文/劉劲松
【明慧日本2025年4月6日】1980年代から中国で武侠小説がたいへん流行り、それで道教を修める「全真七子」は知られるようになりました。中の一人である郝大通の名前も、中国では誰もが知っているでしょう。ただ、小説で書かれたように郝大通は老婆を誤って殺害したのは事実でなく、実際には彼は高い道徳を持つ高人であったことを史料の記載が示しています。
彼が沃州(現在の河北省趙県)を行脚した際、有名な趙州橋の下で6年間動かずに座禅を組んでいたことがあります。その間、子供たちは彼を叩いたり、いたずらをしたりしても、彼はやり返しをしませんでした。子供たちが彼の頭の上に石を積み上げても彼は動じず、川の水位が上がっても彼は移動せず、溺れることもありませんでした。これは、彼が高い功力を持つ修煉者であることを示しています。
郝大通は当時、全真教の創始者である王重陽に師事し、修行をしていました。王重陽が亡くなった後、彼と6人の同門は別々で行脚の旅に出ました。郝大通は趙州を訪れ、毎日橋の下で目を閉じて静かに坐っていました。ある日、王重陽が少年に化身して現れ、郝大通に華山で洞窟を掘って修行すれば正果を成就できると告げました。
華山の険しい道 |
郝大通は師の命令に従い華山に向かい、北斗坪で3年かけて洞窟を掘って、最終的に出来上がった洞窟を「紫薇洞」と名付けて、そこで修行する準備をしました。掘り進める中で、彼は二人の若者、梅良と竹青を弟子として受け入れました。
二人は郝大通と共に山を開き、洞窟を掘る作業に力を尽くして、郝大通も弟子たちの指導に真剣でした。しかし、紫薇洞が完成したところ、ある年配の道士が現れ、「あなたたちが掘った洞窟は本当に素晴らしいです。私は掘ることができないので、譲って頂けないでしょうか」と懇願しました。郝大通は迷うことなく老道士に譲りました。二人の弟子は心中穏やかではありませんでしたが、師がすでに承諾していたので、諦めるしかありませんでした。
郝大通は二人の弟子を連れて、山の頂に登り、新たな場所でまた洞窟を掘り始めました。
しかし、二つ目の洞窟が完成すると、また別の道士がそれを求めてきました。そのようにして、師弟三人は洞窟を一つ掘って道友に譲り、また一つ掘って道友に譲ることを繰り返し、40年以上の歳月を費やし70の洞窟を掘りましたが、自分たちが修行する場所は最後まで手に入れませんでした。
回心石 |
郝大通は二人の弟子と断崖絶壁のところに行きました。そこは修行の最適な場所で、彼は弟子たちに自分を縄で吊り下げさせ、山の中腹で穴掘りを始めました。修行して仙人になることを目指していた二人の弟子は、40年もの間に穴掘り以外、師父から何も教えてもらえなかったため、何度も修行を止めようと思いましたが、師匠に気づかれるのが怖かったのです。
郝大通を縄で吊り下げた時、「よし、良い機会だ」と思って、二人は縄を切って師匠を山から突き落としまし、二人は急いで荷物をまとめ山を下りました。
ちょうど「千尺幢(せんしゃくとう)」の下の大きな石のそばに着いた時、師匠が向かい側から歩いてくるのを目の当たりにしました。その瞬間、師匠が真の仙人であることを悟り、後悔しきれませんでした。郝大通は二人の弟子の悔い改める心を受け入れ、再び彼らを弟子として迎え入れました。その石は後に「回心石」と呼ばれるようになりました。
ある日、郝大通は二人の弟子を南天門に連れ戻し、再びその崖で洞窟を掘り始めました。作業を続けていると、二人の弟子が通りかかる人を見つけ、「人が来ました」と師匠に伝えました。郝大通はそれを聞き、洞窟の中に座り、目を閉じて入寂しました。その洞窟は最後まで完成せず、「半完成の洞」として知られることになりました。
修行の本質は心を磨くことにあります。法輪功学習者が資料配布やパレード、芸術公演を行うことを理解できない人がいます。実は、乞食しながら行脚することで心を磨くことができ、橋の下に目を閉じて静かに坐ることも、山で洞窟を掘ることも心を磨くことができます。どのような形式であれ、重要なのは、その過程で修行者の心が磨かれることです。
法輪功学習者が行った上記の活動は行脚のようなもので、行う際にトラブルがあったり、学習者同士の摩擦を経験したりして、その中から心を磨くことができます。さらに、そのような活動を通じて多くの人と縁を結ぶことができ、迫害の真実を知らない人や悪意を持つ人を善に導き、救済を得させることができます。