シカゴ法会|真・善・忍を修める
■ 印刷版
 

文/米国の大法弟子

 【明慧日本2024年12月7日】

 同修の皆さん、こんにちは。今日は、法輪功学習者(以下、学習者)としての私の心の旅路を共有できることを大変光栄に思います。私は法輪功を修煉して21年になります。「真・善・忍」を修煉することで、私の生活は身体的にも精神的にも深い変化を遂げました。

 一、修煉を始める

 私の修煉の旅は2003年に始まりました。2001年、私はシカゴで仕事を始め、中国シカゴ総領事館の前を通ることがよくありました。そこで、学習者たちが領事館前で煉功をしている姿を目にしました。長い間観察し、自ら体験した結果、師父の分かりやすい教えが深く私の共鳴を呼び起こしました。学法と煉功を通して、さらに師父のご加持をいただき、私は揺るぎない大法弟子になりました。

 修煉を始めたばかりの頃、世界がとても美しく見え、自分は本当に幸運で幸せな人間だと感動しました。現在は、かつてのような興奮はなくなりましたが、代わりにもっと穏やかになりました。それでも、当時の喜びは心の奥底に大切にしまい、私を前へと進ませる励みになっています。

 二、病気の快復と心性の修煉

 修煉する前、私は多くの病気を抱えており、しかもそれは軽いものではありませんでしたが、修煉を通じて私の体調は根本的に改善されました。

 師父は「わたしはここで病気治療の話をしませんし、病気治療などもしません。しかし、本当に修煉をしようとする人の身体に、病気があっては修煉できるわけがありません。ですからわたしは身体を浄化してあげなければなりません」と語られました。(『轉法輪』)

 私は、師父が毎日私の身体を浄化してくださっているのを、はっきりと感じてきました。以前、私は重度の気管支疾患を抱えており、医師からは治療が不可能で、薬で維持するしかないと言われていました。しかし、私は師父を信じ、修煉を始めたその日から薬をやめました。この20年以上、師父はずっと私の身体を浄化してくださり、最初は多くの悪いものが排出されていましたが、今ではその量は非常に少なく、ほとんどなくなり、常人だった頃に病気で苦しんでいた恐怖や痛みを感じることもありません。大法が私に大切な健康を与えてくださり、私は毎日、大法の恩恵と奇跡を体験してきました。親戚や友人が病気で苦しみ、不安や恐怖を抱えているのを耳にするたびに、私は心から大法に感謝せずにはいられません。

 「真・善・忍」の原則に自分の言動や考えを照らすことで、私は自分の執着を見つめ、認識することを学びました。この過程は簡単ではありませんが、非常に有益です。たとえば、利益への執着心を放下し、日々の損得に一喜一憂せず、平常心で生活の中のすべてを受け入れるよう努めています。

 私は、大法への揺るぎない信念を持つことも心性の修煉の重要な一部だと気づきました。常に大法に対して敬虔で畏敬の念を持ち、大法を最優先に考えるよう心がけています。

 心性の修煉と内に向けて探ることを通じて、多くの執着心を徐々に取り除くことができました。今では、冷静で善意に満ちた心でさまざまな状況に対処できるようになり、家族、友人、同僚との関係も改善されました。私は内に向けて自分の欠点を探す努力を続けています。たとえば、以前は他人に対して非常に批判的でしたが、修煉を通じて、より寛容に受け入れることを学びました。修煉とは、大法と異なる人間の観念を修め去り、大法によって自分を正していくことです。これは決して容易なことではありませんが、この変化は私に穏やかな心とさまざまな恩恵をもたらしてくれました。

 三、シカゴ総領事館前の煉功拠点での修煉

 修煉をしてから、私はよく中国のシカゴ総領事館の前で煉功し、大法の良さと迫害の実態を伝えてきました。この20年以上の間に、法を正す状況は劇的な変化を遂げました。

 初期の頃、真相を知らなかったシカゴ警察は私たちに対してあまり友好的ではありませんでしたが、今では私たちを支持し、とても友好的になっています。

 迫害の真相を知った多くのアメリカ市民が私たちへの支持と敬意を表明し、私たちの側に立ってくれています。さらには、領事館が雇った警備員さえも、私たちに共感し味方してくれています。私はほぼ毎週土曜日に煉功を続けていますが、何度か警備員がこっそり親指を立てて応援してくれました。数週間前、私が少し遅れて到着すると、警備員は私を見てとても嬉しそうに「今日はチャイナタウンでの活動かと思いましたよ」と話しかけてきました。私たちがチャイナタウンでも抗議活動と真相を伝える活動を行っていることを知っているようでした。

 領事館の態度の変化も顕著です。かつては直接出てきて私たちを攻撃したり、シカゴの警察を呼び出して私たちを妨害したりしていました。しかし今では、警備員を雇って24時間体制で、自分たちを守る立場に追い込まれています。攻撃から防御に転じ、領事館に縮こまっています。時々私は、「私たちの抗議は非常に平和的であり、彼らに直接接触することも、何か脅威を与えることもないなのに、なぜ彼らはこれほどまでに大掛かりな警備を必要とするのだろう」と思います。これこそが、中共がその罪悪を暴かれた後に抱いている内心の恐怖の現れだと思います。同時に、それは法輪大法の佛法の威厳をも反映しています。彼らの内心は、自らが犯した罪ゆえに怯えているのです。

 四、修煉は厳粛である

 昨年、シカゴのチャイナタウンのパレードの際、旗を準備している時、カッターで手のひらを切ってしまいました。切り傷は大きくて深く、傷口の中は黒ずんでいました。その時、心が一瞬緊張し、少し不安がありましたが、ティッシュとテープで傷を巻いて、パレードの準備を続けました。娘は救急隊員でもあり、私に病院に行って注射するように何度も促しましたが、私は行きませんでした。その後、毎日その傷口を見ていると、血管と筋肉が自然に回復し、傷も徐々に癒え、完全に良くなりました。私は、こうした試練は重要であり、修煉者にとって、試練を乗り越えるかどうかが重要な問題であると理解しています。これこそが修煉であり、非常に厳粛なものです。信じるか信じないか、修煉者の道を歩むか、常人の道を歩むかという問題が関わっています。大法の力、師父の守りのおかげで、私は毎回幸運にも試練を乗り越えることができました。大法は再びその無限の力を示してくださいました。師父、ありがとうございます!

 今年、私はワシントンD.C.での「七・二〇」反迫害活動に参加しました。以前の馴染みの顔ぶれが何人かいなくなってしまい、顔が分かる人も少なくなっていました。これには少し感慨がありました。それを通じて、修煉の現実と厳粛さを感じ、かえって大法への信念と修煉の意志が強まりました。私は、真の修煉がどれほど難しいか、ただの遊びではないことを実感しました。ビジネスのように、成功すれば成功するほど規模が大きくなり、従業員が増えて賑やかになり、名声が広がるわけではありません。私たちの修煉は現実的で、厳粛なものであり、淘汰されながら登っていく過程です。進むにつれてどんどん難しくなり、喧噪から遠ざかり、淘汰があり、関門があります。その過程で、歩き続けられなくなる人もいれば、乗り越えられない人も、上ることをやめて帰る人もいます。中には、続けたくても力尽きて倒れてしまう人もいます。これは必然であり、必要なことでもあります。そうでなければ、それは偽りの修煉で、現在のある寺院のように、常人の商売が繁栄しているだけです。ですから、修煉の道は、時間が経つにつれてますます賑やかでなくなり、盛大でもなくなります。これが修煉の本当のところです。修煉の圓満成就には、理性と続けることが大切であり、私は自分に強い意志を持って、決して諦めないように自戒しています。

 20年前、私が修煉したばかりの頃、義弟との会話を覚えています。彼は当時、熱心なカトリック教徒で、中国の名門大学を卒業し、アメリカでも名門校で学びました。彼はモトローラの高給のソフトウェアエンジニアの仕事を辞め、修道院で神学を学び、神父になる決意をしていました。彼は私に法輪大法の信仰を放棄するよう繰り返し言ってきました。私は彼の好意を理解しましたが、「賭けてもいい。20年後、あなたはカトリック教徒ではなくなるかもしれないが、私は法輪大法の弟子であり続ける」と言うしかありませんでした。なぜそんなに確信していたのでしょうか。それは、私が中国社会の底辺で生まれ、多くの病に苦しみ、死線をさまよいながら、ずっと生命の源を求めていたからです。2003年、私は中年に差し掛かり、長い苦労の末、大法を得ることができました。法輪大法は、私の人生の疑問を解いてくれ、宇宙や生命、人体、万物の奥義を完璧に解き明かしてくれました。かつて私は聖書を読んだこともあり、神の愛に感動して涙を流したこともあります。いろいろな経験を通じて、私は法輪大法が最も素晴らしく、唯一信じるべき道だと確信しました。私が大法を選んだのは、感情的な衝動ではなく、深く考え抜いた理性的な選択でした。私の命はこれから一つの大法の命となり、私は真・善・忍を実践し、師父と共に永遠に歩んでいくと決心しました。毎日修煉している中での素晴らしい体験が、私の信念をさらに強化しました。それから20年以上経ちましたが、私は数々の困難を乗り越えて、今もなお揺るぎのない大法弟子です。かつてカトリックに非常に熱心だった義弟は、すでにその信仰を離れました。

 今回の「ニューヨーク・タイムズ」の事件に関して、私の家族にも影響があり、正しくない記事や投稿を転送してくれました。私はできるだけ真実を伝えた上で、「法輪大法に敵意を持つ悪い人たちの嘘が、私の実際の素晴らしい体験を変えることができるでしょうか? 彼らの嘘は私に自分自身の体験を忘れさせることができますか? あの人たちの偽りを信じるのか、それとも20年以上修煉して諦めなかった家族の私を信じるのか、誰がより資格があり、誰がより信頼できるのでしょうか?」と言いました。私はまた「私は神韻の公演で多くの神韻の出演者に接したことがありますが、彼らは皆、とても穏やかで幸せそうです。神韻の芸術団には限られた数のダンサーがいますが、彼ら一人一人が必要とされています。もしケガをした場合でも治療しなければ、どうして彼らは100回以上の公演を終えることができるでしょうか? もし彼らが治療を必要とせずに演じることができるなら、それこそ奇跡ではないでしょうか?」と言いました。義父は大法を支持していますが、今回の影響を受けて「法輪功は薬を飲まないのは良くない」と言いました。私は、「私は薬を飲まないわけではありません。かつてはたくさんの薬を飲み、あちこちの病院を回って治療していましたが、誰も私に健康を与えることはできませんでした。それで私は法輪功を修煉することに決めました。そして法輪功は私の病気を治してくれました。薬を飲んでも病気が治らず、煉功して治ったなら、なぜその薬を飲まなければならないのですか?」とその理由を説明しました。

 師父、ありがとうございます!

 同修の皆さん、ありがとうございます!

 (2024年米国シカゴ法会原稿)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/11/27/485482.html
 
関連文章