気づきにくい人心を取り除く
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2024年11月24日】私は今年86歳で、1997年に修煉を始めた女性弟子です。20年以上の修煉の中で、私は本当にたくさんの困難を乗り越えてきましたが、師父の慈悲深い見守りのもと、比較的安定した状態で今日まで来ることができました。最近の修煉の中で、私は自分の中にまだ見えにくい人心や人念、人情がたくさん残っていることに気づきました。以下にそれを書き出し、同修と交流したいと思います。

 2021年の秋、私は床の上に座っていると、突然腰に針が刺さるような痛みを感じました。その後、腰が痛み始め、立っているのが難しくなりました。寝ているとあまり痛みませんが、立つと痛みます。朝の煉功にも影響が出て、一式から四式の功法をすべて立って煉功することができませんでした。これはどうしたのだろう? 腰がどうして突然痛くなったのだろう? どこに問題があるのかと思い、自分の最近の言動をよく振り返ってみると、怨恨心が原因だと感じました。

 私の怨恨心は、主に姉に対する思いから来ています。私の姉は一生懸命に生きてきました。子供のころから大人の手伝いをして多くの力を尽くしました。彼女は結婚後、4人の子供を産みましたが、姉の夫は外で働いており、時には数日間家に帰らないこともあり、あまり家のことを顧みず、姉にも良くありませんでした。家の中も外も、姉一人に頼って忙しく働いていたため、姉は多くの苦労をしました。

 姉の家が生活に困難で、食料が不足しているのを見て、私たち実家の人たちもできる限り助けました。私と弟はよく遠くまで歩いて、姉や子供たちに食べ物を届けたり、手伝いをしたりしました。姉の苦しみを見ていて、心に刻んでいました。姉は一生幸せを享受することなく、年を取ると数人の子供の家を順番で世話をしてもらい、最終的には病気に苦しみながら亡くなりました。姉が受けた苦しみを思い出すと、私は義兄を恨み、彼が姉に関心を持たないことを不満に思いました。

 2022年の年末に、甥たちが私を訪ねてきました。その時、姉のことを思い出しました。甥たちに姉の苦労を話し、また義兄が家を顧みないことについても触れました。甥たちも同様に感じ、義兄を非難しました。甥たちが帰った後、私はしばらくの間、心が落ち着きませんでした。このことから、私の怨恨心がいかに強いかがわかりますが、その時は自覚していませんでした。

 腰痛の症状が出たとき、私は心を静めて内面を探りました。その結果、この怨恨心に気づきました。修煉者として、怨恨を抱くべきではありません。人と人との関係は業力の輪廻であり、それに対して心を動かすべきではないのです。腰痛の症状は、私の怨恨心が引き起こしたものだと思います。自分の問題を見つけたので、私はこの怨恨心を取り除き、姉への思いを薄め、人と人との業力の輪廻を少しずつ軽視し、見放すことにしました。徐々に腰痛は改善し、あまり痛まなくなり、ほぼ正常に修煉できるようになりました。

 2023年の年末、私は「もうすぐ新年だし、腰もほぼ良くなったから、もっと家事を手伝って、子供たちの負担を軽減しよう」と考えました。午前中はそのように思っていたのですが、午後になると今度は脚が痛くなりました。

 「これは一体どの心から来たのだろう?」と不思議に思い、内面を探り始めました。すると、午前中の考えが法に沿っていないことに気づきました。腰が良くなったからといって、まず法の実証や多くの人を救うことを考えるのではなく、先に普通の人間の日常を考えるのは、まさに人心や人念ではないでしょうか。このことから、修煉の厳粛さを実感しました。修煉者として、どんな人心も自分にトラブルをもたらすことになります。脚の痛みはすでに数カ月続いており、いくつかの人心や執着を見つけたことで痛みは軽減しましたが、根本的には良くなっていません。動功にも影響が出ており、修煉者としてあるべき状態ではありません。静かに心を落ち着けて、自分をしっかり見つめ直し、法に合わない部分を探すべきだと考えています。

 私は最近数年間の出来事と言葉を詳しく振り返り、執着心の裏にはまだ多くの人心や人念、人情が隠れていることに気づきました。例えば、怨恨心の裏には私心、利益心、争いの心、情が隠れています。お正月に外甥たちが私を訪れた際、私は彼らに姉の夫のことを愚痴りました。一見すると怨恨心のようですが、実際には姉への情と争いの心が根底にあります。「あなたたち(外甥たち)が小さいころ、私は多くを注いだのだから、今私を訪れるのは当然ではないか?」という思いは私心と利益心です。これらの人心を見つけたことで、ずいぶん気が楽になりました。ようやく矛盾の根源を見つけました。内面を探ることは本当に修煉者の宝物です。

 その後の時間、私は心を修めることに注力し、心性を高めることに力を入れました。徐々に脚の痛みも軽減されてきました。

 正法は終息に近づいており、多くの生命が救いを待っています。今後の修煉においては、自分の人心や執着を深く掘り下げ、できるだけ早く自分を修めます。同修たちと協力して真相を伝え、人を救う活動を行い、自分の歴史的使命を果たします。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/10/18/483880.html
 
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