故きを温ねて新しきを知る 世界法輪大法デーの意義を再確認
■ 印刷版
 

文/海外の大法弟子

 【明慧日本2025年5月6日】毎年恒例の世界法輪大法デーがまもなくやってきます。同修たちの心は喜びと感謝で満たされています。26年前に明慧ネットが立ち上げた「世界法輪大法デー」のウェブサイトを見ると、時の流れの早さを感じるとともに、この世の中でも多くの変化があったことが思い起こされます。では、世界法輪大法デーの由来とその意義について、私たち修煉者や周囲の人々は本当に理解しているのでしょうか?

5月13日普天同庆世界法轮大法日

5月13日 世界中で世界法輪大法デーを祝う

 「世界法輪大法デー」サイトのホームページを見てみると、2000年にニューヨークで行われた記念パレードの様子が紹介されています。数人の中国人および欧米人の法輪功学習者が、「5月13日 世界中で世界法輪大法デーを祝う」と書かれた中英両語の横断幕を手に持ち、明確なテーマのもとで行進しています。彼らの服装は質素でありながら厳かで品があり、顔や姿勢には喜びがあふれ、通行人に手を振って親しげに交流していました。

 この祝日において、私たちは次のような風景を目にしました。子供たちは公園で出し物を披露したり、大人たちと一緒に功法の実演を行ったりしていました。若者たちは情報ブースを設け、署名活動を行い、パレードや腰に掛ける小さな太鼓を披露するなどで祝賀ムードを盛り上げていました。また、高齢者たちが若者の活気と善意に惹かれ、祝祭イベントに参加する姿もありました。

 あの年は、中国共産党が法輪功への全面的な迫害を始めて2年目にあたる年でした。海外の各国にいる法輪大法の修煉者たちは、この迫害に左右されることなく、むしろ「真・善・忍」がもたらす喜びをより積極的に分かち合い、人間界に「真・善・忍」が訪れたことを祝福していました。

 その年、17の法輪大法佛学会が連名で最初の「法輪大法デー」の共同声明を発表し、その主旨を明確にしました。声明には、「人類全体にとって偉大な記念日を祝うため、世人に大法をさらに理解してもらうため、縁のある人々が早く大法を修煉するようにするため、中国の大法弟子たちが真理を信仰し自由に修煉する正当な権利を一日も早く取り戻せるよう善良な人々の支援を呼びかけるため、私たちは5月13日を『世界法輪大法デー』と定め、全世界の大法弟子および全世界の善良な人々がともに祝えるようにする」と記されています。

 つまり、「真・善・忍」は人類にとっての希望と幸福の源であり、世界法輪大法デーは全人類にとっての偉大な記念日であり、世界中の法輪大法修煉者と善良な人々が共に祝うべき日でもあります。ですから、単なる師父のお誕生日の祝賀や内部の記念行事に矮小化してしまうのは、この日の持つ真の重みを十分に理解していないのです。もちろん、世界に残るわずかな共産党国家、特に中国においては、私たち大法弟子は理性と智慧をもってこの日を平穏に過ごし、中共の崩壊と迫害の終結、そして「法が人間界を正す」時の到来を静かに待ちながら、力を蓄えているのです。

 2003年5月1日には、アメリカの同修が明慧ネットに「世界法輪大法デーの準備活動を通して思ったこと」という題で文章を投稿しました。その中で、「法を学び、大法の良さと迫害の実態を伝える実践の中から、多くの人はすでに真実を理解しましたが、まだ知る機会がなく、深く理解していない人々が多くいるのです。彼らの未来は不透明であり、現在の毎日がおびただしい世人にとっていかに緊迫して重要であるかを認識しています」と交流しました。

 同修は文章の中で、当時考えていた以下のような問題を提出した。

 ・ いかにして、祝日の準備と祝賀の過程を通じて、大法の素晴らしさと迫害の実態をより広く、より細やかに社会の隅々まで届けられるか?

 ・ いかにして、祝日の準備と祝賀の過程を、全世界で真相を全面的に明らかにする一つの構成要素にすることができるか?

 ・ いかにして、大法デーの準備と祝賀活動の中で、より多くの人々と接触することができるか?

 ・ いかにして、大法デーの準備と祝賀活動を通じて、人々に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という事実をしっかりと目にしてもらい、迫害の実態を理解してもらえるようにするか?

 ・ いかにして、大法弟子の歌や舞踊などのパフォーマンスをもっと多くの社会の観衆に、「全世界の大法弟子と全世界の善良な人々が共に喜び祝うために」させることができるか?

 ・ 歌や舞踊の披露(それに祝賀パレード)以外に、人々が実際に「中国国内の修煉者たちが信仰と自由な修煉の正当な権利を一日も早く取り戻す」ことを支持するために、どのような手段や機会を提供できるか?

 二十数年の時を経て振り返ってみると、同修が当時提起したこれらの問いは、今もなお深く考え、重く受け止めるべきものであると感じます。知らず知らずのうちに、きっと多くの新しい学習者が加わり、また多くの古い学習者が苦しみの中で、人々に対するあの最初の慈悲の志を忘れてしまっているのかもしれません。いつの間にか、「法輪大法デーの祝賀」は、誕生日祝いが主となり、祝賀カードでさえも「敬賀」「恭賀」といった言い回しが慣例化しつつあります。まるでこの祝日は他人のものであり、自分自身もどこかよそ者のような感覚に陥りがちです。そうなってしまえば、より多くの人々を迎え入れるなどという話は、もはや遠いものになってしまうのではないでしょうか。このような現象は、祝日に何とも言えない雰囲気を加えているように感じられます。

 中共が法輪功を迫害してから、すでに27年が経ちました。私たちは今もなお修煉の道を歩み続けており、信仰は変わらず、意志はくじけず、人を救う心も変わっていません。そして大法の誠実、慈悲、寛容は、私たちの言動を通して世間に現れています。修煉には確かに時間と過程が必要ですが、過程が重要であるのと同じくらい、その結果もまた重要です。なぜなら、結果こそがその過程の効果を証明するものだからです。私たちが今年自問しなければならないのはこの26年間の中で、どれだけの世人が、私たちの祝賀活動を通して「世界法輪大法デー」という祝日の存在を知ったでしょうか? その偉大な意義を理解したでしょうか?

 常人には「その人の言葉を聞き、その行動を見る」という説があります。私たちは「真・善・忍は素晴らしい」と語り、「法輪大法デーは人類の祝日だ」と言います。人々は、私たちが何を言うかを聞いているだけでなく、どう言うのかを見ており、何をするかだけでなく、どう行動するのかにも注目しています。ですから、私たちが「法輪大法デー」の重大かつ奥深い意義をはっきりと覚えている時、私たちの祝日の準備活動、私たちが祝日の喜びと祝福の声を表現してこそ、この意義を真に人々に伝えて、もっと多くの人々に受け取って、感じて、持ち帰ることができるのです。

 以上は、祝日を迎える前に思ったことです。海外の同修の皆さんと交流し、互いに励まし合えればと思います。

 (修煉者同士の理性的な交流は、通常はその時点における個人の修煉状態での認識であり、善意ある意見交換を通して共に向上することを目的としています)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/5/3/493370.html
 
関連文章