法輪大法は私を変える(二)
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文/米国の西洋人大法弟子

 【明慧日本2014年9月15日】(前の文へ

 心性を高める

 9カ月ほど前、神韻のチケット販売がセントルイスで始まった時に、私はイリノイ州のある郡でバス運転手を勤めていました。私の仕事は老人や低収入の人達を必要な予約場所に送ることです。これは私のやりたい仕事ではありませんでした。一年前、私はちょうど芸術学院を卒業して、芸術家と芸術の教授になれるよう、一心にこれからの職業生活を準備していました。しかし私の計画とは裏腹に、それを実現することはできませんでした。卒業した後、私はたくさんの仕事を選ぶことができましたが、しかし最後には全てなくなりました。その後、私は申請をどれほど送っても完全に受け取りを拒絶されました。私は再び学校に戻ろうとすら思いましたが、それもできませんでした。私は30歳になって、仕事を探し出すことができず、家に帰って両親と一緒に住むことになりました。望みが全く無いように見えて、私は何をすべきかわかりませんでした。しかし、たとえこのような状況でも、私は自分が修煉者であることを忘れたことはありませんでした。毎回法を学ぶ時、いくつか部分がはっきりと示され、師父の心性を高めることに関しての説法がいつも、私にとても深い印象を残しました。

 「どうして突然こんなに多くの面倒なことが出てくるのだろうか? 彼はまだ悟ろうとしません。この人は根基が良いために、ある次元に到達すると、このような状態が現われました。しかしこれは、どうして修煉者が最終的に圓満成就する時の基準と言えるのでしょうか? もっと高い次元に向けて修煉するには、まだまだ先が遠いのです!」(『転法輪』)

 それからある日、父は私に運転手の仕事を探してくれました。

 私は親しくない人と話をするのが苦手でしたが、この仕事は必ず定期的に知らない人と話をする必要があります。

 ある日、突然私は悟りました。これは師父が私に真相を伝えるよう按排されたのです。ですから、私は苦手を克服して、思案をめぐらして修煉と迫害について話しかけ始めました。多く人に言えば言うほど、私はどんどん簡単に話せるようになりました。私は依然として人と話をするのが苦手ではありますが、彼らは法輪大法を聞くため、それほど長い時間を待っていて、もし私ができるだけ彼らにこの功法を教えないならばまずすぎると、いつも私は考えています。ほとんどの人は法輪大法を聞いたことがなく、迫害についても聞いたことがないと私は気付きました。私が彼らに中国で発生した事を教える時、多くの人は本当にとても驚いていました。またとても心を打たれる人もいます。もちろん、何人かはあまり関心を持たない人もいます。

 しかし、彼らが表面上でどのように反応するかに関わらず、深層で彼らは、彼らに法輪大法を教える私を待っていると私は分かっています。ですから、私は彼らを各所に連れて行く時に、できるだけ彼らに法輪大法を教えています。

 因縁関係

 およそ1年間車を運転して、私はセントルイスの修煉者の一員となり、神韻のチケット販売を手伝い始めました。はじめから、私はすべての乗客と同僚にこの公演を説明しました。残念なことに、大部分の人は興味が無いように見えました。しかし、他の人と異なる一人がいました。

 10月の初めから1カ月ほど、私は定期的にある老人を指定された場所に送るようになりました。

 彼女はジャネットと言い、私の同僚達は彼女がとても悪く、世話が焼けると言いました。彼女は予約する時、いつも鋭い声で叫んで、その上、運転手の小さな事に対して腹を立てました。彼女は全く他人がどう感じるかを考慮せず、いつも自分の思うままに何かを言いました。

 彼女の評判は良くなかったのですが、私との付き合いはまあまあでした。私が初めて彼女に会った時、私は彼女がとてもおかしいと気付き、できるだけ彼女と距離をおいていました。

 しかし、機会があれば、私はジャネットと法輪大法について話をしました。彼女はいつもとても興味があるようでした。彼女は敬虔なキリストの弟子で、その他の(信仰)のものを聞きたくありませんでした。しかし、彼女は私がとても良いと思い、だから彼女は法輪大法に対してよくない印象がありませんでした。彼女に神韻を紹介した時、私の予想に反して、彼女はとても興味を持っていました。彼女はひいては、すぐにその場で私に現金を渡して上の階の切符を買おうとしました。私は彼女に、一人で神韻を鑑賞するのは寂しいので、お金を預けておいて、一緒に見に行く人が見つかったらチケットを買ってもいいですよと言いました。しかし、彼女はすべての知り合いに聞きましたが、時間が合わないか、興味がないかなどの理由で見つかりませんでした。実は、私もどうせ神韻を見に行くなら、自分でチケットを買って彼女と一緒に見に行こうと思いましたが、なかなか言い出せませんでした。なぜかというと、私はまだ彼女がおかしい人だと思い、距離を保ったほうがいいと思ったからです。

 1カ月が過ぎて、彼女は依然として一緒に見に行く人を探し出すことができず、彼女はとても気落ちしていました。私が再び彼女にチケットを買うように手伝う必要があるかと聞くと、彼女はほとんど泣きました。彼女はチケットを買う必要はない、行かないと言いました。あの時、私はとても具合が悪いと感じて、私は彼女が諦めたと分かりました。私は彼女の済度を妨げていました。私が自分の小さな執着を克服することができなかったためです。あの時、私はすでに舞台近くの座席のチケットを買って、私の祖母と社長と一緒に公演を見に行く予定でした。

 考えてみた末、私は自分のお金で彼女に更に高いチケットを買うことに決め、そして、彼女を連れて私と一緒に公演を見に行きます。しかし遅すぎて、彼女は私の話を聞き入れてくれませんでした。私は彼女に、自分の望みを努力して説明しましたが、彼女はもう行きたくない、お金を返すと言い続けました。

 最後まで努力を尽くすため、私は社長にこの情況を説明しました。彼女は手伝ってくれると言ってくれました。社長はジャネットに電話をかけて、彼女の席がもっと良く、彼女は私達と一緒に神韻を見に行くことができると伝えました。私はとても嬉しくて、皆に教えました。ジャネットはチケットを手に入れ、さらに、このような扱いに感謝すると言ってくれました。更に驚いたことに、私の社長はジャネットの高いチケットに切り替えるためのお金を払い、私にチケットの代金について考える必要はないと言いました。

 神韻公演は大変良いものでした。ジャネットはたいへん気に入りで、しかも、とても興奮して、来年また鑑賞したいと言いました。

 私は今も時々、彼女と話をして、彼女を理解した後、彼女がとても良い人だということに気付きました。彼女はとても気前が良くて善良で、ただとても孤独です。

 私は自分の執着を克服でき、ジャネットを連れて私達と一緒に神韻を見ることができたことを嬉しく思っています。

 私の交流はこれで終わりです。皆さんに感謝します。もし誤りがありましたら、どうぞ慈悲にご指摘ください。

 ありがとうございます。

 (完)

 (2014年米国中部法会での発言原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/8/4/295580.html)
 
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