【明慧日本2024年10月6日】佛家の教えに「善には善の報いがあり、悪には悪の報いがある。報いがないのではなく、時がまだ来ていない」とあります。善行を行ったとき、すぐにその良い報いが現れないことが多いため、焦る人は善行を行わなくなります。一方、悪行を行ったときにも、すぐに悪い報いが訪れることは少なく「悪行」によって利益を得ることがあるため、被害を受けた人は悪人に対する報いを信じず、悪人と共に滅びることを願うことさえあります。このような背景から「報いはあるが、時がまだ来ていない」と伝えられています。報いは時間を必要とするのです。時間の試練を経て、人々はこの真理を実感できます。
法輪大法に関する迫害では、この真理が現世で実証されています。ここで、2人の警察官の例を挙げます。ZとM警察官2人は、異なる地区の警察官です。1999年7.20以降、2人とも北京で法輪大法の学習者を連行する任務に派遣されました。最初のうちは2人とも熱心に働きましたが、M警察官は法輪大法の学習者の言動を見ているうちに、彼らは、メディアや上司が言っているような悪い人たちではなく、むしろ善良な人々であることに気づきました。それ以来、M警察官は法輪功の迫害に関わらないようにし、他の警察官が法輪大法の学習者を警察所に連れて来るときは、彼は黙って避けるようになりました。彼は親戚や友人に「法輪功を修煉している人たちはいい人たちだ」と話しました。M警察官の善行により、彼は福報を得て、家族全員が健康で、息子や嫁は卒業後に良い仕事を見つけ、可愛い孫も生まれ、妻は退職後に穏やかな生活を送り、親戚たちもM家族の暮らしがますます良くなっていると言っています。
一方、Z警察官は法輪大法や学習者に対する態度が、M警察官とは正反対でした。Z警察官は学習者を連行し、上司から称賛を受けることで、ますます熱心に活動しました。善悪を区別せず、邪党に従って法輪功迫害の先頭に立って、科長から「610」の責任者に昇進し、最終的には次長級にまで上り詰めました。真・善・忍に敵対する者は、必ず偽・悪・暴の者であり、Z警察官は在任中に汚職や収賄を行い、一時的には「良い日々」を送りました。彼の家庭は毎月、隠し財産を管理するための冷蔵庫や冷凍庫などに多くの電気代を使っていました。娘は贅沢な生活を送り、直轄市の裕福な家庭に嫁ぎ、豪邸に住み、3人の家政婦を雇っていました。娘の夫は名ばかりの職についており、働かずに多くの金を得て、贅沢な生活を楽しんでいました。しかし、その良い時期は長く続きませんでした。数年後、娘の夫の両親が汚職で逮捕され、別荘は夫のギャンブルで失われ、家政婦も去り、夫とも離婚し、子供も夫に見捨てられました。娘とその子供は賃貸住宅に住み、子供が小さいため母親に手伝いを頼みましたが、母親は病気で骨粗鬆症が進行しており、外出できず、転んで骨折する危険がありました。最終的には父であるZ警察官が資金を出して娘に家を買わせることになりました。Z警察官自身は体調が日に日に悪化し、胃腸や心臓に病を抱え、胸全体が苦しく、良い食べ物は少しも食べられない。今ではさらに心臓ペースメーカーを装着し、集中治療室に横たわり、命が危うい状況です。
善悪には必ず報いがあるのが天理です。法輪大法を大切にし、大法弟子を善く扱う警察官は平安で幸せな生活を送り、法輪大法とその弟子を迫害する警察官はその家族にも災いが及び、親族までも苦しむことになります。