26回の戦いー夢の中で見た法を正す状態
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文/アメリカの学習者

 【明慧日本2025年2月5日】

 【編注:この作者は主に独修を続けてきましたが、最近になってプロジェクトに参加し始めました。夢の内容は多くの場合、本人の修煉と関係していますが、時には他の人とも関係があるかもしれませんし、そうでないかもしれません。本記事の公開は、あくまで交流を深めることを目的としています。私たちは皆、「法を師とする」ことを学ばなければ、修煉の道を歩むことはできません。】

 今日は、私の記憶に深く刻まれている夢について、皆さんと分かち合いたいと思います。

 夢というのは往々にして不確かであり、時には幻のようなものです。しかし、この夢は私に強烈な印象を残しました。なぜなら、夢の中で私は神々と直接対話し、彼らの視点から見た大法弟子の修煉状態について話をしたからです。

 まず、私自身の背景と、この交流文を書こうと思った理由についてお話しします。

 私は20年以上前、まだ子供だった頃に修煉を始めました。その後、心に深く残るような体験や感覚は、ほとんどありませんでした。

 最初に特筆すべき体験をしたのは、自分が大法弟子になることを決意した日でした。その夜、私はある選択を迫られていました。「修煉の道を歩むのか、それとも常人の生活を続けるのか」。これは、当時わずか9歳だった私にとって、あまりにも大きな決断でした。

 私は迷い、恐怖に包まれ、なかなか決めることができませんでした。すると、突然、周囲の世界が静寂に包まれました。窓の外の植物、昆虫、大自然のあらゆるものが、まるで私の決断を待っているかのように震えていました。

 その時、1匹のコオロギが静寂を破り、大きな声で鳴き始めました。しかも、その鳴き声はまるでリズムを刻むように、「修煉!」と繰り返しているかのようでした。私は「もし大自然が私に何をすべきかを伝えようとしているのなら、私はそれに耳を傾けるべきではないだろうか?」と思いました。

 こうして、私は修煉の道を歩み始めました。しかし、それからの修煉の旅は、まるで暗闇の中を手探りで進むようなものでした。私は特別な体験をすることもなく、修煉に関する夢を見ることもなく、何かを視ることも、感じることも、聞くことも、何かの導きを受けることもありませんでした。

 だからこそ、ここ数年の間に立て続けに二度、神々と対話する夢を見たとき、私は「これは強烈なお導きなのではないか」と思わずにはいられませんでした。

 一つ目の夢:祖父の旅立ち

 最初の夢は、祖父が亡くなった時に見たものです。夢の中で、私はこっそりと階段の陰に隠れ、1人の神様と祖父の対話を盗み聞きしていました。神様は祖父に二つの選択肢を与えていました。

 1.あと十年間生きる。しかし、その間、病気による苦しみに耐え続けなければならない。

 2.安らかにこの世を去り、転生の機会を得る。ただし、それによって家族は深い悲しみに包まれることになる。

 祖父は最終的に「死」を選びました。その時の光景は、今でもはっきりと覚えています。

 神様は白い法衣をまとい、金色の光に包まれていました。その姿はとても大きく、祖父よりもずっと背が高く、私が隠れていた階段よりもなお高く感じられました。彼の存在は威厳に満ち、強大なエネルギーを放っていました。

 私は、こんな神聖な対話を盗み聞きするのは良くないと分かっていたので、見つかるのではないかと内心ひどく怯えていました。しかし、祖父が決断し、神様が彼を連れて行こうとしたその瞬間——私はもう我慢できず、思わず階段の陰から飛び出してしまいました。

 私は祖父に向かって怒りをぶつけました。「なんて臆病なんだ! なぜ逃げることを選ぶの? みんなと同じように、人生の苦しみと困難に立ち向かうべきじゃないの?」私は怒鳴りながら、祖父に「戻ってきて!」と叫びました。

 同時に、神様が私の無礼な振る舞いに対して罰を与えるのではないかと、強い恐怖を感じました。しかし、神様は怒るどころか、私の幼稚な振る舞いをどこか同情するように見つめ、むしろ少し微笑んでいるようでした。その次の瞬間、私は強制的にその空間から引き離され、目が覚めたのです。

 二つ目の夢:法を正す状態

 この2度目の夢は、冒頭で述べたように、法を正す時期の大法弟子に関わるものでした。

 夢の中で、私は巨大な円形の戦略会議用テーブルの下に隠れ、またしても神様たちの対話を盗み聞きしていました。テーブルの周りにどれほどの神様が座っていたのかは分かりませんでしたが、彼らが戦争の戦況について話し合っていることは明らかでした。好奇心に駆られた私は、そっとテーブルの下から這い出て、1人の神様のそばに近づきました。彼は長い巻物を手にしていました。

 神様はその巻物を広げ、私に見せてくれました。そこには「戦役一覧」が記されており、合計26回の戦いが記録されていました。それぞれの戦いの横には「マル(勝利)」または「バツ(敗北)」の印が付けられていました。

 最初の十数回の戦いは、すべて「マル」でした。つまり、大法弟子たちは序盤で決定的な勝利を収めていたのです。しかし、戦いが進むにつれ、「バツ」が現れ始めました。神様は私に特に第21、22、23回目の戦いに注目するよう示しました。これらはすべて「バツ」が付けられており、大法弟子たちが連続で敗北したことを意味していました。

 巻物には、第24、25、26回目の戦いは、まだ始まっていないと記されていました。しかし、神様は「最後の3戦の結果がどうであれ、この戦争の最終的な勝敗はすでに決まっている。大法弟子が最終的に勝利する」と教えてくれました。【編注:大法弟子は必ず成就するが、個々の大法弟子がどのような道を歩むか、誓約を果たせるかどうかは、それぞれに委ねられています。最後にはすべてが明らかになります。】

 私は「最後の戦いで、私たちが負ける可能性はどれくらいありますか?」と神様に尋ねました。神様は「まだ結果は決まっていない」と答えました。しかし彼は、以前であれば「大法弟子の勝利は確実だった」と言えたが、今ではそうとは言い切れないと説明しました。むしろ、最後の3戦を落とす可能性のほうが高いと。

 私はさらになぜかと問い詰めました。彼はこう答えました。「軍が疲弊しているからだ。彼らは序盤の戦いで全力を尽くし、戦争の大勢はすでに決したと考えている。彼らは安心し、自満し、戦う意欲を失ってしまった。『もう十分戦った』と思い込み、最後の戦いには本気で挑もうとしない」

 私が巻物をじっと見つめていると、この神様が私を見つめているのを感じました。彼の眼差しには、静かな問いかけが込められていました。「あなたは最後の戦いで全力を尽くしますか? それとも、ただ傍観し、成り行きに任せますか?」

 夢の中の私は、答えることができませんでした。そして、心の中で葛藤が起こりました。「最後の戦いに身を投じ、痛みを伴いながらも戦い抜くのか? それとも逃げて、安全な場所で戦争の終結を待つのか?」

 この夢を見たのは2023年でした。その時は、なぜ巻物に「26回の戦い」が記されているのか理解できませんでした。しかし、つい2週間前、この夢が突然脳によみがえった時、私はようやく気づいたのです。「この26回の戦いとは、私たちが受けてきた26年間の迫害を象徴しているのではないか?」

 私は、この夢がただの幻想ではなく、神様たちが大法弟子全体の修煉状態を示していることを確信しました。私たちは「自満の状態」にある。「もう十分やった」「自分の使命は果たした」「最後はどうなっても結果は決まっている」そんな思いが、私たちの中に広がっているのではないでしょうか?

 だが、今こそ決断を下さなければならない時です。すべての妨害、すべての大法への攻撃に直面しながら、私たちはどうするのか? 「最初に抱いた熱意を再び燃え上がらせ、最後の戦いに勝利し、私たちが誓った衆生を救い出すのか?」それとも……「逃げて、すべてが終わるのをただ待つのか?」

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/1/30/489894.html
 
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