携帯電話の安全性を守ることは、正しい悟りです
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年11月8日】師父は講法の中で、盗聴に関するこの問題について何度も話されています。

 「皆さんが今携帯している電話、パソコンなどの電子設備、ネットに接続している設備は全部、盗聴器です」(『各地での説法十五』「二〇一九年ニューヨーク法会での説法」)

 「私は普通の学習者だから、大丈夫だと思っていても、あなたが電話で話したこと、おしゃべりの内容、買い物や食事の時間まで記録され、あなたという人間を分析しています。企業はビジネス情報をどのように分析しているのでしょうか? 同じこの方法です。携帯電話さえ持っていれば、あなたの個人情報は細かく把握されています」(『各地での説法十五』「二〇一九年ニューヨーク法会での説法」)

 「電話機を通じての盗聴ですが、皆さんに教えますが、どの電話機も盗聴器として使うことができるのです。中国共産党はあなたのおしゃべりをはっきりと聞いています。大法弟子の携帯は全部、盗聴されています。それでも自分がバレていないと思いますか? しかも、誰かに電話すれば、相手の電話も盗聴されるようになり、あっという間に広がるのです」(『各地での説法十五』「二〇一八年ワシントンD.C.での説法」)。

 「弟子:携帯電話のセキュリティの問題について多くお話いただきたいと思います。

 師父:これは多く話すほどのことではありません。あなたは盗聴器を携帯しているのと同然です。スパイや政府部門だけでなく、誰も思うままにあなたを盗聴することができます。非常に簡単です。こういうことです。電源を切っても切らなくても同じです」(『各地での説法十四』「二〇一六年ニューヨーク法会での説法」)

 私の個人的なケースを例に挙げると、私の電話番号は自分の名前で登録したものではありません。インターネットで他人のために一度だけ消耗品を購入したのですが、量は多くありませんでした。それなのに、商品が届いたとき、箱の中の発送伝票にうちの子供の名前、さらにはニックネームまで記載されていたのです。不思議に思い、業者がそんな伝票を送ってきたのは非常に奇妙でした。私は気づかなかったのですが、母が見つけてくれました。これは明らかに師父の啓示と保護だと思います。これは、携帯電話が常に盗聴されていて、特定の敏感な事柄については細かく記録されていることを示しています。さらに、彼らは私の携帯電話をリモートで操作したこともあります。現在、私は携帯電話のマイクを取り外しましたが、彼らがスピーカーを逆に利用して盗聴する可能性を防ぐため、携帯電話も使わず、バッテリーを取り外して完全に電源を切ることができる古いサムスン製の携帯に切り替えました。

 つまり、この携帯電話の盗聴と監視の技術は非常に進んでいて、簡単で、無遠慮に行われているのです。

 中国では、携帯電話の盗聴はほぼ全民的に行われており、設定された「敏感語」を機器に入力するだけで、携帯電話を持ち歩いていると、その敏感語が発せられたときにすぐに監視対象になるのです。

 したがって、中国では、修煉者が携帯電話を身につけている限り、盗聴を避けるのは難しいと言えます。修煉者が携帯電話を身につけて同修について話すと、それは基本的に中共に彼らが知りたい情報を提供しているようなもので、スパイ行為の役割を果たしていることになります。これについては以前からずっと話していますが、注意を払わない人もいます。中には今でも携帯を手放さず、同修の家に行くときも持参し、同修の携帯と直接つながってしまっている人もいます。このような同修は、まさに歩く盗聴器のようなものです。多くの同修の携帯が互いに直通状態になっており、一度電話をかけると全員が連結されて盗聴対象になるのです。一度露見すれば、全員が暴露されてしまいます。

 少し前、私は師父が私に見せてくださった一つのビジョンを見ました。それは、携帯電話の安全性に注意を払っていない同修が、昔の警察がよく乗っていたような荷台付きのバイクに乗っているというものでした。バイクに乗るということが私に何を示しているのかは理解できました。バイク(中国語で「摩托」)の音が「魔に引きずられる」と似ていて、理性を欠いて魔に操られていることを示しているのです。しかし、そのバイクには荷台があり、昔の警察が乗っていたものに似ているのはどういう意味か、後でようやく理解しました。それは、電話を持っているときに同修の名前や修煉の話をしてしまうことで、同修に大きな危険をもたらしてしまう可能性があることを示しています。その荷台は人を乗せるためのものであり、つまり同修を警察のもとへ連れて行くことになるという意味です。

 今年、私はこんな出来事を知りました。ある同修が、自分の携帯電話で、迫害を避けるために長い間家に戻れなかった別の同修の家に電話をかけたのです。その同修は、ちょうどその時期にこっそり家に戻っていたようですが、電話をかけた直後に警察が急行しました。同修は家にはおらず、警察は空振りに終わったものの、その後、その同修は結局拘束されました。その電話一本で、地元に戻り家に立ち寄ったという情報が警察に伝わってしまい、警察はその同修を捜索し、拘束することを期待していたようです。その電話の詳細についてはこれ以上調べていませんが、こうした状況で電話をかけてしまうこと自体が私には衝撃的でした。電話の内容自体は重要ではなく、こうした状況下では電話で何を話したとしても、彼らが関心を持つ要点ではなく、騙すこともできません。

 今日、私はこの出来事を書き出しました。これは携帯電話の安全性に注意を払っていない同修に対してもう一度伝えたいからです。なぜそんなにその電話を使いたいのですか? ただ便利だからでしょうか? 便利さが同修の安全よりも大切なのでしょうか? 同修の安全よりも大事なことが他にあるのでしょうか? 携帯電話の安全に注意することはそれほど難しいことなのでしょうか?

 師父は「また、頭がいつもはっきりしておらず冷静ではない人がおり、自分の安全を気にしていないのはまだしも、もっとひどいのは他人の安全を気にしていない人がいることです」(『各地での説法四』「二〇〇四年シカゴ法会での説法」)と語られました。

 もし最初の頃、私たちが安全面で経験不足だったり、携帯電話の盗聴について理解していなかったとしても、20年以上の歳月が経った今もまだ同じようにしているのでしょうか? 同修の安全を軽視しているということは、結局のところ、自分に対する要求が厳しくなく、心性が低いことの表れではないでしょうか?

 ここまで書いて、一つの言葉が思い浮かびました。『天と地の差』。天上では、私たちは神聖で荘厳であり、衆生のために命がけで人間界に足を踏み入れ、数々の困難を乗り越えてきました。しかし、この大地に降り立ったとき、私たちはこんなにも自分勝手になってしまったのでしょうか? 法を得たのではないでしょうか? 師父が説かれた法は『理明白で、言明晰』(『洪吟二』大法行)であり、苦心して考えなくても明らかに理解できるはずです。悟るとは何でしょうか? 正念とは何でしょうか? その通りに行動するだけです! 携帯電話の安全問題についても、師父がどのように説かれたかに従い、注意すれば良いのです。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/9/5/481575.html
 
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