文/山東省の大法弟子
【明慧日本2024年10月28日】私は75歳です。私と妻が本格的に法輪大法の修煉の道を歩むようになったのは2013年のことです。実は以前、『轉法輪』という貴重な本を読ませていただいたのですが、私たちは工場を営んでいたため、多忙を極め、なかなか本気で修煉することができませんでした。しかし、そんな中、過労や病気で体が赤信号になり、再び『轉法輪』を手にしたのです。その時から、本当に大法の素晴らしさがわかり、「修煉する!」と決意しました。それからは、私の心と身体が共に生まれ変わりました。
周りの同修たちは、日夜人々を救うため、大法の真相を伝えるのに忙しいのですが、私はどう伝えていいのか分からず、とても不安だったので、同修たちについて市場に行き、真相を伝えました。だんだんと自分1人でも大法の真相資料を配ったり、対面で大法の真実を伝えたりできるようになりました。時には、自家用車で妻や同修である夫婦を乗せて、人里離れた村まで真相資料を配布に行きました。
2021年6月20日、私は大法の真実を伝えるため、1人で隣の県に行きました。東西に走る道路で、私は道路の反対側の北側に立っている人を見かけました。その人に大法の真実を話そうと、往来の車がないと見て、私は急いでその道を渡り始めたのですが、西側から来た長さ14メートルの大きなトラックにはねられてしまいました。その場で体が動かなくなり、手に持っていた真相資料もあちこちに散らばってしまいました。そのとき、道路の北側に立っていた人が来てくれて、大法の資料を片付けてくれました。携帯電話を持っていなかったので、彼は自分の携帯でうちの息子に連絡するのを手伝ってくれました。トラックの運転手も交通警察に通報し、救急車にも電話しました。その後、息子と医者が来ました。家に帰りたいと言うと、医者は「こんな状態なのに家に帰れると思ってるの?」と言いました。
それから、私は市の病院の集中治療室に送られました。診察の結果、私の右足がトラックのタイヤに轢かれたため粉砕骨折していました。右腕も骨折し、肋骨2、3本も折れていました。医者は、私のシャツとズボンをハサミで切って手術を行いました。その後、数日間に管を4、5本通して、体の中の血や水を外へ排出しました。同じ病室の患者の家族によると、私の右足は枕のように腫れあがっていたので、「パンと破裂するのではないかと思い、とても怖かった」と話しました。医者は、「このままでは足を切断しなければならないかもしれない」と言いました。
私は「師父の教えに従わなければならない、常人の方法で魔難に立ち向かってはいけない!」と思いました。翌日から、激痛の中、私は足を組み、法を学びました。それを見た患者の家族は、「あなたはすごい人ですね。こんなに足が腫れているのに、まだ脚を組めるのですね!」と言いました。
この時、同修が明慧ネットの文章を送ってくれました。その文章は、「ラーメン屋を経営していた女性修煉者は誤って麺をかき混ぜる機械に手を入れてしまい、その手の皮膚や筋肉が血だらけになり、骨まで見えましたが、その女性修煉者は、修煉者として自分を要求し、奇跡的に元通りに戻りました」と書いてありました。この話は私にとって大きな励みになり、私の正念を強くしました。私は入院している間、何人かの人に、共産党からの脱退を勧めることに成功しました。
その頃はとても暑かったので、数日後、ガーゼで厚く包んでいた右足の小指が黒くなって壊死し始めました。医者は再び、足の小指を切断するよう勧めましたが、私は医者に「私は法輪功学習者です。切断する必要はありません。家に帰って法を学び、煉功をすれば大丈夫です。法輪功学習者にはそのような奇跡的なことがたくさんあります」と言いました。その時、約10日間入院していた私と妻(同修)は家に帰ることを要求しましたが、息子夫婦は賛成しませんでした。私は「送ってくれなければ、タクシーに乗って帰る」と言ったので、息子夫婦は反論できず、車で私を家まで送ってくれました。
息子は途中、「暑いから、家に帰ったら、感染症になったらどうしよう 」とずっと心配していました。私は「私には師父がいらっしゃるから問題ないよ」といったのですが、息子は「お父さん、そこまで修煉ができているの?」とブツブツ言いました。私は心が動じませんでした。家に帰り、2階に送られたとき、心が明るくなりました。
テレビ局の副局長をしていた甥が私を見舞いにきました。昼に息子が甥を連れて外で食事をしたとき、甥は「こんな大怪我をしたのに、薬も注射もしないで治るなんて、おじさん(私のこと)はいったいどんな教育を受けたのだろう? 本当に大丈夫なの?」と話しました。それに影響された息子は、騙して私を病院に連れていき、10日間も入院させました。そのとき私は泣きました。「これ以上師父に迷惑をかけてはならない!」と決意しました。息子は仕方なく、私を再び家に連れて帰りました。
私のことを知った近所の同修たちは、みんな家にきて、私と一緒に法を学び、私のために正念を発し、交流をしてくれました。
私の右足がひどく腫れて痛むので、発泡スチロールを使って足を高くしていましたが、足から汁が出続けていました。時々、不安でしたので、民間療法で傷口に蜂蜜を塗りましたが、これは裏目に出ました。数日後、ふくらはぎや太もも、腰も腫れ、痛みました。それでもっと不安になった私は「一旦感染したら、命を落とすかも知れない」と思い、ペニシリンを注射してもらおうと思いました。私を見舞いに来た親戚たちは、「急いで抗生物質を注射しないといけない」と言いました。
しかし、夜になると私は落ち着いていました。「そのような方法を使ってはいけない」と考えを改めましたが、なかなか治らない傷をみて、焦り、不安、苦痛など、とても生きづらいと思いました。しかし、その考えが出た途端、「邪悪な迫害を認めない、自分の正しくない考えを否定する。師父が按配して下さった道しか歩まない!」と正念が出てきました。
途方に暮れ、落ち込む中で師父が夢で私に啓示を与えて下さいました。どの夢でも、私はまるで飛んでいるかのように歩いていました。何の異常も障がいもなく、私の足が怪我をする前の正常な状態でした。師父はいつも私のそばにいてくだり、「私を守り、励まし、気落ちしないように気づかせてくださっているのだ」とわかりました。「目の前にあるのは虚像だ。真実を明らかにし、虚像が消えてほしい!」と私は考えました。
ある日、私は耐え難い痛みに襲われ、どこに足を置けば楽になれるかがわからず、片方の足にもう片方の足に乗せ、足を重ねて組む姿勢にしましたが、突然、誰かの手が私の上の足を払い落としました。「師父は弟子に足を組むことを許さないのだ。どんな時でも大法弟子は修煉者の基準で、自分を律しなければならないのだ」とすぐに悟りました。
横になって煉功することができなかったので、数日後、私はソファに座って煉功しました。この時、同修は私に立ち上がって煉功するよう勧めてくれました。同修の1人が帰りのときに言った言葉がとても心に響きました。「我々は金剛不壊の体だ!」。そうして初めて、私は松葉杖をついて頑張って隅に移動し、壁にもたれかかって煉功しました。それからは、もう傷の具合にこだわることもなく、痛いか痛くないかも気にせず、見ることもせず、師父に自分のすべてを委ねました。動けるようになった私は、松葉杖をついて階段を降り、家の近くにいたアルバイトたちに大法の真実を伝え、「三退」を勧めました。
2022年以降、私は車に乗って大法の真相を伝えに出かけるようになりました。車に乗る理由は、第一に、体がまだ不便だったのです。第二に、普通に歩けないので、常人に見られるのは、人を救う効果にも影響するかと思ったからです。ですから、通行人に出会ったら、車の窓を開けて真相資料を渡し、「三退」を勧めました。右の足は、まだアクセルとブレーキが踏めないので、かかとを使いました。このようにして「三退」を勧め、多い日は1日で32人脱退をさせることができました。普通の日は10人ほどで、少ない日も2、3人を脱退させることができました。
交通事故に遭ってからもうすぐ3年になりますが、その暑い夏から今日に至るまで、薬も飲まず注射もせず、粉砕骨折した右足はほとんど元通りになり、「三つのこと」も、家事にも支障がありません。70代の人にとって奇跡としか言いようがないと思います。
この期間中、あらゆる面がまさに人心を修める過程でした。例えば、傷が治って新しい肉が生えたのに、ある日突然、歩いている時に傷が治っていないような痛みがあった時、「また妻と喧嘩したせいだ、自分が焦りすぎたのだ、法の勉強を怠っていたからだ」と、気づかされました。
師父、本当にありがとうございます。これからは師父の教えに従い、もっと法を勉強し、大法の真実を伝え、人々を救いたいと思っています。