探し求める中 振り向くと『轉法輪』があった
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 【明慧日本2025年3月24日】(明慧台湾・高雄記者)『轉法輪』は30年前に発行されて以来、世界五大陸に広まりました。何億もの人々がこの本を読むことで、光と希望を再び見出しました。これは修煉を指導する宝の本であり、生命を本来の場所へと導く天書です。人生の意義の探求、および美しい徳性を磨くことにおいて、この本は肝心な役割を果たしてきました。ここでは、台湾の2人の法輪大法修煉者の体験を紹介します。

 夢で見た文字に出会い、大法の不思議さを目の当たりにする

 庄永泰さんは、法輪大法を修煉して2年余りの新しい学習者です。初めて『轉法輪』を読んだとき、知恵を授けられ悟りを開かせられたように感じ、胸が高鳴ったといいます。というのも、長い間、彼の脳裏に時折浮かんでは消える断片的な画面が、一瞬にして明確になったからです。実は、彼は十数年前に『轉法輪』を読んだことがあり、その時はちらっと見ただけで、本棚にしまい込んでしまいました。幸い、一念が浮かび、再びこの本と巡り会えるチャンスを得ることができました。

'图1:庄永泰初次展读《转法轮》,感觉有如醍醐灌顶。'

『轉法輪』を読んでいる庄永泰さん

 十数年前、庄永泰さんは生命のエネルギーの神秘を探求しようとBKテスト(筋肉・エネルギーテスト)に申し込んだ際、偶然にも法輪功が計り知れないエネルギーを持つ宇宙の大法であることを知り、興味津々で『轉法輪』を購入しました。しかし、当時は妨害が多く、じっくりと学ぶことができず、何年も職場で奮闘し数々の試練を乗り越えた末、ようやく人生について深く考えるようになり、賢者を訪ね答えを求めるうち、長い間棚の奥にしまっておいた『轉法輪』を思い出しました。そこで、彼は本棚の最上段からその本を取り出し、それ以来、本と切れることのない縁が結ばれました。

 いざ『轉法輪』を読み始めると、「これは、長年にわたって脳裏に断片的に浮かんでいた文字ではないか!」と、庄永泰さんは驚きと喜びを同時に感じました。以前は、それがあるメッセージを伝えているように感じつつ、それが何なのかは分かりませんでした。今やその謎は解け、しかも言葉も理も明確です。『轉法輪』を読み終える前に彼は大法を修煉しようと決意したのです。

 修煉を始める前、庄さんは20年近く太極拳を練習していました。普段は弟子を取って拳を教えるほか、時には審判を務めることもありました。「どうすれば心を修めることができるのか? どこに『心法』があるのか?」と、彼は太極拳の書籍を読みつくしても答えが得られませんでした。しかし、『轉法輪』を読んで初めて「大道は至簡」、「人心を真っ直ぐに指す」、および「不二法門」といった道理を知りました。彼は法輪大法に専念すること決意し、長年続けてきた太極拳をきっぱりと手放し、心性を修める道を歩み始めました。

 「今生で大法に巡り合い、『轉法輪』を通読することで、私は人生の真の意味、宇宙の真理を理解しました。これは単なる体系的な科学の新知識ではなく、人に返本帰真を教える宝の本なのです」と庄さんは話しました。

 修煉を始めたばかりの頃、庄さんは常人の心を取り除くどころか、自身が執着に陥ってしまっていることに気づくことすらできていなかったといいます。しかし、学法を始めるとすぐに、『轉法輪』が一面の鏡のように、気づかなかった心の奥深くに潜む雑念や執着を映し出してくれたそうです。庄さんは、「本を読みながら、自分の状態に照らし合わせることで、すぐに執着の根本を見つけることができました。また、感情が揺れ動く度にその瞬間を記録し、自らの執着を見極め、それを手放し、消し去る努力を続けました」と言いました。

 深く学法していくにつれて、彼は『轉法輪』が持つ清らかな泉のような強大な正のエネルギーを感じるようになりました。「『轉法輪』は暗闇を照らす灯のような存在です。迷いに満ちたこの社会の中で、困難な試練を乗り越えていく際、師父がいらっしゃって、法があってこそ、私たちは迷いを脱し、円満成就の彼岸に辿り着くことができると思いました」

 大法を修煉してから、庄さんは何度も大法による不思議さを経験しました。毎年のように「ものもらい」に悩まされていた彼は、内服薬や飲み薬を試しても効果がなく、結局手術で解決することにしました。ある年、「持病」が再発し、二つの大きな腫れものが豆粒のように膨れ上がりました。その頃、彼は数夜連続で、かつての上司と口論する奇妙な夢を見ました。「この夢は何かを示唆しているのか?」と考えた彼は内に向けて探し、自らの「見栄を張る心」、「過度な情への執着」などの常人の心を見つけました。これらの執着を取り除こうと彼が決意した瞬間、腫れものは突然破裂し、跡形もなく消えてしまったのです。

 昨年、庄さんの長男は自転車で走行中にトラックと衝突し、大きな交通事故に遭いました。肝臓と肺の破裂が深刻だったため、医師は緊急の血管塞栓処置を行いましたが、術後に驚きを隠せずにこう話しました。「内臓の損傷がひどかったものの、肋骨は折れておらず、血管の破裂も少なかったです。本当に稀なケースです!」。生死の境をさまよう息子を前に、庄さんは心配や重い情を放下し、息子に『轉法輪』を手渡しながら、辛抱強く法を学び煉功するよう励ましました。

 息子自身も、この命が助かったのは、普段から「法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい!」と心の中で唱えていたおかげだと感じました。そこで、父の勧めに従い、彼は座ったり立ったりして、歯を食いしばって学法と煉功を続けました。すると、煉功を始めたその日に胸腔内の溜まった水がスムーズに排出され、翌日には管を外すことができ、さらに3日目には熱が下がり、自力で歩けるようになったのです。2週間後、息子は無事に退院しました。

 「1人が修煉すれば、家族全員が恩恵を受ける」のように、庄さんの息子は大難を乗り越えたことで法輪大法との縁を結び、師父のご恩と『轉法輪』の神秘的な力を実感しました。一方、50歳を過ぎた庄さんは、かつて太極拳の「心法(心の修煉)」を探し求めたものの、見つけることができずに悩んでいましたが、法輪大法に出会い、真の師を見つけることができ、「今生、私は必ず精進して修煉を続け、誓いを果たし、師父の慈悲なるご済度に報います」と喜んで語りました。

 『轉法輪』を読み、道徳を堅守

 陳怡伶さんは、法輪大法を修煉する家庭で育ち、幼少期から「真・善・忍」の価値観の中で大法の導きを受け、人生のさまざまな試練に立ち向かってきました。「どんな逆境や順境にあっても、法輪大法の主要書籍である『轉法輪』が常に私の中心思想であり、揺るぎない道徳の拠り所でした」

 

'图2:陈怡伶说,师父的专著《转法轮》,永远是我的中心思想,是我坚守不移的道德依归。'

陳怡伶さん

 6歳の時に法輪大法を修煉し始めた陳さんは幼かったため、『轉法輪』の内容を深く理解することができませんでしたが、「本に書かれていることは正しく、その通りに実践するべきだ」と直感的に感じていました。当時、母親はよく彼女を連れて一緒に煉功し、師父の説法録音を聞かせていました。陳さんは内容をよく理解できませんでしたが、説法を聞くとよく熟睡できたといいます。

 中学・高校に進学し、年齢を重ねていくにつれて、陳さんは「真・善・忍」に従って行動することが決して簡単ではないことに気付きました。例えば、彼女はクラスの風紀委員を務めており、規則違反を正直に報告すると、クラスメイトから反感を買うことがあり、しかし、「職責がある以上、適当にごまかすことはできない」とも考えていました。「どのように法理をもとに判断し、どのような心の持ち方をすべきか?」と、陳さんは困惑し悩んでいました。

 また、若さゆえの競争心、仲間からの評価に対する欲求に囚われる中、彼女は困惑に陥ることもありました。「優秀な生徒になれば、皆から認められます。しかし、基準に達していなければ、それは自分の修煉がよくできていないからだ」と、優秀さを追い求める過程で、陳さんは気付かぬうちに競争心、あれこれ計算してこだわり、嫉妬心、顕示心といった執着の罠に陥ってしまいました。

 高校卒業後、陳さんは念願の国立大学の音楽学科に合格しました。しかし、本来ならば情熱に満ちたはずの音楽の道は、彼女にとってますます険しいものとなりました。周りの音楽家庭で育った同級生と比べ家庭による後援がないため、彼女は「音楽業界は本当に厳しすぎるものだ!」と嘆かずにはいられず、大学という万華鏡を前にして、名声と成功を収めることが修煉だと勘違いし、挫折する度に失望感に打ちひしがれました。

 そこで、心を癒そうと、陳さんは現代心理学の本を大量に読み漁りました。しかし、そうした行為が心を癒す助けにならないばかりか、親世代との価値観の隔たりさえ助長してしまいました。彼女が挫折する度に、母親は厳しい口調で「修煉者として、他人の粗捜しをするより、まずは謙虚になって内に向けて探しなさい」と言い聞かせていたからです。そのため、彼女と母親との口論が絶えませんでした。

 実は、母親と口論になる度に、彼女は深い後悔に苛まれていました。「対立している間、どうすれば修煉者の基準に符合することができ、心に抵抗があったとき、どうすればもっと優しく対応できるのかを考え続けていました」と言いました。そこで彼女は『轉法輪』を手に取り、一字一句をじっくり読むことにしました。「法理に照らし合わせることで、私は一部のことを理解し、一部を手放しました。ついに、私はネガティブな感情や観念にとらわれることがなくなったのです!」

 幼少期から青年期にかけて、陳さんの歩んできた道のりは決して平坦ではありませんでした。しかし、試練がやってくる度に、彼女は母親のアドバイスを思い出し、『轉法輪』を再び手に取ることで、道を見失わずに進むことができました。「過去に常人らしい振る舞いをたくさんしてきましたが、私は決してこの法を手放さないし、この修煉の環境から離れることはありません。人生とは、ここでのほんの数日の滞在にすぎず、『返本帰真』こそが根本的な目的なのです」

 現在、陳さんは中学校の臨時教員として働いています。仕事はまだ不安定な状況ですが、彼女は楽観視しています。陳さんは「今、私は毎日『轉法輪』を読んでいます。目先の利益のためではなく、自分の中心となる価値観を確立し、人生の方向性を見定めるためです。そして、私には従える『真・善・忍』という道徳規範があるので、これからはきっとどんどん良くなっていくと信じています!」と話しました。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/3/4/491334.html
 
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