浙江省:8年間拘禁された法輪功修煉者 再び不当連行
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 【明慧日本2012年6月14日】浙江省台州市に在住の法輪功修煉者・劉徳喜さん(44歳男性)は先月22日午後、大連市の住宅街で法輪功のチラシを貼っていた際、三十里堡派出所の警官に身柄を拘束され、普湾新区留置場に拘禁された。劉さんはかつて、法輪功を学んでいるという理由で、懲役10年の実刑判決を言い渡され、刑務所に拘禁された。

 劉さんは1998年、大連市で商売していたとき、法輪功修煉者と出会い、法輪功の修煉を勧められて学び始めた。当時の劉さんは気功愛好者で、いろいろな気功を学び大金を払っていた。しかし、法輪功は費用もいらず、法輪功の修煉を通じて、劉さんは心身ともに元気になった。修煉後の劉さんは、怒りっぽい性格が優しくなり、ギャンブルの悪習も捨てた。劉さんは商品を大量に仕入れるとき、 量が多いため、代金が少なく計算されたことが多く、劉さんは気づくと必ず数百元でも、数千元でも絶対にその不足代金を補った。劉さんの変化を見て、家族も次々と修煉の道に入った。

 しかし、1999年7.20、中共(中国共産党)は法輪功への弾圧を開始した。

 1999年11月、劉さん一家3人は法輪功の迫害停止を陳情するため北京へ行った。3人は北京に到着してホテルに泊まったが、ホテルの人に通告され、省公安局北京駐在事務所に2日間拘禁された。その後、劉さん一家は地元に送還され、劉さんは21日間、妻は7日間、留置場に拘禁された。警官は劉さん夫婦に1年以内に台州市を離れないよう要求し、もし離れれば劉さんの家族が支払った3万元を返さないと脅迫した。

 2000年12月、劉さんは北京の天安門広場で法輪功の横断幕を広げた。すると、警官は劉さんを殴り、劉さんの頭を蹴った。その後、地元に送還された劉さんは再び台州留置場に拘禁された。それにより、警官は「夫の行動をよく管理していない」という理由で、劉さんの妻に6カ月の労働教養処分を下した。劉さんは2年6カ月の労働教養処分を宣告された。

 2003年3月、劉さん一家は大連市へ移り、新たな生活を始めようとしたが、地元の警官に大連市まで追いかけられため、一家は余儀なく放浪生活をせざるをえなっかた。

 2004年3月1日夜9時、台州市の椒江区政保科の警官は大連市610弁公室の警官と結托し、劉さん一家のところにやって来た。警官らは「大家の電話番号を教えてほしい」と騙し、劉さんがドアを開けた途端、劉さんの身柄を拘束した。劉さんの妻は、警官を阻止するため3階から飛び降りた。そして、妻は頸椎と骨盤が粉砕骨折してしまい、肺葉も傷ついた。妻が搬送された病院で、医者は「命に危険がある。今後、寝たきりになるだろう。たとえ回復しても、後遺症の障害が残る」と診断した。妻は意識が戻ってからすぐ、ベッドで法輪功の功法を練習した。その3日後、妻はレントゲン撮影後、粉砕骨折が奇跡に治ったと言われ、手術の治療も必要がなくなり、1カ月後には歩けるようになり、2カ月後には完全に回復した。 

 劉さんは連行されて椒江区留置場に拘禁され、警官に8日間連続で尋問を強要された。睡眠を許されなかった劉さんは頭がぼんやりして、警官が捏造した「供述」にサインをしてしまい、それが、後の実刑判決の証拠になってしまった。

 2004年8月12日、劉さんは椒江区裁判所に不当に10年の実刑判決を言い渡されたが、劉さんは上訴した。2005年3月1日、同裁判所は劉さんに対して2回開廷し、前回と同じ判決を下した。劉さんは杭州にある浙江省第2刑務所に収容された。

 刑務所で、警官は劉さんを「転向」させるため、劉さんを動けないよう小さい椅子に座らせたり、棒が折れるまで殴ったりし、法輪功を貶すビデオを見せるなどの手段を使った。

 劉さんは残酷な拷問に耐えられず、本心に背いて「三書」を書いてしまった。2011年11月、劉さんは釈放された。

 劉さんが拘禁されている間、妻と娘は警官からいろいろな嫌がらせや脅迫などを受けていた。

 しかし、やっと家族で団欒ができた劉さんは、2012年5月11日午後、再び警官に連行されたという。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/5/31/258295.html)     更新日:2012年6月15日
 
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