万策尽きた難病患者、大法を修め眼前に新たな世界が開く
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2025年3月2日】私は今年91歳です。子供の頃から病気を患い、「薬の子」と呼ばれていました。58歳の時、脳血管性硬化症で早期退職しました。60歳の年に、連れ合いが亡くなり、私は出家して道を修め、出家先で多くの「道友」に出会いました。

 1996年、かつての 「道友 」の家で幸運にも大法を得ました。それ以来、私の病気はすべて消え去り、今に至るまで薬を飲んだことはありません。私は俗世に戻り、自宅で大法を修めました。寺の住職は私を引き留め、私が衣鉢を継ぐことを望んでいました。私は、道を修めても私の病気を解決できない、私は法輪功を修煉することに決めたと言いました。

 1999年、邪悪な中国共産党は大法を迫害し始め、私は北京に行って法輪大法はすばらしいと言ったために、不当に拘束され、その後迫害により路頭に迷いました。ある時、旧正月間際に、私はよその地の大法の同修(元道友)に資料を届けに行きました。その同修夫婦と娘は法輪功を学んでいます。

 彼らの家に着いたとき、奥さんと娘が家にいなかったので、様子がおかしいと感じました。遅かったので、彼の家に泊まることにしました。夜中、大きな悲痛な鳴き声が聞こえたので、上着を羽織って部屋を出ました。男性同修が師父の肖像の前に跪いて、大泣きしていたのでした。どうしたのかと尋ねると、彼は実情を話してくれました。

 嫁いだばかりの娘がガンを患い、地元の病院に入院しているというのです。義理の両親はお金を払えず、諦めていました。彼は妻と一緒に入院中の娘の面倒を見ていました。すぐに、手術代の3万元を用意しようと、村全体を走り回っても、9000元しか借りることができませんでした。手術しなければ、すぐに死んでしまうので、どうしようかと、彼は仕方なく、跪いて師父に助けを求めていたのでした。

 夫妻は娘をとても可愛がっていました。法輪功を学ぶ前、夫婦は不和で離婚しようとしていました。娘の断固とした反対がなければ、この一家はとっくになくなっていました。今、娘はガンになり、治療費もなく、どうやって生きていくのでしょう。私は路頭に迷ってる上、彼らを助ける経済力もありません。

 翌日、私は都心に行って、タクシーに乗り、息子の家に行くつもりでした。当時年末間近で、あちこちで地面が凍結し、帰りの長距離バスも運行を停止していました。「これは師父が私に、ここに残って彼らを助けろと言っておられる」と思いました。そこで私は引き返してまた同修の家に戻り、娘さんが入院している住所を尋ね、タクシーで南陽に向かいました。

 女性同修(奥さん)と娘さんに会い、具体的な状況を尋ねました。娘さんは毎日痛みで食事もとれず、眠ることもできず、父親がお金を借りて手術することを待っているとのことでした。お金を借りる事情を詳しく知ってから、私はその女性同修に「病院の道を進んではダメ、大法の修煉の道を進みましょう」と言いました。すると同修も正念が湧き、「私もそれに賛成。娘と相談してみる」と口にしました。二人が相談しあった結果、娘はすぐに退院を承諾し、大法修煉の道を歩むことを決意しました。

 娘さんの正念が出たとたん、すぐ空腹を感じ、体の痛みもだいぶ軽減されたので、翌日退院の手続きをすることにしました。その夜、娘さんは久しぶりに安眠できました。翌日、男性同修も駆けつけ、一緒に退院の手続きをしました。しかし主治医の同意が得られず、紆余曲折を経て、最終的に院長のサインを得て退院することができました。

 母と娘は帰宅後、学法煉功する静かな環境を確保するため、一時的に村の外に部屋を借りました。二人は毎朝師父に線香をあげて叩頭し、学法と煉功をし、私と男性同修は周辺のことを世話しました。子供の顔色はみるみる良くなり、12日目には完治しました。

 その後男性同修はお金を返しに家々を回りました。この奇跡は村中に大きな衝撃を与え、村人たちは信じられないことだと言いました。

 後日、一家三人が娘の命を救ったのは私だとにお礼を言いに来ました。私はこう返しました。「これは私のおかげではありません。師父があなたたち一家を救ったのです。私の命も師父によって延長されたのです」。

 それから十数年が経ち、娘さんが生んだ女の子も成長しました。若い夫婦は上海で働き、足場を固め、県政府所在地に家まで買いました。

 これはまさに、「万策尽きた難病患者、大法を修め眼前に新たな世界が開く」というものです。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/12/7/485746.html
 
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