思いやりの言葉で人の心を明るくしたい(1)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年4月21日】私は2011年に大法の修煉を始めた女性修煉者です。師父の慈悲に感謝するために、私の修煉過程を共有したいと思います。同時に、私は修煉の教訓を同修たちと共有し、大法の素晴らしさを明らかにしたいと考えています。

 多くの子供たちは大人が失った霊性を持っているため、神や異次元の存在を見ることができると人々は言います。いくつかのおとぎ話や映画では、小さな妖精は子供たちとコミュニケーションを取りたいと考えています。私自身の経験から、これは確かに存在していると分かっています。幼い頃、目には見えなくても、周りに存在を感じる事が出来ました。法輪大法を学んだ後、その理由が分かりました。 

 幼い頃から神の存在を信じる

 私は1983年生まれです。物心ついた頃から、他の人ができないことを経験したり、見たりしてきました。私の体を取り囲む目に見えない多くの存在を感じました。皆とてもフレンドリーでした。コミュニケーションも取れて毎日楽しかったのです。

 また、私の経験は実際に体験してみないと理解してもらえないので、自分にとって当たり前のことを共有することができず、少し寂しく思いました。

 私は幼い頃から、この宇宙の中の一人の存在がいかに小さいかを感じていました。私は天文学が好きで、星を見るのが好きでした。星の寿命は長く、人間の寿命は短いと思うと、とても不思議で悲しい気持ちになりました。読書を覚えた頃は、世界の未解決の謎についての本が好きで、先史時代の文化、ピラミッド、理論物理学の最前線での発見について学びました。考古学専門誌で古代文明について読んだことに加えて、私はそれらのいくつかについて説明のつかない親近感を持っていたように感じました。 

 私がよく考えた疑問は、「世界が私という、考えることのできる霊的な存在を生んだのに、なぜ私が老いて死ぬことを許すのだろうか? 宇宙の果てはどこにあるのか、人は何のために生きているのか?」と言うことでした。

 困難に直面する

 宇宙には高次元の生命が存在することがはっきりと分かりました。私にとってそれは自明の信念でした。誰もいないとき、私はよく手を合わせて天地を拝みました。嵐の前には、自然の偉大さや神の力の偉大さを感じることがよくありました。ある夜遅く、大雨が降っていたのを覚えています。嵐の前の静けさに私は深く惹かれました。 

 地域の住民は皆眠っていて、夜は驚くほど静かでした。私は一人で階下に降りてひざまずき、雲の向こうにある未知の神聖な存在を拝みました。私の心は純粋でした。求めるものは何もありませんでした。私はただそれらのより高いレベルの存在に近づくことに敬意と憧れを感じました。

 私の人生の幸せな時間は小学6年生の時に終わりました。その頃から副鼻腔炎になり始め、毎日大量の黄色い鼻水が出るようになりました。しかし、それほど厳しいものではなかったので、それでもクラスで首席で卒業することができました。しかし中学生になると、私の症状はますます深刻になっていきました。当時私も家族も副鼻腔炎とは知りませんでした。私はよく頭痛を起こしていたため、脳腫瘍を疑われたこともありました。病院に行ってそれが問題だと知ったのは2年後でした。

 ほとんどの場合、呼吸がうまくできなくなり、記憶力も低下しました。何度か手術を受けなければなりませんでしたが、あまり効果はありませんでした。私の免疫力は急速に低下し、冬には厚い布団を2枚かぶらなければなりませんでした。夏でもよく風邪をひきました。

 中学校に入学してから大法を修煉するまで、私は基本的に死よりも苦しい人生を送っていました。他の人はそれがどれほどひどいことなのか決して理解できませんでした。窒息が死に至る可能性があることは誰もが知っていますが、私はいつも窒息の危機に瀕していました。子供の頃に抱いていた霊的な感覚はとっくに消えていました。まるで干からびてしまったように感じて、心は絶望で満たされることがよくありました。私は先の人生が見えませんでしたが、それでも死にたくはありませんでした。

 高校2年生のとき、私の成績はクラスで下から2番目でした。それでも頑張って、最終的にはごく普通の大学に合格しました。その後、私はメディアで働き、他の場所を転々としなければなりませんでした。人間関係の問題など、さらにいくつかの挫折がありました。人生ってこんなに大変なんだと嘆いてしまいました。

 この期間、私は聖書を読み、佛教の教えについて学びました。故郷に戻る前日、私は国内で最も有名な道教寺院の一つを訪れました。しかし、驚いたことに、私が到着するとすぐに、そこの人々は男性と女性の間の密教の修煉について私に話し始めました。私は嫌悪感を感じて立ち去りました。

 絶望していた時、師父は私を見捨てられなかった

 帰郷後は地元テレビ局に勤務しました。私の健康状態は良くありませんでした。中医学の医師たちは、私が腎臓の欠乏症を患っていると言いました。自宅で鍼灸の勉強ができるので、よく自分で鍼治療をしていました。少しは効果がありましたが、私の病気を治すことはできませんでした。

 私は業力に囲まれていたため、師父がさまざまな方法で私を啓発して下さるまで1年程かかり、ついに法輪大法を修煉し始めました。まず、大法の修煉者である同僚が私に師父の一連の講義ビデオのコピーをくれました。最初から最後まで観ましたが、自分の業力のせいであまり感動しませんでした。 

 そこで師父は、私が同修が書いた文章を入手できるよう按排して下さいました。それは、神が人間の世界で何かをすることと、人々が本当の原点に戻ることについてでした。これまでの記憶が呼び覚まされ、心の中のたくさんの扉が開いたような気がしました。そのとき、同修が私に伝えようとしていたことが、私が探していたものであることに気づきました。私はため息をつき、なぜ私の生まれ持った根基がこれほど悪いのだろうかと思いました。それでも師父は私を諦められませんでした。私は師父と一緒に本当の家に帰りたかったのです! 

 法輪大法の貴重な本『轉法輪を同修が私にくれて、私は一昼夜かけてそれを読み終えました。ついに大法修煉者になったのです! 私の体はすぐに調整され、浄化され、長年の病気は1週間内にほとんど治りました。まだ軽い症状はありましたが、それは私にとってのテストであると理解しました。私は1カ月内にそれらすべての病気から回復しました。それ以来、私は健康です。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/1/22/446406.html)
(English: https://en.minghui.org/html/articles/2024/4/12/216552.html)
 
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