師父からいただいた命
■ 印刷版
 

文/日本人の大法弟子

 【明慧日本2012年6月17日】偉大なる師父、そして同修の皆さんこんにちは。私は日本に住んでいる15歳の大法小弟子です。私は一昨年の7月から修煉を始めました。そのきっかけとなったのは、私に憑いていた憑きものを師父に取っていただいたことです。

 その憑きものは、私が11歳の時から憑いていました。その頃から友達と衝突することが増え、他人の目を見て話ができなくなりました。さらに、私本来の笑顔もなくなりました。しかし、自分の中では衝突した事も他人の目を見られない事も自分の笑顔がなくなった事も、うっすらとした記憶しかなく、記憶の中にはっきりとあるのは、友達の悲しそうな顔や学校の先生に「大丈夫ですか」と心配された事、笑顔が変な私に対して不安そうにしている両親の姿ばかりでした。

 私は12歳の時、近くの中学校を受験しました。受験前は担任の先生からも周りの友達やその親からも、そして親戚や両親からも「絶対合格するね」と言われ、自分自身でも「自分は絶対合格する」と思っていました。しかし、結果は不合格でした。そのとき私は周りの人を恨み、合格した人のことをひどく妬みました。当時、その人たちにどのように接したのか記憶にはありませんが、多分考えられないような事をしていたのではないかと思います。

 13歳になり、地元の中学校に進学した私は、今までよりもっとひどく人に当たるようになりました。さらに、事あるごとに「死にたい」と感じるようになり、自分の部屋に上がっては手首にハサミを当ててみたり、視界に入ったものを切りつけていきました。そのあたりの記憶も曖昧なのですが、はっきりと覚えているのは、切りつけた後の残骸が机の上に散らばっていた事でした。

 14歳の時、母が偶然見た地元の広報紙に、法輪功の講習会のことが掲載されていました。その日、母は法輪功の講習会へ行き、法輪大法の本をもらってきました。私は本の表紙を見た時、表紙の法輪の卍符が回っているように見えました。次の日に、動功の第4功法を見た時は、黒い物質が白く透明な物質に転化しているのが見えました。それらは眼を通して見たもののようにはっきりしていませんでしたが、今までに見たことのないようなものでした。

 その日の夜、地区の協調人が経営している飲食店へ食事に行きました。私は食べる事が好きで、最初はとても楽しみにしていました。しかし、着いてみると突然腹痛が始まり、店内にいるだけでとてもしんどくなりました。食事した後で、母が協調人の同修と話している時もとてもしんどく、早く帰りたいとばかり思っていました。

 それから2日後、私は母と弟と一緒に、近くに住んでいる祖母の家へ行きました。少し経ってから私たちは2日前に行った同修のお店と塾に行くために、祖母の家を出ることにしました。当時、私は塾が大好きで休んだことはありませんでした。しかし、その日だけはどうしても外に出たくありませんでした。母に「今日はお店も塾も行かない」と言うと、私の様子が普段と違うと気づいた母は、私を無理やり車に乗せてお店へ連れて行きました。その途中で私は急に眠たくなり、まだ午後8時過ぎだったにもかかわらず眠りました。私がこんな時間に寝ることはなく、寝方もいつもと違ったので、母は急いで同修のお店へ行きました。その時、母が運転をしながら一生懸命「起きなさい」と言っていた声がうっすら聞こえました。それでも起き上がることはできず、次第に意識がなくなっていきました。

 それから少し経って、私は少しだけ意識を取り戻すことができました。その時、私は車の後部座席で横になっていました。ほんの少しだけ周りの景色が見えました。私は起きようとしましたが起き上がることはできず、さらに何の理由もなく涙がこぼれてきました。すると、私の考えの中に「これは自分の芝居だからこのまま続けよう」という事が浮かんできました。それは本来の私からは想像もできないような考えでした。それから、弟が母に「お姉ちゃんが泣いてるよ」と言った声を境に、再び景色が見えなくなりました。しかし、少しだけ自分の意識がよみがえっていきました。弟の知らせで私が泣きながら寝ている事に気付いた母は、急いでお店にいる同修を呼びに行きました。

 「様子がおかしい」と言う母の話を聞いた同修は、母と2人で抱きかかえるようにして私を店内に入れました。その時、私の意識はお店にいるのではなく、自分の家の玄関に一人でいて、ドアを開けて入っていくと真っ暗で、そこで見えたのはテレビとパソコンと飼っている金魚が水槽の中で死んでいる姿だけでした(家に帰ってみたら金魚は生きていました)。後で母と考えてみると、それは憑きものにとって興味があるものだったのではないかと思います。2人の大人に引っ張られて店に入った時、私は「嫌だ嫌だ」と言っていました。店内に入る途中も言い続けていたのに、店内にいた他のお客さんは気づかないのか、嫌な顔をしていませんでした。後でこれは師父のご加護のおかげだったのだと気づきました。それから、奥の座敷に連れて行かれ、母からの電話で事情を聞いた父が来たところで、同修が私に憑いている憑きものに話しかけはじめました。この時、今までにない量の鼻水と涙が出ていました。話をしているうちに、母と同修は憑きものが幼い女の子であることに気付きました。それから、憑きものに対して話しかける口調が柔らかくなりました。憑きものと話している時、私が話しているのは自分の声よりも高い声で、私は自分の声で自分の言いたい事を言うことができませんでした。

 しばらくそんな状態が続いた後、同修に「あなたはどこから来たの」と尋ねられた時ぐらいから、次第に自分の意識がはっきりしてきました。最後に同修が「師父こんにちはと言ってごらん」と言った時、憑きものは同修と一緒に「師父こんにちは」と言っていました。それから「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と言い、その後、師父が私の体から憑きものを離して下さいました。それから少し経って、私ははっきりと意識を取り戻しました。その時、大量に出ていた鼻水と涙はすっかり出なくなりました。ゆっくり目を開けた後の第一声は「はぁ」という疲れきった溜息でした。まだ少しぼんやりとしている時、家族が私の顔を見て「戻ってきてよかった」と泣いているのが目に入りました。それから、家族は同修と一緒に動功をしました。私はとても疲れていたのでそれを見ていました。

 あれから約1年半たった今年3月、私は中学校を卒業し、3年前は通えなかった学校への進学が決まりました。この約1年半は、大法小弟子としていろいろな事を考えました。もしあの時、師父に憑きものを取って頂かなかったら私は今を生きていなかったはずです。もし生きていなければ、法輪大法にも出会えませんでした。

 これからは、1年半前の出来事を忘れずに、大法小弟子としてますます精進していきます。

 不足ばかりの文章ですが、読んで下さりありがとうございました。ご指摘を宜しくお願いします。

 
    更新日:2012年6月18日
 
関連文章