——「師父が第二の命を与えくれた、命は延ばされている、天命が尽きた」についての認識
文/天山(中国)
【明慧日本2024年10月22日】近年、大法弟子がこの空間にある自分の身体を迫害され、さらには亡くなる現象が続いています。この中には高齢者もいれば若い人もいます。私たちは、1999年7月20日の迫害が全面的に起こる前の8つの煉功場について調査を行いました。「7.20」以前には30人以上の補導員がいましたが、その半数以上がすでに亡くなっています。そのうち1人だけが暗黒の牢獄で迫害され亡くなりましたが、残りの人たちは自宅で亡くなっていました。一般の学習者の死亡率も似たような状況です。迫害により、亡くなる原因は多岐にわたりますが、法の理解に偏りが生じることが最も大きな原因だと考えています。
師父は「ただし、法を正す勢いが表面空間にやってくるまで、表面空間の中に宇宙の旧い法、腐敗した法がまだ存在しているため、この旧い法は、法を正すことがまだ到来していない、旧い空間の中の全ての生命を制約しています」(『北米での巡回説法』)、「旧勢力は現在、既に全部淘汰されました」(『各地での説法四』「二〇〇三年ワシントンDC法会での説法」)とおっしゃいました。
これにより私たちはこのように悟りました。旧勢力がすでに存在しないとはいえ、法を正すことが到っていない空間(表面的な世間も含む)においては、旧宇宙の法や要素、旧勢力の変異した安排や要素が依然として妨害や破壊の役割を果たしています。
一部の同修は「師父が二つ目の命を与えてくれた、命を延ばされてくれた、天命が尽きた」に対する理解に偏りがあるため、ここでその点について交流し、共に向上することを目的としています。
また、一部の大法弟子は法を得る前に重い病気や不治の病にかかっており、苦しみの中で、または死に瀕した状態の時、大法の修煉を始めました。そして、師父に身体を浄化されて健康に戻りました。そのため、何人かの同修は「師父と大法が私に二つ目の命を与えくれた」とか「私の命はすでに終わるべきものであり、現在の命は師父が延ばしてくれた」とよく言います。また、一部の高齢の同修は「私の天命はすでに尽きており、今の生命は師父が延ばしてくれた」と言うことがあります。現在、私たちは個人修煉と法を正す修煉の視点から、上記の認識についてそれぞれ交流していきます。
一、個人修煉の視点からの認識
師父は次のようにおっしゃいました。「しかし、一部の人は残りの人生が短く、時間が足りないかも知れないという問題があります。法輪大法ならば、この問題を解決し、煉功の期間を短縮することができます。性命双修の功法でもありますので、絶えず煉功すれば、絶えず延長されます。修煉すればするだけ延びるので、根基こんきが良いのにすでに年を取ってしまった人も、これで煉功の時間は足りるようになります。しかし、ここに基準が一つあります。定められた天寿を越えた、延長された生命は、すべて煉功するために与えられたものであり、間違った考えが浮かんだだけで命の危険を招くことがあります。というのは、あなたの生命の過程はとっくに終わっているからです」(『転法輪』「第一講」)
「これからの人生は、果たして後どれぐらい残っているのでしょうか? 本人にも分かりません。ある人は、半年か一年くらいして、数年間治らない重病に罹かかることになっているかも知れません。ある人は、脳血栓やその他の病気に罹って、まったく動けなくなるかも知れません。では今後の人生においてどうやって修煉するのでしょうか? われわれはそれらのことをすべて取り除き、そういうことが起こらないようにします」(『転法輪』「第三講」)
私たちはこのように悟りました。「7.20」以前の個人修煉の時期において、大法弟子の生命の本源や境地、今回人間世界に転生してきた本当の目的などの問題について、師父は講法でまだ開示されていませんでした。そのため、その時期には、私たちは個人修煉の視点から『転法輪』の中の上述の教えを理解していました。すべての大法弟子は高層空間で悪くなって落ちてきた生命体であり、今生はもともと修煉する運命ではなかったですが、法を得て修煉したので、師父が私たちの身体を浄化し、人生の道を変え、新たに修煉の道を安排してくださいました。
法を得る前に重病を患っていた同修や高齢の同修に関して、今生はもともと修煉する運命ではなかったですが、大法を修煉したために師父が彼らの身体を浄化し、回復させたので、師父が二つ目の生命を与えてあげたと私たちは個人修煉の観点から、そういうふうに考えていました。中には高齢の同修で、天命が尽きていたが、師父が彼らの生命を延ばしてあげたと認識していました。「7.20」以前は、個人修煉の時期の視点から、上述の理解は師父と大法に感謝するものであり、個人修煉の時期における大法の要求に合致しており、問題や偏りはありませんでした。
二、法を正す修煉の時期の視点からの認識
「7.20」の迫害が発生した後、私たちの修煉は法を正す修煉の時期に入りました。学法を通じて、私たちは自分の真の生命の源や境地、そして今世で法を得て修煉する本当の目的が徐々に分かりました。この時、師父の法を正す時期の説法を基に、正法時期の大法弟子の視点から『転法輪』の第一講や第三講の上述の教えを再度認識すると、全く新しい理解と変化が得られることが分かります。
私たちは次のように悟ることができます。私たちが生命の最高境界から一層一層下ってこの世に転生して、法を得る前に、師父はすでに私たちにこの世で今回の修煉の道を安排してくださっていました。したがって、今回の人生の道には修煉があります。師父の按排というのは、すべての法を正す時期の大法弟子は、法を正す修煉を通じてすべての異なる空間の身体を高エネルギー物質で転化し、師父が按排された修煉の道をすべて歩み終え、最終的には師父に随って円満成就するのです。
これにより、『転法輪』の第一講や第三講の上述の内容について、法の表面的な文字内容は変わっていないものの、個人修煉と法を正す修煉の視点から認識することで、表面的な文字の背後にある大法の中身が異なることが分かります。その意味や内包はすべて変わってしまいます。
『転法輪』の第一講では、さらに次のようにおっしゃっています。「それはほかでもない、同じ法が異なる次元において異なる変化や現われ方をもち、異なった次元において、修煉者に対して異なった指導作用をなすことができる、ということです」
それでは、法を得る前に重病を患っていた同修と高齢の同修について、法を正す時期の大法弟子の視点から悟ると、師父は非常に昔から、彼らに今生で法を得て法を正す修煉の道を安排してくださったことが分かります。彼らの人生には修煉があり、これは師父によって按排されたものです。師父は彼らに法を得る前に重病によって亡くなることを絶対にさせません。したがって、法を得る前のすべての病気や死に瀕した苦しみは肉体の死亡を引き起こしません。それは法を得る前に、基礎を築くために最大限に業を消去することを按排されたものです。高齢の同修についても、師父は彼らに今生の法を正す修煉の途中で年老いた理由で亡くなることは絶対に按排してあげません。したがって、法を得る前に重病を患っていた同修や高齢の同修に対して、修煉の道を登り続け、人々を救う使命を果たし、師父に随って円満成就することができるかどうかの問題ですが、「師父が第二の生命を与えた」「生命は引き延ばされている」「天命が尽きた」といった問題は存在しません。
現在は法を正す修煉の時期であるため、私たちは大法の法を正す時期の内包を基にして、法を正す修煉の指導とする必要があります。個人修煉の時期の視点から認識した「師父が第二の生命を与えくれた」「生命は引き延ばされている」「天命が尽きた」といった問題を、法を正す時期の法理の中身で修正する必要があります。もし今も個人修煉の時期の視点でこの問題を認識し続けるなら、それは法の理解に偏りがあるということであり、旧勢力の変異した按排を認めることになります。法に対する理解を正し、向上することを怠ると、法を正す修煉に対する大きな潜在的な危険となり、旧宇宙や旧勢力の按排に合致する結果を招くことになります。
結びの言葉
その他にも、法から逸脱した認識が見られました。例えば、身体が迫害された一部の同修は、「自分を師父に任せ、すべてを師父の言う通りにする。師父が私に去って行けと言えば去って行き、師父が私に残ると言えば残る。去るか残るかは師父の決定に委ねる(「行く」というのは肉体の死亡を意味する)」と言っています。一見すると師と法に対して信じていることの現れのように見えますが、実際は法の理解から逸脱しています。ある同修はしばしば、「大法弟子には師父が私たちの面倒を見ているので、問題があっても迫害は許されない」と言いますが、この言葉を口にするだけでは不十分であり、法理に対する深い理解が必要です。
長い間迫害され、あるいは危篤状態にある同修は、次のように考えるべきです。師父は私に何をするように按排しているのか? 師父は私に何をさせたいのか? 法に基づいて、自分が法から逸脱している認識がないかどうかを重視する必要があります。何の執着心をまだ放棄していないかを探すだけでなく、どんな執着心が長い間放棄されずに残っているのかを見つけ出します。その執着心が法から逸脱した認識を引き起こしているのかを確認する必要があります。
さらに、もし執着心によって、大法に合わないことや法から逸脱したことをしてしまった場合、例えば、大法の原則に反する行為や法を破壊する行為(例:法を乱す講演、スパイになる約束する、同修を裏切り、長期にわたる邪悟、男女問題、資金集め、「三書五書」(法輪功をしないと保証することや法輪功に対する汚名することを書く書類)を繰り返し書く、厳正声明を軽視する、大法資源や資金の乱用・私用・浪費、大法弟子を金儲けする対象にし、大法弟子の善良さを利用して不正に利益を得るなど)を行った場合には、それを真剣に受け止め、できるだけ早く法で自分の認識や行動を正す必要があります。厳正声明を発表することから始めて、新たに修煉をし、大法とこの世の人々に対する損失を取り戻すことで、邪悪な迫害を解体し、師父が按排してくださった正しい道を歩むことができます。
以上の悟りには不十分な点があるかもしれませんが、同修の皆様のご指摘とご修正をお願いします。