文/山東省の大法弟子
【明慧日本2025年1月11日】私は2017年に法輪大法の修煉を始めた農村の大法弟子です。今年で76歳になります。法を得てから約7年が経ちましたが、なかなか修煉者としての振る舞いができずにいました。主に観念が障害となり、法を学んでもその本質を理解できていなかったため、心の根本が変わらなかったのです。しかし、慈悲深く偉大な師父の度重なる導きにより、近年ようやく修煉について理解を深めることができました。この変化には感慨無量です。そして最近、法と照らし合わせながら心に向けて探し、自分の観念を改めることによって、本当に法を得て向上し、その過程で得た反省と体験についてお話したいと思います。同修の皆さんと交流し、師父にご報告させていただきたいと思います。
私の村では大法弟子は私一人だけです。家で一人で法を学ぶ日々が続いていましたが、心の中で「同修がいたらいいなあ」とよく思っていました。ある日、遠方の親戚が我が家に遊びに来て、修煉について話す機会がありました。その親戚が私のために二人の同修を探してくれたので、私は心から喜びました。私たち三人は一緒に法を学び、時には交流もしました。しかし、私は学法の量が少なく、精進も足りず、執着心が多く、あれこれ手放せない状態でした。同修の玉さんは次第に私に対して良くない印象を抱くようになり、私が精進していないと指摘しました。それに対して私も不満を感じ、玉さんとはしばしば口論になりました。彼女が私に精進していないと言うと、私は彼女に「口を修めていない」と言い返していました。
なぜ同じ法を学ぶ仲間であるはずの私たちが衝突してしまうのか、最初は理解できませんでした。その時、師父が私に「これは心性を向上させるための試練であり、助けとなるものだ」と悟りを与えてくださいました。私は突然悟り、深く後悔しました。
ある夜、同修の玉さんが同修の衛さんの家に来ている私を訪ねてきて、「お詫びをしたい」と言いました。私もすぐに「あなたは私に謝りたいと言っていますが、私もあなたに謝りたいと思っています」と答えました。そして続けてこう言いました。「私たちはどんな環境や立場にあろうとも、大法を実証する行いをする際には、心性の修煉と向上を常に意識しなければなりません。法をしっかり学び、自分を修めることこそが師父の望まれていることです。常に修煉者であることを心に刻み、法に従って修めて初めて、行いに威徳が備わり、どのような挫折や試練にも耐えられるのです。自分の考えや認識より、法に従うことを大事にし、謙虚な心と大法への敬意を持つべきです」この話を聞いた玉さんは喜んで帰っていきました。私も心の中で喜びを感じました。
その夜、家に帰って座禅をした時、心が非常に軽やかでした。普段は両足を組んでも1時間も持たない私が、その夜は1時間以上座ることができました。これは師父が私を助け、励ましてくださったのだと感じました。本当に「修は己にありて、功は師にあり」(『轉法輪』)です。
これからの修煉の道では、師父が与えてくださったすべての向上の機会をより大切にし、しっかりと掴みます。本当に修煉することを心がけ、師父の法を正す進程にしっかりとついていき、修煉の道を歩み抜いて、円満して師父にお従いします。
師父に感謝申し上げます!
同修の皆さん、ありがとうございます!