南京市の黄利俊さん 再び不当に拘禁される
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 【明慧日本2025年4月25日】江蘇省南京市溧水区在住の法輪功学習者・黄利俊(黄麗俊)(62)さんは、南京市雨花区裁判所により懲役2年の不当判決を宣告され、2025年3月21日、南通女子刑務所に送致された。

 黄さんは2024年5月16日、江寧区湖熟鎮において他人と会話をしていた際、法輪功迫害の真相を語ったことが原因で通報され、その後、湖熟鎮派出所の警官に連行された。午後には、湖熟派出所の警察が、溧水区永陽鎮派出所及び黄さんの住むエリアを管轄する戴家居委会と共に、黄さんの自宅に押し入り、家宅捜索を行った。

 黄利俊さん(身分証上の名前は「黄小俊」)は、1999年7月に中国共産党が法輪功への迫害を開始して以来、これまでに複数回拘束された経験を有する。2002年には懲役3年の不当判決を言い渡され、南京女子刑務所に拘禁された。その間、第六監獄区、第二監獄区、第五監獄区に収容され、非人道的な虐待を受けた。具体的には、十分に食事を与えられず水道水で空腹をしのがされ、トイレットペーパーも与えられず、鉄のベッドに長時間拘束されて「攻堅組」と呼ばれるチームによって厳しい身体的虐待を受けた。長時間立たされ、睡眠の剥奪、電気警棒による長時間の拷問も受けた。黄さんは迫害に対して絶食で抗議したとして、野蛮な灌食をされた。

 2002年~2005年にかけて南京市女子刑務所に拘禁されていた間、黄さんは複数回にわたり極めて残酷な拷問を受けた。ある時、黄さんは警察官・黄鳳英により他の警察と共に外へ連れ出され、数時間後、看守らに引きずられて戻された。その際、全身傷だらけで瀕死の状態にあり、わずかに息をしているだけで、身動きひとつできない状態で横たわっていたのである。また、別のある日、黄さんは拷問により意識を失った後、警察と看守は死亡したと思い込み、黄さんを雪の上に捨てた。しかし、黄さんは意識を回復し、自力で監室まで這って戻ったという。

 2006年7月から8月にかけて、出所からわずか1年足らずの黄さんは再び警察により連行された。この間に受けた迫害の詳細については、現在調査中である。

 2013年10月23日、黄さんは街頭で高淳区の警察により連行された。その後、家族は黄さんの消息を約2年間にわたり全く知らされず、溧水の警察は毎月1000元(約2万円)を家族から恐喝し続けた。家族は黄さんの安否確認および拘束場所の開示を求めたが、いずれも拒否された。溧水の警察は「高淳の警察が連行した」と責任転嫁をし、高淳の警察は逆に「既に溧水に引き渡した」と説明するばかりで、真相は不明のままであった。2015年8月中旬、家族の強い要求により、ようやく溧水区の「610弁公室」が、黄さんは2014年12月、高淳区裁判所によって懲役3年6カ月の不当判決を下され、すでに南京市女子刑務所に送致されたことを明らかにしたのである。

 明慧ネットの報道によると、2024年の統計では、江蘇省において「真・善・忍」の信念を貫くとの理由で、迫害を受けた法輪功学習者は少なくとも76人に上る。その中の2人は迫害により死亡、あるいは冤罪のまま亡くなり、少なくとも5人が不当判刑を下され、49人が連行、19人が嫌がらせを受け、1人は洗脳班による迫害を受けたとされている。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/4/22/492852.html
 
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