【明慧日本2024年10月21日】私は10歳の大法弟子です。幼い頃から母は私に真・善・忍の原則を守るように教えてくれました。大法の保護のもと、私は健康で幸せに成長しました。
一、ためらわずに心性を養う
最近の子供が汚い言葉を使うのは珍しいことではありません。彼らはそれが普通だと思っているかもしれませんが、私はとても不快だと思います。クラスのいたずらっ子たちは私に汚い言葉を添えた醜いあだ名をたくさんつけました。数人のクラスメイトを除いて、クラスの50人以上の生徒のほとんどが私のことをそのあだ名で呼んでいました。これらのあだ名は数日ごとに変わり、さらに不快なものに置き換えられました。私は師父の法を思い出して耐えました。私の机の後ろに座っていた小さな男の子は毎日私の髪を引っ張っていました。私は師父の法に従い、内に向かって探すと、彼は私の髪を引っ張るのをやめました。
私のクラスの2人のクラスメイトは怠け者で、教室を掃除する番になっても掃除をしませんでした。そのたびに彼らは私に掃除をさせ、結局私は3人の仕事を1人でやることになりました。学期中、私はずっと彼らの代わりに掃除の仕事をしました。それを知った母は感動しました。私は母に言いました。「誰が教室を掃除するかは問題ではありません。私は怒っていません」。師父の子供弟子でいるのは簡単ではないことは分かっています。すべては法に従って行わなければなりません。
二、正念を発し、悪霊を滅する
私たちの学校では毎週月曜日に国旗を掲揚しており、そのたびに私は正念を送りました。ある時、国旗掲揚の式典中に、さらにステップが追加されました。校長が演説し、中国共産党に関するいくつかのことを話しました。私は目を閉じて、生徒や教師に害を及ぼさないように強く正念を発しました。
突然、私は「わあ!」という声が聞こえ、ゆっくりと目を開けると旗が落ちていました。旗を留めていた鎖が切れていました。本当に信じられませんでした。
4月4日は清明節(中国の伝統的な祭り)です。その前日、学校では共産党の祖先を追悼する行事があり、国旗が掲揚されることになっていました。私は、どこかの指導者がまた中国共産党に関する話をするのだろうと思い、階段を降りながら正念を発し続けました。目を閉じると、赤い龍が一団の神々と戦っているのが見えました。赤い龍はすぐに倒されました。目を開けると、金色の龍が旗竿に巻き付いていて、その爪が旗を留めている鎖に軽く触れ、旗が滑り落ちました。旗手がどれだけ頑張って掲げようとしても、旗はどうしても掲げられませんでした。その後、旗が上がらないのを見て、学校の指導者たちは磁石を使って旗を持ち上げました。
時々、月曜日の天気が悪いときは、室内で国旗掲揚をすることがありました。そのたびに国旗に向かって正念を発したのですが、一度、パキッと音がして国旗が落ちてしまいました(国旗は壁に釘で留められていました)。後になって、他の教室の国旗も落ちたと聞きました。学校側は国旗を立て直すのを諦めました。
私たちの学校の旗竿は、外で国旗を掲揚すると揺れ続けました。学校の指導者が何度も人を呼んで修理してもらい、何度旗竿を溶接しても、国旗を掲揚すると旗竿は揺れ続けました。体育の授業中、どんなに風が強くても旗竿は動かなかったです。学校の指導者は国旗掲揚式の最中に旗竿が倒れるのではないかと恐れ、生徒たちを近づけないようにしました。私は国旗が掲揚されるたびに正念を発しました。風がなくても旗竿は制御不能に揺れ続けました。学校では毎週月曜日に国旗掲揚式を行っていましたが、そのたびに国旗は倒れるか、旗竿に巻き上げられていました。火曜日から金曜日までは旗竿は空のままでした。
昨年、中国共産党がオンライン署名運動を組織したとき、私は母と一緒に毎日正念を発しに行きました。そのたびに師父は私に何かを見せて励ましてくださいました。オンライン署名運動が始まったとき、正念を送りながら、さまざまな業界で働く男女が地獄に報告するために長い列を作り、入り口で小悪魔が彼らを登録しているのを見ました。その後、私は母に、多くの人が中国共産党に騙されているので、早く正念を発して真相を明らかにしなければならないと話しました。
1時間ごとに正念を発したとき、私は大勢の神々が悪魔と戦っているのを見ました。神々の数は多く、果てしなく並び、見えなくなるまで伸びていました。その光景は壮大で、その威力は計り知れません。かつて、母と私が正念を発したタイミングを逃したため、私が正念を送ったとき、数人の神々が悪魔と戦っているのしか見えませんでした。
ある時、老子と孔子が竹林のそばで読書をしていて、とても美しい光景を作り上げているのを見ました。母が、どうして老子と孔子だとわかるのかと私に尋ねました。私は、彼らの横に彼らの名前が書かれていたと答えました。時には龍や鳳凰が見え、時には天界が金色に輝いているのが見えました。
三、大法弟子は自分を卑下してはならない
旧正月の初日、昼食を終えた後、母は私をある同修の家に連れて行き、神韻公演を見に行きましたが、到着したときには設備と信号に問題があり、見ることができませんでした。私はとてもがっかりしました。大法の修煉を始めたばかりの子供や、修煉をやめたがまだ大法に対して正念を持ち、神韻を見たいと思っていた修煉者など、多くの学習者がやって来ました。部屋には20人以上の人がいて、神韻を見るのを待っていました。信号が悪いのでどうしたらよいかと悩んでいました。そのとき、ある年配の同修が「私たちが集まるのは簡単ではありません。この機会に互いに交流しましょう」と提案しました。そこで、即席の小さな法会が始まり、全員が順番に修煉の体験と大法から恩恵を受けたことを共有しました。
その瞬間、私は目を閉じると、部屋いっぱいの天使たちが話し合いをしているのが見えました。背景は黄色に変わり、私たちがいた小さな部屋はもうなくなっていました。その神聖で厳粛な光景に私は深く感動しました。
同修の皆さん、修煉のどの段階にいても、努力を続け、くれぐれもこの機会を逃さないでください!