学習者間の「線香販売」から修煉の厳粛性を論じる
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文/中国の大法弟子 明亮

 【明慧日本2017年1月20日】数日前、ある年配の同修学法に来た時、学習者が「線香」を売買する問題に言及し、どうすれば師父の法に合致できるかについて私と交流したいと言いました。地区の学習者の間で「線香」を販売する問題について、私の個人的な考え方を述べさせて頂きたいと思います。もし不適切な所があれば、同修達からの慈悲なるご指摘をお願いします。

 粗筋はこうでした。最近ある地元の年配の学習者が線香を買いに行った時、ある学習者が開いている線香の専門店に入りました。ここの線香の値段は普通の店より高く、理由としては、100%天然素材を使用しているとのことでした。話によると、線香の生産工場は北方のある町にあり、それは学習者が出資して、一部の学習者が生産をしている工場だそうです。この年配の学習者は線香を買って帰り、焚き、座禅した時、師父の法身が線香に「無私無我」の四文字を加持されたのを見たそうです。それから、この年配の学習者は学習者の間で宣伝し始め、それにより、周辺の学習者は皆その店に線香を買いに行き、さらに、数人の年配の学習者は高値(600元)で漬けて水を飲むためのセラミックボールと翡翠のアクセサリーも買い、一時大変な大騒ぎになりました。

 交流に来た学習者は他の学習者に数パックの線香を買って来ましたが、しかし、考えれば考えるほど、「この事は法に則っていないのではないか」と不安になり、相談に来ました。それを聞いた私もとても警戒しました。これは明らかに問題であって、表面から見ても問題だと思いました。地元の学習者に責任を持つという意味で、私は少し調査を行いました。この会社は2015年8月に北京工商行政管理局に登録したもので、登記資本金は5千万元となっています。会社が成立してからの2年間、全国各地で開催された佛教のイベントに7、8回も参加しているとメディアは報道していますが、実際の参加回数はもっと多いのではないかと推測しています。その後、同修と一緒に直接この専門店に行きました。店はある寺院の近くにあり、その通りの両側に線香、蝋燭、神棚を販売し、或いは遺影を描くような様々な店が立ち並び、スモッグが漂い、陰気な雰囲気でした。学習者が経営するこの店は線香を販売する以外、翡翠や瑪瑙などのアクセサリー、また現代風の子供の磁器の人形なども売っています。店主と長く話をし、彼女から店を経営する初志について話をしてもらいました。無添加の天然素材の良質の線香を販売することによって、この業界を正しい方向へと導いて行きたいとのことでした。

 家に帰った後に、私は繰り返して法に則って悟り、以下のいつくかの問題を書き出して、同修と切磋琢磨したいと思いました。

 一、線香を上げる事は師父に対して敬意を払うことで、修煉に取って代わるものではない

 修煉とは人の心を修め、執着心を取り除くことだと、師父はとても明確に説かれており、学習者に線香を上げたり、拝んだりするように要求しておられません。真に修めていれば、師父の法身は学習者を管理してくださるのです。もちろん、線香を上げることについて、師父は駄目だともおっしゃっていません。それなら、上げたければ上げて結構ですが、私自身も師父のお写真に線香を上げていますし、しかし世の中で最も良い線香を上げても、師父の弟子と衆生に対する浩蕩たる御恩に報いることはできないと思っています。

 師父が説かれた法から、「法を正す期間の大法弟子としては、師父がおっしゃった大法に基づいて行い、真に師と法を信じることで、真に師と法を敬うことだ」と私は悟っています。もし、われわれ大法弟子は旧宇宙の生命の変異した考え方を持って師父と大法を理解して、根本的に真善忍の大法に同化しなければ、師父が求められた三つの事をしっかり行えなければ、いくら線香を上げても、それは大法と師父を敬わない事に変りありません。

 二、学習者の中でいかなる商品を販売しても、全体の修煉の妨害になる

 弟子:一部の学習者は学習者の間で、マルチ商法や商品の直売を行なっており、他人の善意の忠告を聞き入れられません。

 師父:学習者の間で法を正すことと関係ないことを広めている人は大法弟子を妨害しており、法を正す形勢を破壊しているのです! 魔よりも罪が重いのです。旧勢力の言い方を借りれば、魔よりも熱心にやっています! これは本当の意味での破壊です [1]

 師父はこの問題に対してとてもはっきりと、しかもとても厳粛に述べられました。個人的な理解では、今のような強欲な社会環境の中で利益を求める心は修煉者が取り除くべき大きな執着心となります。修煉の中で、金銭的な問題は最も人の執着心を引き起こしやすいもので、修煉以外のいかなるものも修煉の中に持ち込むべきではないと私は理解しています。まして、学習者をマーケットにし、その中で商品を販売する行為は学習者の修煉に対する妨害となるに違いありません。

 学習者の中で線香を販売する問題について、一昨年、深センの学習者が明慧ネットに投稿した文章の中でも、すでに指摘しました。文章の中に、「昨年の年末に、私の地域では、地方から来た同修が線香を販売することがありました。地方の同修は線香の生産工場を持ち、作った線香が純木材のもので、いかに質が良いかを話し、地元の同修の間で販売しました。1箱、2箱を買う人もいれば、8箱、10箱を買う人もいました」と書かれていました。文章はあまり目立たず、多くの同修は見ていなかったか、或いは重視しなかったかもしれませんが、今年、我の地区では、学習者の内部で線香を販売することが起き、しかも広がる勢いがあり、私達は注意しなければなりません。

 三、やじ馬現象は一部の学習者の人心を反映している

 学習者の中で商品を販売するのは正しくないのですが、それなら、騒ぎ立て、販売を助長し、煽られて購入する人にも問題があると思いました。線香、翡翠のアクセサリー、漬けて水を飲むためのセラミックボールを買った学習者と交流した時、彼女たちも人心を動じたと認めていました。私達の地域では、一部の学習者は、師父に線香をたくさん上げ、たくさん拝んでいますが、しかし、真相を伝える事を積極的に行わなければ、トラブルに遭った時、真剣に内に向けて探さなければ、心を修めなければ、真に向上することは難しいのです。

 一部の学習者は迫害が以前ほど酷くなくなり、修煉環境が緩やかになったのを見て、安逸を求める心が生じました。それは確かに、毎日線香を上げ、お茶を飲んで、新唐人のテレビ番組を見て、自由自在で気楽です。しかし、外に出かけて真相を伝え、人を救うことはどんなに大変でしょうか。くどくどと忠告し、時には人の顔色を見て、通報される危険性もまだまだあるのです。『西遊記』の中の三蔵法師は安逸で優雅な生活を求める心があったため、経典を求める途中で木の精霊や花の妖怪達が詩や絵のような境地に変化して、その仮相で彼を惑わせました。しかし、三蔵法師は道を求める心が固く、その関門を突破しました。もし私達は重い人心を取り除かなければ、同じように内部或いは外部からの妨害に遭遇します。ですので、必ず法を師にして、「事事対照し、做すところ到るは是れ修なり」[2]をやり遂げなければなりません。

 師父が,何度となく繰り返して、巨大な圧力に耐えられ、私達に法を正す修煉の時間を延長してくださったのは、決して私たちに安逸な生活をさせるためではありません。それは私たちに時間を無駄にせず着実に修めさせ、多くの真相を伝えさせ、多くの人を救わせるためです。従って、私達は法を正す修煉の様々な方面において、真剣に、厳粛に、漏れることなく、圓満し、遺憾を残さないようにしなければなりません。世間の人々に大法のこの上ない神聖さと素晴らしさを見せなければなりません。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「着実に修める」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/1/12/340704.html)
 
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