文/アメリカの大法弟子
【明慧日本2023年9月16日】 良い生活環境とはなんですか? 良い修煉環境とはなんですか? 良い修煉状態とはなんですか? これらの問題を明確にすることは、私たちの修煉にとても役立つと思い、自分の見解を皆さんと共有したいと思います。
常人が常に良い生活環境を求めるのは至極当然のことです。しかし人間世界は業力が充満しているので、常人は本当の良い生活環境を手に入れることは不可能だと言うことを知りません。本当の良い生活環境はどこにあるのか? 天国にあります。そこは、私たちが円満成就してから行くところであり、そこに執着心がなく無類に美しいところです。一方、本当の良い修煉環境はどこにあるのか、今の人間世界にあります。ここは丹を煉る竈のようなもので、竈の中にあらゆる人心、あらゆるトラブルがあって私たちを煉っています。
しかし、私たちはみんな常人から修煉に入ったため、良い生活環境と良い修煉環境を無意識のうちに混同しがちです。同修の良くない言動を見ると、ここの修煉環境は良くない、より良い修煉環境に行きたいと思ったりします。実はこれは外に目を向け、外に求めることだと思います。
例をあげます。修煉初期の頃、多くの修煉者がこんな話を聞いたことがあると思います。中国のある煉功点の学習者の中に、朝の煉功時間をめぐって対立した意見が出ました。一部の者は早い時間帯を希望して、一部の者はもう少し遅い時間帯を希望します。協調人は頭を悩ませました。開始時間を早くしても遅くしても、半分の学習者を怒らせることになり、真ん中の時間帯にすると、双方を怒らせることになります。最後に、こんな事態が現れたのは皆さんを修めるためだと協調人は悟りました。修煉者は、あらゆる面で他人のことを優先的に考えるべきではないかと協調人が皆と話したら、皆は分かりました。そして協調人が皆に何時がいいかと聞くと、みんなは「何時でもいい」と言いました。心性を高めたら衝突も自然になくなったのです。
一方、協調人は別の方法を使ってこの対立を解決することもできます。それは、煉功点を解散する方法です。煉功点までなくなれば、対立もなくなるのではありませんか? このやり方は馬鹿げているように聞こえますが、しかし現実の中で多くの場合、われわれはこのような方法でトラブルに対処しているのではありませんか? 例えば、大法の仕事をやる中、もしくはほかの場合、相手とうまくいかないと多くの修煉者は嫌がって、チームやプロジェクトから立ち去ることを選びます。これは、自分を修めていないことで、煉功点を解散することと同じではありませんか?
だから、トラブルに満ちた修煉者の群れこそ、あなたの修煉に良い環境を提供しています。但し必ずしもこの群れが良い修煉状態にあるとは限りません。良い修煉状態にあるかどうかは、群れの人々が生じた葛藤にどう対処するかにかかっています。もし全員が内に向けて心性を高める方法で葛藤を解決するならば、それは良い修煉状態だといえます。それぞれのトラブルはそれぞれの執着心を狙って発生しているため、良い修煉状態にある群れに絶えずトラブルが存在するのも不思議ではありません。トラブルが全部解決されれば修煉も完成します。逆に、対立を回避したり隠蔽したりする手段で解決する群れは、いくつかの対立を解決したかもしれませんが、それは偽りの修煉であり、結局は向上できず円満成就できません。
したがって、ある群れの修煉状態を評価する時、トラブルの有無やトラブルの大きさで測るのではなく、その群れにいる一人一人の修煉者が内に向けて探すことができるかどうかで測るべきです。
【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】