師父に感謝すること
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 文/内モンゴル自治区の大法弟子 去痴

 【明慧日本201217日】ある日煉功していたとき、第二式の功法以外は合掌の動作があることに気付きました。第三、第四式の功法は初めに合掌し、第一式と、第五式は終り頃にあります。合掌は敬慕の念と、師父への感謝の意味がありますが、このように多くの合掌があるのは、師父が私達のために尽くされたことに感謝するだけではなく、大法の無辺の法理の内包と、大法弟子の大法への同化、心性を向上させる必要性、大法修煉を通じて向上する事が含まれていると思います。ですから、師父への感謝の心はただ態度の問題だけではなく、大法に同化し、正念があるかどうか、精進して向上できるかどうかです。これは大法弟子が無条件に行わなければならないことです。

 実際の修煉の中で問題が現れる原因は、師父に対して清浄な恩を感じる心が終始不足しているからです。師父を必要とするときには、師父を思い出して助けを求めます。目的を果たした時には、自分が耐えた結果だと思い、「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)を忘れ、完全に師父の慈悲のおかげだということを忘れてしまいます。ある同修は、歓喜心と顕示心をもって、何度も同修たちに話します。肝心な時に師父を思いだす(師父を思い出すことは正念です)と口では言うのですが、態度は完全に自我を表しています。すでに自分と大法の関係を正しく置くことができず、その結果どうなるかは推測できるでしょうかつて精進していた同修が、長い病魔に迫害され乗り越えられないのはこれも主要な原因の一つです。「もし大法を二の次にして、自分の神通力を最重要視し、あるいは悟りを開いた人は自分の認識こそ正しいと思い、極端な場合は、うぬぼれて自分が大法を超えているとさえ思ったりしたら、その時点で、あなたはすでに堕ち始め、危うくなり、だんだん駄目になっていきます。そうなった時は、修煉が無駄になるので、本当に厄介なことになります。下手をすると堕ちていき、修煉を台なしにしてしまいます」(『転法輪』第六講顕示心理」最近、師父は『心より魔が生ずることに注意を』の中で厳しく指摘されました。「ちょっとした事を行なっただけで、人心を膨らませないでください。大法弟子の進展をリードするのは師父だけです」と、おっしゃいました。

 師父に感謝することは師を信じ、法を信じることの現れです。中国大陸大法弟子の修煉体験交流会の文書を読んで、大法弟子がしっかりと行っていると感じたのは、それらの大法弟子が終始師父に感謝する心と、大法への同化に努めてきたからです。

 今、煉功のとき、合掌を行うたびに、思わず心から師父への感謝の気持ちが沸きあがり、言葉では言い表せないほどの神聖さと喜びを感じます。師父の計り知れない慈悲を感じ、自分が行っていることは、とても不足していると思いました。

 以上は自分がいる次元での悟りです、間違っている所があればご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/1/5/251447.html)     更新日:2012年1月8日
 
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