【明慧日本2012年6月9日】母は男性を重んじ、女性を軽んじたので、小さい頃から私はお祖母さんの所で育てられました。学校に入る時、私は初めて父と母が住む都市へ戻りました。父と母は仕事から帰ると、いつも私を置き去りにして麻雀に行きました。それで、私はご飯の時しか両親と会えませんでした。人とのコミュニケーションがよくできないため、クラスメートとの付き合いがうまくいかず、家出をしたことも2回ありました。
1人の友達が、16歳までずっと付き合ってくれました。中学校を卒業した後、夫と出会いました。我が家と比べて彼の家は温かくて、私の憧れている生活環境でした。残念ながら数年後、色々な原因で、夫と私は麻薬中毒になってしまいました。かなりの費用をかけて、何回も麻薬を止めようとしましたが、止めてから暫くして、また麻薬を始めました。最後は、自宅さえ売り払いました。夫の母は、私たちの関係で随分苦労しましたが、結局、相次ぐ絶望の末、私たちを見捨ててしまいました。
麻薬を買うために、麻薬の販売にさえ手を染め、様々な悪事をしました。1999年末に、2年間の労働教養を受けた時も、外に出たら思う存分麻薬を吸おうと考えていました。
労働教養を受ける前、留置場で1カ月間を過ごしました。この留置場に、ある法輪功修煉者が留置されました。私は毎日ぼんやりしていたので、法輪功のことを聞いたこともありませんでした。しかし私はここで、法輪功を初めて聞き、彼女が法輪功を諦めないから拘留されたと知りました。しかし当時の私は、「そんなに大したことなのか。止めろと言わされるなら、止めると言えばいいだろう。どうせこの世は、誰もが嘘をつき、騙し騙されるのが当たり前のことだから、無理して真実を言う必要があるだろうか」と理解できませんでした。共産党はなぜ人に嘘をつくように強制しないといけないかと、考えようともしませんでした。そして、彼女の不屈の表情を見ると、尊敬の気持ちが少しありながら、馬鹿々々しいとも思いました。
労働教養所に入ると、私は毎日、法輪功修煉者を随時監視して、彼らに関するあらゆることを警官に報告するよう要求されました。彼らのほとんどは小さくて暗い独房に閉じ込められ、1人につき2人の監視員がつきました。監視員はほとんどが麻薬中毒者でした。法輪功修煉者を転向させるために、彼らが法輪功修煉者を殴ったり、物やお金を奪ったりしても警官は何も言いませんでしたし、転向させられれば、彼らの刑期は減らされます。実は私も、法輪功修煉者をいじめるようにと裏で警官に指示されたり、どのように殴れば外傷が残らないなどと、よく教えられました。どうしても転向しない人がいれば、警官らは自らやります。このすべては、上から要求された転向率に達成するためでした。
昼夜を問わず、私は法輪功修煉者と24時間一緒にいました。警察やメディアから得た法輪功に関する情報は、この数カ月間、ずっと見て聞いてきた事と、自ら感じた事とも全く違うので、私は戸惑いました。
法輪功修煉者のほとんどは年寄りで、私の両親よりも年を取っているため、私は彼らを殴る事ができませんでしたが、決して彼らに対して良くしたわけではありませんでした。耐えられないまで彼らを精神的に苦しめ続ければ、目的に達することができると考え、かなり良くない言葉で彼らを罵り、精神上に彼らを痛めつけました。しかし、私がどんな悪いことをしても、彼らは相変わらず親切にしてくれました。家族があまりお金を持って来てくれないので、私はしばしば生活用品を買えませんでした。この時、法輪功修煉者はいつも、どんな条件も言わず、善意に私を助けてくれました。
中国のことわざで言われるように、長い道を乗ってみればその馬の力がわかり,久しく交際してみればその人の心がわかります。どれほどの圧力があっても、いかなる環境でも、法輪功修煉者から見えたのは「真、善、忍」に基づき、自分に要求する姿でした。逆に、警官から見えたのは、常に手段を選ばず利益のみを求める「偽、悪、暴」ばかりでした。
こうして、私はいじめを止めて、法輪功修煉者たちを尊敬し始めました。いつか、自分も彼らのように崇高な人格を持てればと望みました。ある時期、元々地震局のエンジニアだった六十代の方と一緒でした。彼女は、人間として重んじるべき様々な道理について話してくれました。例えば、道徳と良知を守らないといけないことです。もし守らなければ、人間はどんな悪いことも恐れずやってしまい、因果関係により、非常に怖い結果が待っています。
さらに、彼女は『転法輪』の「論語」を教えてくれました。彼女と一緒にいた時期は長くないけれども、大いに受益しました。時間が経つにつれて、私はだんだん荒っぽい言葉を使わなくなり、振る舞いもきちんとして、善の立場から問題を考えるようになりました。毎日、心が温和と善良に満ち溢れました。損得にこだわらず争いや戦いなどのよくない考えが念頭になければ、心身ともにリラックスし、楽しく感じられると、はじめて分かりました。
私が麻薬を止めた経験を聞くと、「本当に一瞬で止めたのか」と疑い、不思議に思う人がいるかもしれませんが、確かに一瞬のことでした。
以前、私はいつも、出所したら誰々さんから麻薬を貰って吸おうと考えていました。しかしある日突然、麻薬を吸うという考えさえなくなり、麻薬を吸いたくなくなりました。私は普通の健康な人と同じように、麻薬に対して嫌悪感を抱き、まるで一度も麻薬を吸ったことがないかのようでした。もちろん、当時の私は、善念を出して修煉しようと思ったため、師が私の身体を浄化して下さったと分かりませんでした。さらに、麻薬中毒により体内に溜まった毒素と、胃病を含めて生活上の不良習慣により起こった病気は、吐いたり下痢したりして消えてしまいました。このように、お金を全く使うことなく、苦しみもなく、私は麻薬を止めました。自分でさえ非常に不思議なことだと思いました。
その後、労働教養所から出た後、麻薬により知り合った人たちと再び会い、一緒に麻薬を吸いに行こうと何回も誘われましたが、私は1度も行きませんでした。行きたい考えを抑えて行かないのではなく、全く行こうとも思わなかったのです。「麻薬を始めるのは簡単だが、止めるのは一生をかけても難しい」と言うように、それは非常に難しいことだけれども、やはりやめた方がいいと、私はいつも彼らに勧めています。最初、家族のみなは、私が麻薬を止めたと信じられませんでしたが、時間が経つにつれて、法輪大法の不思議さが証明されました。
このことだけではなく、私はよく皆から、まるで別人のように悪い習慣が無くなって礼儀正しくなり、人情と道理もわきまえて、信頼できるようになったと言われます。職場の同僚たちも、私みたいな優しい人には出会ったことがないと言います。実は、このすべては、私が「真・善・忍」に基づいて修煉しているからです。いつでもどこでも、常に修煉者の基準で自分に求め、他人の立場から物事を考えて行い、無私無我の覚者になるよう修めるべきだと師父に教えられたからです。
法輪大法は、香港とマカオを含め、世界100以上の国家と地域に伝えだされ、それぞれの社会に非常によい影響を与え、各国の政府と団体からの褒章、支持議案と書状は3000件を超えています。もし中国大陸に信仰の自由があれば、迫害を恐れることもなく、法輪大法の修煉を始める人はきっと多いでしょう。そして、その中には、私のように、不思議と麻薬を止めて、家族を安心させられる麻薬中毒者も多くいるはずです。それはどんなに良いことでしょうか。
5.13世界法輪大法デーにあたって、全世界の人と一緒に喜び祝いながら、師父の慈悲なる救い済度に感謝して、深くお礼を申し上げます。