修理技術者が来て、不良信号カードを交換した後、電話回線は繋がりました。

 師父は「修煉ということは、遊びごとではなく、常人の中の技能でもなく、非常に厳粛なことです。 修煉するかしないか、修煉できるかどうかは、すべて自分の心性をどうやって向上させるかにかかっています」 [2]と説かれました。

 毎晩、救助電話チームで分かち合うとき、同修たちがすべての電話番号を大切にしていることがいつも感じられます。彼らは、確かな事実に基づいて、整然と人々に語りかけます。彼らは、真実を理解していない人々の侮辱に直面しても、平和的かつ合理的に真実を明らかにしています。多くの人が電話を切っても、彼らの心は動かないのです。これが修煉ですね。これが修煉です! これが人々への思いやりです。子供の遊びではありません。しかし、私は両親の前で本当にひどいことをしてしまいました。

 このような素晴らしい修煉の環境を按排してくださった師父に感謝しています。また、真実を明らかにした経験を無私で共有してくれた同修に感謝します。

 最後に、師父の『洪吟二』の中の「堅定」という詩を同修と復習したいと思います。

 「覚悟した者、世を出で尊師と為り 精進する修煉者、心を篤く、圓満に向かい 巨難の中、必ず確固たる意志で 精進の決意は変わらず」

 師父に感謝いたします! 同修に感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「忍とは何か」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/7/421135.html)
 
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