【明慧日本2025年4月30日】(ベルギー=明慧記者・唐容)ベルギーの法輪功学習者(以下、学習者)は4月23日、中国大使館前で26年前の「4.25平和陳情」を記念する集会を行った。1999年4月25日、1万人以上の学習者が北京の国務院信訪弁公室(陳情受付部署)に訪れ、穏やかな陳情を行った。彼らの正義と良知を守り、平和的かつ理性的な陳情、高い道徳的境地と勇気は、世界中の人々から称賛されている。今日まで、「真・善・忍」の理念は世界100以上の国と地域に伝わり、多くの人々に支持されている。
4月23日、中国大使館前で行われた「4.25平和陳情」26年を記念集会 |
「4.25平和陳情」について語るベルギー法輪大法学会会長
ベルギー法輪大法学会の会長ニコ・ビーネンス氏はインタビューの中で、次のように語った。「1999年4月25日、1万人以上の法輪功学習者が自発的に北京の国務院信訪弁公室を訪れ、天津市で不当に連行・拘束された45人の学習者の釈放を求めて、平和的に陳情しました。この平和的で穏やかな陳情は、現代中国の歴史において極めて特別な意味を持っています」
「それは単なる信仰の自由を理性的に表現する市民の行動であるだけでなく、法輪功学習者がいかに平和的かつ理性的な境地にあるかを示すものでした。そしてまた、正義と良知を守ろうとする彼らの道徳的勇気を世界に示したのです」
集会で「4.25平和陳情」について語るベルギー法輪大法学会会長のニコ・ビーネンス氏 |
ビーネンス氏は続けて語った。「『4.25』平和陳情の本質は、誠実で合法的な訴えであり、政府に対して、修煉団体に最も基本的な生存空間と信仰の自由を求めるものでした。彼らには政治的な要求も、過激な行動も一切ありませんでした。学習者たちは静かに立ち、法輪大法の著作を読み、功法を煉り、坐禅をし、整然とその場を後にしました。去る前には、自ら周囲のゴミを片付ける姿も見られました。全体を通じて、騒がしさや対立はまったくなく、その陳情は平和のうちに終了したのです」
「私の見るところ、法輪功学習者たちは自らの行動をもって、中共に対して、そして世界に対して、法輪功の真の内包を示したのです。それは、『真・善・忍』を指導原則とする平和な修煉団体であり、人々に善を勧め、心を穏やかにし、内に向かって心を修め、生命の境地を高める修煉の道なのです」
ビーネンス氏は遺憾の意を示しながら、次のように述べた。「しかし残念ながら、中共は『4.25』を『中南海包囲事件』と一方的に決めつけ、このレッテルを利用して大規模な迫害を正当化しました。しかし、実際にはそれは『包囲』などではなく、『抗議』とさえ呼ぶべきではありませんでした。あれは、合法的かつ平和的に訴える行為に過ぎなかったのです」
同氏はさらに続けた。「私たちも同じく法輪大法を修煉している者として、今日においても『真・善・忍』の法理を守り続け、『4.25』の平和で理性的な姿勢を受け継ぎながら、世界中の人々に中共による26年にわたる迫害の実態を伝え、この迫害を終わらせるために活動しています」
「4.25は信仰に対する最も揺るぎない守護である」
西洋人学習者ウィルフリード・デュシャンさん |
ウィルフリード・デュシャンさんは西洋人の学習者であり、2006年12月6日から法輪功を修煉し始めた。彼はこう話した。「私は日常生活の中で『真・善・忍』の原則に従っています。自分の考えがこれらの原則にそぐわないと気づいた時は、法の要求に従って自分の内に向かって探し、正すようにしています。それに加えて、私は法輪功の主要著作である『轉法輪』を学び続け、それを修煉の原則とし、五式の功法を続けています」
彼はかつて、良い修煉方法をずっと探していたという。初めて煉功場所に行った時、「これこそが自分が探していたものだ」とすぐに感じ、それ以来、法輪功の修煉を日常生活の指導としてきたとのこと。
集会に参加した彼は、「もし私の人生の中で、最も感動し、震撼を受けた瞬間を挙げるとすれば、それは私が『4.25』の平和的な陳情を知った日です。それはまた、『真・善・忍』という信仰の精神について、私が最も深く理解した出来事の一つでもあります」
まずデュシャンさんは、陳情そのものが完全に合法かつ合理的なものであると考えている。「正常な社会であれば、国民が法律に基づいて陳情し、自らの要求を表明することは、最も基本的な人権です。学習者たちはスローガンを叫んだり、横断幕を掲げたりすることもなく、ましてや過激な行動を取ることもありませんでした。ただ静かに秩序を保ちながら道端に立ち、政府の対応を待っていたのです。このような行動は、信仰に対する正当な権利を守るものであり、同時に社会の安定を大切にする姿勢の表れでもあります」と彼は述べた。
しかし、わずか3カ月後に、中共は法輪功に対する全面的な弾圧を開始した。「中南海包囲」、「政権への挑戦」といった言い分は、彼の目にはまったく正当性のない口実にすぎず、中共が迫害を正当化するためにでっち上げたデマと中傷だと映っている。
彼は「この特別な日、私が見たのは政治的な事件ではなく、平凡な人々が心から正義・平和・信仰を守ろうとする姿でした」と話した。
彼は、歴史は必ず真実を明らかにし、善悪には必ず報いがあると信じている。「4.25」で示された理性、揺るがぬ信念、そして慈悲の心は、必ずや歴史に刻まれるでしょう。一方で、嫉妬から始まり、嘘で塗り固められ、暴力によって築かれたこの迫害は、いずれ正義の裁きを受ける日が来ると、彼は確信しているという。
「歴史的意義と精神的な力を深く持つ出来事」
フィリップさんは2002年ごろに初めて法輪功について知り、その頃に「4.25」という歴史的な出来事についても聞いたという。当時、関連資料を見た彼の心は深く揺さぶられた。なぜなら、そこにはスローガンもなければ過激な行動もなく、ただ静かな力でその場に立ち、穏やかさと善意でこの歴史に触れた人々の行動に心を打たれたからである。彼はそれが単なる信仰の訴えにとどまらず、人類の良知への呼びかけであることを強く感じたと話す。
彼は「西洋人として、当時私が最も衝撃を受けたのは、学習者たちが圧力や不公正に直面しても、示したあの静けさ、理性、平和、そして揺るぎない信念です。彼らはただ静かに歩道に立ち、整然としていました。そんな人たちが、ただ一言『法輪大法は素晴らしい』『真・善・忍は素晴らしい』と言うために、そこにいたのです」と語った。
彼は「今日の視点から見ると、『4.25』は決していわゆる『政府への包囲』ではなく、むしろ修煉者たちの内なる平和と真理への揺るぎない追求を際立たせるものでした。情報が厳しく封鎖され、世論が片方寄りの中国において、当時の学習者たちは最も平和的で理性的、かつ合法的な方法で訴えていましたが、それにもかかわらず、中共によって深刻に歪曲され、その後の残酷な弾圧を受けることになったのです」と述べた。
彼は「この出来事は、私の修煉にとても大きな影響を与えました。なぜなら、私はこの隠された真実をもっと多くの人に伝えなければならないという責任感を感じたからです。もし自分が当時中国にいたら、きっと彼らと同じように立ち上がっていたと思います。それは自分のためだけでなく、正義のため、善良のため、他人のためでもあります。私は常に願っています、世界のあらゆる場所で、中国で今もなお信仰を貫いている法輪功学習者と共に立ち、たとえ精神的な支援であっても、共に歩んでいきたいと考えています」と話した。
最後に彼は「正義は必ず邪悪に打ち勝つと信じています。今、目覚めつつある人々がますます増え、ますます多くの国の政府が法輪功を公に支持し、賞賛と褒賞を授与しています。私も、学習者たちの中にあって、20年以上もの長きにわたり正義と信仰の自由を静かに守り抜いてきた、この道徳の力に一つの力を添えたいと願っています」と語った。