文/河北省の大法弟子
【明慧日本2024年12月2日】2023年の年末のある日、私はテーブルの上に乗って物を取ろうとした時、テーブルが私の体重に耐えられず、崩れて左足の足首に落ちてしまいました。その瞬間、足が痛くて地面に足をつけることができませんでした。私は「大丈夫、大丈夫、これは幻影だ。旧勢力の迫害を認めない」と思いました。すぐに私は結跏趺坐の坐禅をし、30分間座りました。その夜寝る時、足は少し不快に感じたものの、非常に痛いというわけではありませんでした。
しかし、翌日足はひどく腫れ、足首には三つの大きな水ぶくれができて、もう結跏趺坐の坐禅もできなくなりました。それから、私は修煉の状態は非常に怠慢になり、足が動かないことを言い訳に、携帯電話で動画を見たり、自分に合った理由をつけていました。これが修煉上の大きな漏れだということに気づかず、学法や功法を緩め、正念を発することの必要性を悟らず、数日間そのように過ごしました。足はひどく腫れていたものの、痛みは感じませんでした。すべては師父が私の代わりに耐えてくださったのです。普段は、もう片方の足で跳ねながら歩いていましたが、私の不用心が原因で、旧勢力はさらに手を出し、理由を見つけてきました。ある日、跳ねながら前進していると、何かに押されたように感じ、ひどく地面に倒れました。腰と腕を痛め、座ったり立ったり、物を取ったりするのが非常に困難になり、横になっても寝返りすら打てなくなりました。この時、ようやく事の重大さを感じ、修煉している母に電話をかけて助けを求めました。
私は母に自分の状況を話しました。その後、静かに自分を見つめ直し、母に自分の内面を打ち明けました。それは、義母に対する恨みでした。義母は娘より息子を重視して、私が孫を産まなかったことに非常に不満を持ち、表面上はともかく、暗黙のうちに絶え間ない対立がありました。私は自分が修煉者であり、義母と直接口論することは避けていましたが、時間が経つにつれて、心の中にその感情が抑えられなくなり、積もりに積もっていきました。私は自分が真正面からその執着心と向き合わず、正しく修めることができていなかったのです。その結果、恨みが次第に憎しみに変わっていきました。
特に2023年、義母が新しい家を購入して引っ越した時のことです。冬季になり、新しい家には暖房がなく、古い家には暖房がありました。それにもかかわらず、義母は古い家に住まず、新しい家に住み続けたいと言いました。私は新しい家には暖房がないので、古い家に住んだ方がいいと言いましたが、義母は聞き入れませんでした。口では心配しているように言っていましたが、実際は新しい家に暖房がなく、私が義母を自宅に受け入れる羽目になるのではないかという不安がありました。また、義母が飼っている犬も言うことを聞かず、ソファやベッドに上がることがありました。犬をソファに上げないようにすると、義母は不機嫌になり、私に文句を言うことが予想されました。後に、義母は私に隠れて古い家を売りに出しました。冷静な部分では、寒くなったら老人を新しい家に住ませるわけにはいきませんでしたが、執着している部分では義母が私の家に来るのがとても嫌だったのです。そして、ソファに上がる犬とどう向き合うべきか分からず、悩んでいました。
足を怪我してから半月が経ちましたが、私は義母には何も言いませんでした。心の中では、彼らに知られたくない、また私の家に来る口実を与えたくないという気持ちがありました。この心はなんと自己中心的で、汚く、冷酷なものでしょうか。悩みながらも、私は義父に電話をかけました。すると、老人は私の様子を見に来てくれました。その時はすでに冬に入り、寒い日々が続いていたのですが、私はまだ義母が私の家に住むことを言い出せませんでした。私はただ彼らの状況を聞いてみたかっただけです。義父は、古い家が売りに出されていることを教えてくれましたが、誰も買わなかったと言いました。そして、彼らは新しい家で過ごしており、寒いときにはエアコンや電気ストーブを使っていると言いました。
私はその恨みを少しずつ曝け出し、母に吐き出しました。翌日、腰をひねることができるようになりました。朝、私は母に背中から抱きかかえてもらいながら煉功をしました。その結果、腕も治りました。同時に私は痛みをこらえながら、歯を食いしばり、坐禅をし、五つの功法を一気に終わらせました。すると、すぐに回復しました。
足を怪我している間、旧勢力は私の頭に「お前の骨は砕けた! お前の筋は切れた!」という思いを送ってきました。私はすぐに「私の筋は切れていない、骨も砕けていない! 私はそれを認めない!」と反論しました。坐禅をしていると、痛みが太ももまで広がりましたが、私は師父を信じ、大法を信じて、それをすべて虚像だと考えました。修煉に漏れがあったとしても、私は大法の下にあり、誰にも支配されることはない。誰かが手を出せば、それは罪だ! 今回の試練を経験したことで、私は自分の修煉をしっかり見直さなければならないことを痛感しました。恨みの根源を掘り起こし、それを曝け出し、除去しなければならないと感じました。
怨恨心の源は自我から来る
学法グループのzさんは性格が温和で、善良な人です。彼女が怒るところを見たことがなく、誰にでも寛容で、忍耐強い人です。物事をするのも、話すのもゆっくりしています。私は性格が直線的で、速いので、彼女がやることが時々遅いと感じ、彼女は怠けている、または遅いと非難することがありました。その時、私は時には党文化に染まった言葉で、強く、無礼に、自分が正しいと思い込んで、同修を指摘し、相手が困惑するようなことを言っていました。そして、私はその話を繰り返し言っていました。この怨恨は、自分が正しいと思い、自分の考えに合わない事を言ったり、やったりする時に、相手を変えようとすることから来ているのです。高慢な態度で、謙虚さも礼儀も欠けていたことに気づきました。
怨恨心の源は嫉妬から来る
同修である母は私にとても優しく、小さい時から甘やかしました。私は一人娘で、育て方も私の習慣に合わせてくれました。母が退職後に大法を修煉し、次の年に私も修練を始めました。その頃、私は真剣に法を学んでおらず、大法が良いという感覚だけで、実修をしていなかったし、実際の修煉を理解していませんでした。しかし、母は非常に忍耐強く、私はよく母と矛盾が生じると、母の不足ばかりに目を向け、いつも法で母を修正しようとしていました。そして、自分自身を法で測ることもなく、いつも自分が正しいと感じていました。母は私と喧嘩をしなかったので、私は母に対して誤った執着心を持ち、母が法の要求に従っていないと心の中で見下していました。「あなたは古い弟子なのに」といつも思っていました。このような怨恨は、明らかに嫉妬心から来ていることに気づきました。そのことに気づいた後、私は自分の行動を悔い、反省しました。
怨恨心の源は争いから来る
父は修煉していません。1999年に江沢民による法輪功への迫害が始まると、父は母が修煉することに反対しました。その時、父は私が修煉していることを知りませんでした。何年も後に、母が病業の虚像に遭遇したとき、私は頻繁に実家に帰り、母に法を学び、功法を練習するように勧め、師と法を信じるように励ましました。父がそれを知ると、とても怒り、よく罵声を浴びせたり、物を投げたりして、家の中の雰囲気は非常に緊張していました。
父は大法や師父に対して不敬な言葉を言いましたが、私はそれを止めることができませんでした。そのため、私は父に引きずられ、しばしば争いになり、父が間違っていると思い、他の人も責め、父に対して怒りと恨みを抱き、常に説得しようとしました。この怨恨は日々に増し、時には毎日争うことが続き、全く慈悲の心を持つことができませんでした。
修煉の過程で、法の指導から離れ、怨恨心は去らず、長い間それが続きました。私は向上せず、自覚が足りなかったため、この魔難を招いてしまいました。私は決心しました、怨恨心を必ず修正し、学法を加速し、口を修め、思いや念に注意を払い、人心が主導権を握らないようにしなければならないと覚悟しました。