文/洪願
【明慧日本2014年12月25日】本文は作者が自分の状態の中で見たもので、あくまでも同修のご参考まで。法を師としてください。(編集部より)
(前の文へ)
11、「マルチ商法」(自称:直接販売)をやったことのある、あるいは「ねずみ講」(直接販売)の講座を聞いたことのある「同修」は自分を正さない限り経営に関わってはならない
十数年来、たくさんの同修が「マルチ商法」を行いました。国から厳しく規制される状況下で、名を改めて直接販売と呼ぶようにしたのですが、実際は相変わらず「マルチ商法」の理論と形式を使っています。「マルチ商法」について、師父は何回も説法なさったので、大法弟子は絶対に手を付けてはいけません。
「弟子:一部の学習者は学習者の間で、マルチ商法や商品の直売を行なっており、他人の善意の忠告を聞き入れられません。」[1]
「師父:学習者の間で法を正すことと関係ないことを広めている人は大法弟子を妨害しており、法を正す形勢を破壊しているのです! 魔よりも罪が重いのです。旧勢力の言い方を借りれば、魔よりも熱心にやっています! これは本当の意味での破壊です。以前話したことがありますが、誰が大法弟子の修煉形式を破壊することができるのでしょうか? 外的要素は今回の迫害を経て、破壊できたのでしょうか? 大法弟子を鍛え成熟させただけで、ふるい落とされたのは砂です。誰が本当にこの修煉団体を破壊することができるのでしょうか? 誰がこの大法を破壊することができるのでしょうか? 誰にもできず、実践でこれが証明されたのです。私は話したことがありますが、こういうことであり、妨害されたのは執着のある人で、法を破壊することはできません。悪い作用を果たしえるのは内部の人だけです。このようなことを行なっている人は大法弟子ではなく、どんなに長く修煉しても、そういう人を大法弟子として見てはいけません。」[1]
師父はますます厳しく説かれるようになっていますが、未だに悟らない同修がいます。これから私が見た状況を話します。
マルチ商法の形式は、宇宙に根源をもつ、一種の邪悪な魔であり、将来それらは法を正す時に淘汰されます。マルチ商法をやる人のすべては、その邪霊に操られています。「ねずみ講」やその販売経験を伝えるということは、つまりマルチ商法そのものを広めているので、「ねずみ講」について何かを聞いたら、邪霊が体に付いてしまいます。これは偽気功を練らなくても、その講義を聞けば身に付いてしまうのと同じ事です。「ねずみ講」を聞いたことはないが、その経営理念に一理あると思っても、同様に邪霊を招くことになります。それは他の法門の個別の言い方に一理があると思うのと同じ事です。ある商品はアメリカのブランドで、品質がとてもよく、このマルチ商法は中国政府に許されていると言う人がいますが、これでもだめです。マルチ商法の販売形式であれば、少しだけでもそれを認めたら、邪霊を招いてしまいます。
この邪霊は普通の低い次元の霊、動物の憑き物と違って、もっと恐ろしく、直接人体を狙います。常人が一旦マルチ商法をやれば、考えと体が全部その邪霊に操られ、人が変わります。そしてその人が最初に害を与える人は一番親しい親戚と友人です。邪霊は学習者の体をもっと欲しがるので、一旦マルチ商法を使って儲けたら、邪霊はもっと離れなくなります。あなたが邪霊に借りを作ったからです! マルチ商法をやった、あるいはネズミ講の事を聞いた同修は、皆さん気づかれたように、人が変わって、病業が多くなり、しかも何らかの方法を考え、マルチ商法を保護しようとします。「私がやっているのは『直接販売』であり、あなたの言うマルチ商法とは違う」等など、ぺらぺらとたくさんの道理を話していますが、それはまさにその同修が邪霊にしっかり操られているという現われです。学習者の中でマルチ商法を広めたり、その商品を販売したり、あるいは同修をネズミ講のセミナーに連れて行き、またマルチ商法で成功した販売方法を、経営を行っている同修に勉強させる同修がいますが、このような撹乱行為はどれほど厳重なのでしょうか? 上記の師父が説かれた法を暗記して、その撹乱行為の厳重さをしっかりと心得てください。
マルチ商法を行った多くの同修は、私が見た限り、遅かれ早かれ、病業の苦しみに陥ることになるはずで、いくら同修が正念を発して手伝っても効果がなく、その中にはすでに亡くなった人もいます。その人が悟って戻ってくるようにと、師父が慈悲に阻み、延長させ、機会を与えていなければ、両目を失明してしまう同修もいます。
このような同修が、もしまだ修煉したいのであれば、自分の思想を徹底的に一掃し本当に反省して、自分がマルチ商法を伝えて損害を与えた同修に謝り、補えば挽回できます。しかし自分が誤りである事を分かっていても補わなければ、それは反省ではありません。
マルチ商法に手を付けた同修は、大体もともと話し上手で、世話好きです。このような同修が自らを正さなければ、絶対にその同修は経営に関わってはいけません。徹底的に自らを正せれば関わっても大丈夫ですかと聞く人がいますが、本当に正せれば、その邪霊の影響から浮かび上がることができます。しかし、徹底的に自らを改め、補ったのでしょうか? 本人がたくさん法を勉強しても、彼女たちがそれらに染まったのは、つまり法を勉強しても心の中に入っていないからです。
12、すでに修煉を放棄した人、邪に悟った人、他の法門に転入した「以前の同修」は、同修の経営に参与してはならない
実はこのような「以前の同修」でも、師父の法身は、彼らが亡くなるまで、あるいは法を正す時期の修煉が終わるまで彼らから離れず、ずっとそばにいて下さいます。ただ弟子を守るように保護しようにもできないだけです。もし彼らが亡くなる前に目を覚まし、来世再び大法を修煉すると誓えば、彼らが地獄で罪を返した後、師父はまた彼らを救い上げ、来世に転生させ、大法の修煉機会を作って下さいます。大法の修煉を放棄したことも、誓約に背くことになるので、彼らが修煉して成就できていない部分は非常に悲惨な結果になり、それも当初、神の誓約の中で決まったことです。彼らを救うため、師父はずっと諦めておられず、機会があれば悟って戻ってくるようまたお告げをくださるのです。このような佛の洪恩は大法にしかありません。
邪に悟った者や他の法門に行ってしまった者は、全て魔に身体を操られているので、修煉を放棄したのは、魔の妨害に陥っているからです。このような「以前の同修」に対して、彼らに真相を伝えることで、心のしこりを解かし、そして法を勉強してもらい、だんだん連れ戻すことができます。しかし、徹底的に修煉を正す前に、その同修の人間の一面がどんなに話し上手でも、経営に参加してはいけません。同修の経営は法を実証する道を歩んでいるのに、彼らは妨害となりやすいからです。
以上、法理上の交流は個人の所見に過ぎず、行き届かないところは訂正をお願いします。中の所見は、この空間での確認を経ているので、現実の教訓と一致します。それらの教訓は全部悲惨で厳重な損失ですので、十分、後進の同修に目を覚まさせることができます。
法が心に入るように勉強することができ、法に基づいて行い、大法を基準として量ることができれば、誓いと使命を裏切らずに、経営の道でさらによく歩むことができます。
(完)
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/12/14/147300.html)