求める心を放下する
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文/中国の大法弟子

  【明慧日本2016年12月26日】2012年私が住んでいた都市では前後して、数人の同修が強制的に連行されました。当時、私たちは弁護士を招いて同修のために弁護すると同時に、この機会に現地の弁護士と公安局、検察庁、裁判所の人員に真相を伝えるべきだと悟りました。この過程において、私たちはずっと内に向けて探し、恐怖心を取り除き、全体で協力し合いました。当時、迫害の真相資料を配布する人、真相の印刷された資料を外で貼る人、人に直接真相を伝えるなどみな良く行いました。私たちはひいては同修を救出するという執着心さえ放下しました。ただ弁護士には法廷で、「法輪功は法律を犯していない」というような話をしてもらいたかったのですが、実際は、願いと異なりました。1人目の同修は開廷の前に脳出血の症状が現れ、病気のための一時出所後、1週間治療を受けてからこの世を去りました。また、それら裁判所の人員は2人目の同修に対して、慌てて開廷し弁護士にも通知せずに、判決をくだしました。3人目の同修の案件は弁護士の話によると、一歩譲ったとしても、それら裁判所の人員は判決を下せない。なぜなら、警官らが家宅捜査しても、数冊の大法書籍しか発見されていないからだと言います。しかし、それら裁判所の人員は、やはり弁護士にも通知せず、これもまた、密かに開廷し判決をくだしました。

 師父は「以前既に話しましたが、実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです」[2]と説かれました。この数年間、私はずっとうちに向けて探し、私達のどこが間違っているのかを探しました。一度、同修と交流したところ、彼は、当時、多くの同僚と親友に、弁護士が法輪功学習者のために弁護するから、彼らに傍聴するよう要請し、彼らに真相をはっきりと知ってもらおうとしたと言いました。私は、これは非常に強い人心であると気づきました。法の中で、私たちが大法弟子であれば、法を実証すべきであり、もし私達が真相を伝えることを常人の弁護士に託し、自分達が真相をはっきり伝えず常人に真相を伝えてもらうなら、旧勢力は邪魔しないわけがないと思いました。

 修煉の向上に伴い、私は少しずつ非常に察知しにくい執着心に気づきました。それは他でもなく結果を求める心でした。私たちは往々にしてトラブルに遭ったら内に向けて探すと言いますが、潜在的にこの問題を解決しようとする考え方を持っています。しかし、1人の大法弟子として無条件にすべての機会を利用して、自分を正すべきです。

 例えば、同修を救援する際に終始一つの心が存在します。自分が法の要求通りに行えば報われる(ここでは、同修を救出できる)ことを望むということでした。非常に低い求める心ですが、師父は何回も「求めずに自ずから得る」[3]と説かれました。しかし、多くの場合、私にはまだ出来ていなかったのです。

 迫害されている同修には、内に向けて探し自分のたくさんの不足を見つけ出し、決心してその心を取り除いてもらおうとしましたが、やはり判決をくだされました。同修に考えてほしいのです。私達は内に向けて探すのに、何か目的を持っていないでしょうか。迫害から免れたい心はないでしょうか。解放されたい心はないでしょうか。これらはすべて「求める心」です。師父は「捕まえられたら、帰ることを考えたこともありません。ここに来たからには私は法を実証します」[4]と説かれました。どこでも法を実証することができます。この点を比較すると、私達の心は少しまだ足りないのではないでしょうか。

 同修に病業が現れると一部の同修はその同修を手伝って執着を探し、一部の同修は手伝って発正念し、また一部の同修は自分に同じ方面で問題がないか深くまで掘り下げ探します。病業中の同修の中には、非常に精進している人もいれば、内に向けて探す人、煉功をやり続ける人、薬を飲まずに頑張る人、また一部の人は、自分の力の及ぶ限り法を実証する仕事を行います。また、一部の人はやはり難から突破する時間が非常に長くかかり、ひいてはこの世を去りました。最終的にどこに問題があったのか、誰も分かりません。

 この数年間、師父はずっと私たちに宇宙はどれほど大きいか、いろんな要素がいかに複雑か、各種の因縁関係が如何に複雑か、どんな誓約を結んだのか、どんな願いを立てたのかを開示してくださいましたが、私たちはどのくらい理解できたでしょうか。私達のこれほど限られた考え方に従って、按排できるものでしょうか。「做して求めざれば」[5]と、良し悪しは師父に判断して頂き、無条件で師を信じ大法を信じる、私達今日の真に修煉する大法弟子は、このような境地に到達すべきではないでしょうか! 私は旧勢力が各層で消滅された原因の一つが、他でもなく、ずっと求めていたことだと悟りました。「爾も要る彼も要る」[6]でした。

 以上は僅かな見解であり、同修らの慈悲なるご指摘を願います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」
 [5] 李洪志師父の詩:『洪吟』「道の中」
 [6] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「好く看たまえ」 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/12/18/339086.html)
 
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