文/米国の大法弟子
【明慧日本2024年12月25日】最近、私は明慧ネットで、ヨーロッパの同修にもっと頻繁に体験を共有するよう呼びかける中国の法輪功学習者の書いた記事を読みました。私は、私たちの周りで起こっている奇跡や体験から得た洞察について何度書きたいと思ったかを思い出しました。しかし、そのたびに仕事量や疲労などの理由で先延ばしにしてきました。もちろん、これらは単に快適さへの執着の言い訳に過ぎないことは重々承知していました。重要なイベントに参加し、嘆願書の署名を集めた後、私は自分の体験について書くことにしました。
私たちは、米国上院『法輪功保護法案』(S.4914)の可決を支持する署名を集めましたが、選挙後、私たちの努力は鈍りました。同修たちの交流会で、2人の学習者が、署名を集め続けることの重要性を皆に思い出させました。私は彼らに完全に同意しました。3日が経過しましたが、私は約束を果たせませんでした。
4日目の朝、師父は私に素晴らしい光景を見せてくださいました。私は船を見ました。船はとても大きく、岸に立ってもほんの一部しか見えませんでした。次の瞬間、私は船内の美しく飾られた大きなホールにいました。そこは異常に美しく、お祭り気分で、壁には美しい花輪が飾られ、床は明るい木でできていました。私は今までこんなものは見たことがありませんでした。最初はその美しさに感嘆しましたが、その後、そこにいるのは自分一人であることに気づき、恐怖を感じました。私は目を開けて、苦々しい思いで自分に尋ねました。「私は何年もの間、ほぼ毎日、三つのことをしてきたのに、なぜ船は空っぽなのか? 師父が衆生を救われるのを手伝う私の努力は、こんなにも効果がないのか?」
私は次第に、これが米国上院の『法輪功保護法案』の可決を支持するプロジェクトの重要性についての師父からの教示であると気づきました。学習者の行動によって救われた人々は、そのホールにいるはずでした。
日曜日、私はもう一人の学習者と一緒にいつも署名を集めるショッピングモールに行きました。寒くて風が強かったです。頭の中に次のような考えが浮かび始めました。「こんな天気のときにショッピングモールに行く人はいない」、「なぜそんなに遠くまで行かなければならないのか、家にいてもパソコンで簡単にできる大法の仕事がたくさんある」など。これらの考えは私のものではないと自分に言い聞かせると、すぐに消えました。
私はショッピングモールの入り口に立っていました。人々に嘆願書に署名するよう頼んだとき、彼らは無関心に通り過ぎるか、時間がないと言いました。私は自分の考えが間違っていることに気づきました。自分の内面を見つめると、できるだけ多くの署名を集めたいと思っていました。私は師父の言葉を思い出しました。
「一人だけが済度されても素晴らしいことです」(『米国西部法会での説法』
私はこう思いました。「一人の人間は、多くの生き物がいる宇宙そのものだ!」。もう一つの考えがありました。「もちろん、彼らが嘆願書に署名するのは良いことだが、法輪功迫害の真実を知り、資料を入手し、正しい選択をすれば、それによって救われることもでき、さらに、この署名する過程により法案の周りの空間場が浄化され、より多くの学習者が参加すればするほど、法輪功保護法案が可決になる可能性が高まる」のです。
私たちの正念は奇跡をもたらしました。人々が私のところに来て嘆願書に署名し始め、私は彼らに法輪功迫害についての真実を伝え、多くの情報資料を配布しました。
数時間後、私はカフェに行って長年の知り合いの友人たちに会うことになっていました。彼らは以前は嘆願書に署名することに消極的でしたが、今回は驚くほど早く署名してくれました!
このプロジェクトに参加していない米国の同修が、さまざまな方法で参加し始めることを願っています。もちろん、正念を発することもできます。私たちが努力すれば、これらの努力は必ず人々を救う役割を果たすでしょう。