文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年9月12日】2020年、孫の世話を手伝うためにそれまで住んでいた町を離れて、新しく住む場所の近くで、ある同修に出会いました。ここで彼女はファンと呼ばれています。
ファンは修煉がとてもよく精進できていて、人柄も良いです。その時の私は、修煉状態が良くなかったのです。私のために家で学法グループを作り、一緒に学法や練功したり、人を救うことにも連れ出してくれて、私の修煉状態を大きく向上させてくれました。
このような付き合いをして半年ほど経った頃、ある人の紹介でもう1人、地元の同修で、李姉さんと呼ばれている人が学法グループに入ってきました。当時、李姉さんは病業の関があり、家の修煉環境も良い状況ではなく、近くに同修もいませんでした。ファンは、私と共同で部屋を借りるように彼女を説得し、彼女はその時同意しました。正直なところ、私はあまり納得できなかったのです。当時、自分の心性のレベルを知っていたので、同じ屋根の下に住むと、心性に摩擦が生じることは避けられず、問題が発生すると、乗り越えることができないのではないかと恐れていました。しかし、ファンの面子をつぶさないために、しぶしぶ同意しました。
当時、私は言い訳の出来る逃げ道を作りました。李姉さんがくれた3か月分の家賃を手付かずのままにしておき、いつか一緒に暮らせなくなったとき、家賃の全額を李姉さんに返してあげようと思ったのです。もしも、彼女がそのお金を貰ってくれたら、彼女はそのまま去ることができると思いました。
一緒に暮らしている間、李姉さんは私の心性を向上させ、嫉妬、恐れ、他人を見下すなどの悪い心を見つける機会を確実にたくさん作ってくれました。私が心性を向上させることができた体験のほんの一例を、同修に紹介したいと思います。
ある朝のことです。動功が終わった後、ベッドに座って静功を練り始めました。2人で向かい合って座り、両足を組み始めました。李姉さんは足が落ちないように布ベルトを使って、両足を一緒にました。李姉さんが初めて家に来て学法するとき、両足を2時間以上も組み、学法していたのを覚えていました。当時は凄く羨ましかったのです。しかし、なぜ今はロープで縛られているのだろう。私は冗談半分で、「ほら、まだロープで足を縛っているのかと、天の神様に笑われているよ」というようなことを言っていました。彼女は何も言わず、私たちは静功を練り始めました。
しばらくすると、ふとある考えが頭に浮かびました。「彼女を笑うどころではない。あなたがどれだけ修煉しているのか、彼女よりどれだけ優れているのかを見てみましょう」。
静功を練るとき、他の人は床に薄いマットを敷いて瞑想できるのですが、私はいつもその上に厚い綿のマットを敷かないと、腰椎に硬い棒を当てているようで、耐え難い痛みに襲われるのです。何年も修煉してきて、良い時も悪い時もありましたが、この試練を一度も乗り越えたことがありません。今日の同修の行動を見て、私は彼女にはかなわないと思いました。
修煉者は、苦しむこと、我慢することを恐れてはいけないのですが、私はそれができていませんでした。同修は、まさに鏡のように私の欠点をたくさんさらけ出してくれました。煉功後、私は厚い綿のマットを片付け、「もう二度と使わない」という決意を抱きました。不思議だったのは、再び静功を煉るとき、みんなと同じ薄いマットを使っていたのに、腰が痛くなくなり、10年以上引きずっていた病業の関がその一念で通り過ぎたことです。
この経験を通じて、他人の不手際を見るとき自分のことも考え、反省しなくてはいけないことに、深く実感しました。私たちの心性が法に適合している限り、単純な思いであっても、師父の無限の慈悲によって、私たちの幾世の苦難を解かしてくださいます。私のように精進していない同修は、早く襟を正し、法を正すための限られた時間の中で気を落とさず、よく自分を修め、誓願を果たしてほしいと思います。千年万年を待つ自分を裏切らず、師父の広大なる洪恩と衆生済度に失望をさせてはならないのです。
また、李姉さんとは2ヶ月近く一緒に暮らしました。何度も私の心性を向上させてくれた李姉さんに心から感謝し、私たちは良い関係を築き、最終的に円満に別れました。