瞬間の所感
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年11月29日】師父は『大圓満法』の中でこのようにおっしゃっています。「この法は圓容明慧で、動作は簡単精練であり、大道は至簡至易である」[1]

 昔の私は「人生は長いもので、時期によって異なる目標を設定すべきだ」と思い、一歩一歩と目標に到達する方法についても考えていました。多種多様な人や物事を前にして、どう対処していくべきかなどを悩みながら、生活における複雑さと無力さを感じました。人間はいずれ死ぬもので、死後はどうなるのかと考えたこともありました。当惑する中で、私は希望どころか、最後の結末も見えませんでした。

 修煉後、すべてが明確になりました。世の人々はもともと高次元にいた生命で、ここに降りてきてから人間の皮を被り、迷いに満ちた試験会場で数十年の良識のテストを受け、善き者が天国に帰り、悪き者が地獄に落ちることになります。幸運にも大法に出会い修煉し始める者は、大法に同化すれば自分の果位に戻り、圓満成就することになります。これほど簡単なことなのです。そう分かってから、生活はますますシンプルになりました。1日の3食が2食になり、シンプルで洗練された家具と、一つのベッドに1枚のシーツだけがあれば十分です。規則正しく寝起きし、常人社会でのなすべき仕事や勉強をこなせる以外は、黙々と三つのことを行っていくだけなのです。

 問題への対処も簡単になりました。人情のことは断つべきものであれば断ち、絡むことなく、慈悲深く人に接し、報いを求めません。善し悪しは人の評価に任せて、心を動じません。修煉は厳粛で簡単でもあります。師父のご加護と大法による導きがあって、乗り越えることができない関はありません。執着を見つけたら直ちに取り除き、覆い隠さず、弁明もせず、そのための言い訳も探しません。間違いがあればすぐに認め、メンツを重んじません。物事を行うのはよりシンプルです。思いついたことをすぐに行い、閃きがあればすぐに行動に移し、迷わず、優柔不断にもなりません。考えから実行までは一直線でぶらつきません。思想が明晰であれば、書く文章も簡潔になり、主題が明確で、言葉が簡潔でありながら意を尽くしていて、だらだらしてすっきりしない文字もないはずです。

 「簡」 に従って生きていけば、人生は気楽なものです。過去を考えず、未来を憂えず、今この瞬間よくすればよいのです。天象は私の手に負えず、他人のことは私には変えられません。私にできることは自分を良く変えていくことです。縁のある人に会えば真相をはっきりと伝えていきます。返本帰真は人生の唯一の目標です。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『大圓満法』「一、功法の特徴」

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/21/452124.html)
 
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