【明慧日本2012年1月18日】新唐人が中国本土に放送電波を発信してから、多くの中国人が新唐人テレビ局の受信機を取り付け、新唐人テレビを視聴するようになりました。
ある日の午後、隣人が私の家に来たとき、ちょうど新唐人テレビの番組を見ているところでした。それを観て隣人も私の隣に座って一緒に視聴し始め、見れば見るほど番組が好きになり、「共産党についての九つの論評」、ニュース、評論番組、ドキュメンタリー、神伝文化などの番組をずっと見続けて私の家を出ようとしませんでした。隣人の善良の一面が呼び起こされたのでしょうか、「この番組は本当にいいですね、私も見れるように受信機を設定してもらえますか?」と言いました。結局隣人は、その日の夜9時になるまでずっと新唐人の番組に夢中でした。
夜9時過ぎ、同修たちが私の家に一緒に学法に来ました。私たちは、この隣人に新唐人の受信機を設置すべきかについて交流しました。ある同修は、この隣人は迫害当初から地元派出所で法輪功への迫害に加担し、今は退職しましたが、子供たちは引き続き市役所などに勤めているので、もう少し様子を見ようと提案しました。
翌日午後、隣人は昨日と同じように新唐人の番組を見るため私の家に来ました。数時間見てからやっと去りました。このとき、隣人が真相を知り救われるようにさせるため、師父がこのように按配したのではないかと、私と同修たちは初めて気づきました。なぜ新唐人テレビの受信機を設置しないでしょうか? 隣人の一家全員が救われるように調整することが私たちのすべきことです。常人ですら積極的に設置してほしいのに、私たちがそれを拒む理由はありません。
師父は衆生を大切にしており、師父が法を正すことを助ける私たちとしては、師父の欲するものを極力達成するほかありません。同修と交流した結果、ある同修が新唐人の受信機の設置を担当することになりました。三日目、隣人が再び私の家に来てテレビを見ていたとき、私は微笑みながら「明日はあなたにも受信機を設置してあげましょう。お金は要りませんよ」と言いました。それを聞いた隣人は感動して、「お金は支払わねばなりません」と言い、本来は100元の費用に対して、「お疲れ様です」といって200元を渡してきました。お釣りを返そうとしましたが、どうしても受け取ろうとしませんでした。
このことを通して、私たちはさらに師父と法を信じるようになりました。自我と常人の考えを放下して、師父の欲することを満たすことの重要性を認識できました。4日目、同修が隣人のために新唐人の受信機を設置し、すぐに視聴できるようになりました。世の人々は大法弟子による済度を待っています。私たちは決して師父の慈悲を無にせず、自分の使命を全うしていきましょう。