【明慧日本2012年5月27日】黒竜江省伊春市の金山屯区に在住の法輪功修煉者・付桂春さん(40代)は2002年5月、中共(中国共産党)当局の警官に身柄を拘束された。その後、付さんは堕胎を強制された。そして、懲役8年の実刑判決を宣告され、ハルビン女子刑務所に収容された。刑務所で迫害された付さんは糖尿病などの症状が現れ、2009年に釈放されたが、心身共に深い傷を負った付さんは2012年5月1日に亡くなった。
付さんは法輪功修煉者から真相を聞いて、法輪功は佛家の修煉法だと分かった。付さんの兄も修煉者で、付さんに修煉を勧めた。それで、付さんは法輪功を学び始めた。
付さんは以前、婦人病、頚椎病、関節炎などを患っていたが、法輪功を修煉して1週間後に痛みの症状がなくなった。付さんは以前、すぐ怒る短気な性格だったが、法輪功の修煉を通じて心性が向上し、性格も良くなった。付さんの夫は「妻は法輪功を修煉してから、よく『忍』ができるようになったので、法輪功はきっと良い功法に違いない」と話した。
ある日、付さんの夫は酔っ払って人と喧嘩し、相手に鉄の棒で頭を殴られ、負傷して病院に搬送された。付さんは夫の介護の合間に法輪功の書籍を読んでいたので、夫も一緒に少し読んだ。夫は「この本は良い人になることを教える本だね」と言い、そして、自分が喧嘩して「徳」を失ったということが分かり、喧嘩したことをとても後悔した。その後、夫は飲酒の習慣を止め、法輪功の修煉の道に入った。
付さん夫婦の変化を見て、姑もその後、法輪功を修煉し始めた。
しかし、1999年7.20、中共は法輪功への弾圧を開始した。付さん夫婦が同じ豊茂林場に住む法輪功修煉者たちと一緒に、政府に法輪功の真相を伝えるため北京へ行こうとしたが、行く途中で林場の書記に止められ、洗脳班に1週間拘禁された。
2000年、付さん夫婦を含む10人の法輪功修煉者が、北京で「法輪大法は人に善を教えるもの」という横断幕を掲げた。それにより、法輪功修煉者たちは私服警官に身柄を拘束され、地元に送還され、地元の留置場に拘禁され、暴行された。2000年6月8日、付さんの夫は労働教養1年の処分を下された。付さんの家族は警官に500元を渡したため、付さんは釈放された。
2000年12月、付さんは自宅で警官に連行され、1年の労働教養処分を言い渡されて黒竜江省女子麻薬更正労働教養所に移送された。
2002年4月、豊溝派出所の警官4人は付さんの夫を自宅から連行し、拷問した後、4年の実刑刑判決を宣告した。
2002年5月8日、付さんは再び警官に連行され、「鉄の椅子」という拷問を受け、自白を強要された。その3日後、付さんは烏伊嶺留置場に移送された。付さんはしばらく生理がこなかったことに気づき、検査した結果、妊娠したと判明したが、この結果を知った烏伊嶺派出所の警官は、秘密裏に付さんを強制堕胎させることにした。
ある日、金山屯公安局の副局長・董徳林と高玉潔(豊茂林場計画出産弁公室の職員)が付さんに「お前が堕胎しなくても、お前に実刑判決を下すからな。大きいお腹で刑務所で服役するのは苦しいだろう」と脅迫した。
またある日、高玉潔と金山屯公安局の警官は、付さんを伊春市のあるホテルに連れだし堕胎させようとしたが、10時すぎ、豊茂林場の書記・謝永輝が来て、付さんと単独で話をすると言った。2人になった途端、付さんはビンタを食らった。付さんの口から血が流れ、耳も聞こえなくなった。付さんは大声を出し、外に逃げようとしたが、外にいる高玉潔と警官に止められた。その後、付さんは烏伊嶺留置場に戻された。2002年7月、付さんは堕胎を強制された。その2カ月後、懲役8年を言い渡された付さんは、9月21日、ハルビン女子刑務所に収容された。
付さんは刑務所で強制洗脳を受け、法輪功の修煉を放棄するように言われたが、付さんは従わなかった。そのため、付さんはしゃがむ姿勢を夜12時まで強要された。
2003年10月、付さんは強要された奴隷のような労働を拒否したため、1カ月3日間、大きな檻に閉じ込められた。
2004年の旧正月、警官は法輪功への誹謗中傷する言葉を大声で読んでいたので、付さんは警官の行為を制止した。すると、警官は付さんを倒して口を押さえた。その後、付さんは独房に半月間拘禁された。
2005年の夏のある日、付さんは両腕を背中にまわして手錠をかけ、1時間以上吊るし上げられ、意識不明になった。すると、警官は付さんの顔に水をかけ、目が醒めた付さんを再び吊るし上げた。警官はこれを数回繰り返し、付さんを苦しめた。
2005年11月、刑務所に拘禁された法輪功修煉者たちは皆、不当拘禁に抗議する意志を表すため、囚人服を着なかった。そのことで、警官は法輪功修煉者たちを薄着で走らせ、強制的に囚人服を着させて、積雪の中に押し込んだ。付さんは警官の行為を止めたため、警官に殴られた。
刑務所でさまざまな迫害を受け、2007年付さんにひどい糖尿病の症状が現れた。
2009年5月、付さんは釈放された。
帰宅して3年の間、付さんは自分が刑務所で受けた迫害を思い出すだけで恐怖を感じ、身体もなかなか回復できず、2012年5月1日に死亡したという。