中国伝統物語(孝行編)その九「江革、母を背負って逃亡」
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 【明慧日本2025年5月7日】東漢時代の人物である江革(えかく)は、山東省臨湽の出身です。幼い頃に父を亡くし、母と二人三脚で生きてきました。ちょうどその時戦争が起こり、彼は母親を背中に乗せて逃げることになりました。

 逃亡生活の中で、江革は何度も盗賊に遭遇しました。盗賊たちは彼の所持品を奪うだけでなく、盗賊に加わるよう強要しました。自分が盗賊になったら、年老いた母親を養う者がいないことを理由に、江革は盗賊たちに見逃すようにと切実に懇願しました。盗賊は彼の誠実さと懇願する姿に心を動かされて彼を許し、どの方向に進めば盗賊に遭わないで済むのかをアドバイスする者もいました。また、彼に感動されて自分の母親を思い出し、盗賊を止めて解散に至る者もいました。これは、盗賊になるのは人間の本性ではなく、環境に追い込まれた結果だということを示しています。盗賊たちの善意のおかげで、江革は数回も危険な境地に陥ったものの、最終的に無事に乗り越えられました。これは、親孝行の力がいかに強いか、その影響力がどれほど深いかを物語っています。

 盗賊の乱が収束した後、江革は母親と共に下邳(かひ)、現在の江蘇省睢寧県の北部に移り住みました。彼は力仕事をして母親を養いました。どれだけ収入が少なくても、母親のために最良のものを買って、自分は古びた服と裸足で過ごしました。母親が亡くなった後、江革は深い悲しみに暮れ、夜も喪服を脱がずに寝ていました。彼の行為は近隣の住民と地方の官僚を感動させ、やがて広く世間に知られるようになり、「江巨孝」と称えられました。

 その後、江革は「孝廉」に推薦されました。「孝廉(こうれん)」とは、中国前漢で制定した秀才などと並ぶ郷挙里選(きょうきょりせん)の察挙(さっきょ)科目の一つ。それから、彼はまた「賢良方正(けんりょうほうせい)」として再び推薦され、「五官中郎将」の官職に任命されましたが、しばらくして官を辞して、故郷に戻りました。皇帝は江革の人柄を高く評価し、毎年彼に対して慰問を行い、生涯にわたって給与を提供することを決定しました。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2019/4/30/378380.html