平手打ちと一枚のドアから法輪功を知り修煉を始めた
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年11月25日】私が大法の修煉を始めたのは、平手打ちと一枚のドアにかかわる物語を聞いたことがきっかけです。

 2002年のことでした。勤め先の工場にならず者がいて、見た目も怖そうでどんな悪事でも働き、周りの人は皆彼を避けて、目をつけられることを恐れていました。ある日同僚と彼について話しました。誰も彼に注意することが出来ず、話しかけることすら、はばかっていました。しかしそういう彼でさえZさんのことは恐れています。ある日このならず者は、年老いた職人のことが気に入らず足蹴にしました。その職人は殴られても何も言えませんでした。しかし、ちょうどこのことを目にしたZさんは、彼を平手打ちにし、大声で彼を怒鳴りつけました。そのならず者は何も言えませんでした。

 私はZさんに会った時、このことに言及したところ、彼は「これは修煉する前のことでした。大法は殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないように要求しています。もしそのころに私が修煉していたら、こんなことは絶対しませんでした。ついでにもう一つの出来事もお話しましょう。あるおばさんがいました。そのおばさんは賃上げのことで不満を感じ、いきなり私のオフィスに入り、理由も言わずに私に平手打ちをしました。説明を聞いた後、誤解だとわかり謝ってきましたが、法輪大法の修煉者だから大丈夫だと言いました」と笑って言いました。

 このことを聞いて、私はテレビでいくらデマを宣伝しても法輪大法の修煉は正しいと思いました。ある日私はZさんの机の上にあるA4サイズの写真のコピーを見て、写っている人が誰か尋ねたところ、迫害されて殺された地元の修煉者だと答えました。それを聞いて私は驚き、彼の状況を心配しました。Zさんは法輪功が迫害される前に、修煉者達が体育館で学法煉功をしていたことを、感慨深げに話しました。当時各煉功点からたくさんの修煉者が集まりましたが、室外のトイレは一カ所しかなく、とても不潔でした。しかし修煉者は汚くても気にせず壁や床を綺麗に掃除しました。Zさんはそのトイレのドアが壊れていたので、自宅のベランダのドアを外し、取り付けました。

 このことを聞いて、私はとても感動しました。法輪功修煉者は皆良い人になろうとしており、これはまさに私が憧れていたことでした。自分も見習いたいと思い、Zさんに『轉法輪』を貸してもらいました。

 関を乗り越える

 家に帰った後、心を静めて『轉法輪』を通読しました。心が綺麗に洗われたように感じ、法輪功は本当に素晴らしいと感じました。

 家では時間をみつけて学法していましたが、夫に「お前はとても危険なことをやっている。勤め先のある人が大法を学んだ後、法輪功の資料を印刷したせいで仕事を失い離婚して会社から解雇され刑務所に入れられた。お前は法輪功を学んだら自分をだめにする上、この家庭をも壊すことになる。この本を読まないでいてくれるか?」と言われました。夫と一晩話し合いましたが、彼が一生懸命頼むのを見て、もう読まないと答えました。私は本をテープで密封した後、箱に入れてしまいました。その晩、私は夢を見ました。夢のなかで自分の名前「鮮」の文字を間違えて「険」(訳者注:中国語では同じ発音)と書いてしまいました。

 その後、元通り普通に暮らしていましたが、まさに師父が「あなたはもうこの本を手放すことができなくなっているでしょう。一生涯離れられなくなるでしょう」[1]と説かれたように、私は心のなかで自分が密封した『轉法輪』のことがずっと気になっていました。ある日、この素晴らしい大法を諦めることは出来ない、学びたいと決心し、急いで箱から本を取り出し、テープを剥がしました。本を開いて真っ先に目にした言葉は「修煉の門に入った人の多くは、喜んで修煉を続けていこうとするものです」[2]でした。この言葉を見て、涙が出ました。師父は一番私のことをわかってくださり、師父に感謝しました。

 夫は私が再び『轉法輪』を読み始めたのを見て、何回かやめるよう説得しましたが、私の固い決意を感じ、ひっそり抵抗し始めました。私に対する態度が冷たくなり、子供の面倒も見なくなり、家事も手伝わなくなりました。私が作った食事を食べてから茶碗を置いてネットカフェに行くようになりました。私は毎晩家のことを片付け子供を寝かせた後、法を書き写していました。最初は心が清浄でないため、一行書くのに何回も間違えてしまい、書きながら夫の帰りを待っていました。22時過ぎに帰って来たこともあり、もっと遅く帰ってくることもありました。ドアを開ける音を聞いて、慌ててペンを置きました。時間が経つにつれ、法理上の認識が高まりました。夫の態度を見て、もし神様ならどのように対処するのかと何度も自分に問いかけ、私はやはり耐えることにしました。

 しかし最終的に些細なことで夫への不満が爆発しました。口論の中で夫は私が修煉していることを義理の父に伝えました。義理の父はまた私の父に伝え、父が電話をかけてきました。父は激怒した様子で、電話の中で私が修煉するのを絶対止めさせると言い、我が家にやってきました。初めは修煉をやめるよう優しく説得していたのですが、私が黙っているのを見て大声で怒鳴り始めました。それでも私が動じないのを見て悲しくなって目の前に跪いて「この通りだ。もう修煉をやめてくれ。仕事も家庭も失いその上刑務所に入れられたらお前の一生が台無しになってしまう」と言いました。父がこのように悲しんでいるのを見て、どうすればいいのかわからず、私も父の前で土下座しました。しかし父が私をいくら説得しても私は黙って何も言いませんでした。それを見て父は私を殴り始めましたが、私はそのままじっと耐えていました。それを見て父は更に激怒し激しく殴り始めました。夫が父をとめているうちに私は家を飛び出し、同修の家に向かいました。夫は心配してついてきました。マンションを出た時に父の「帰ってきたら懲らしめてやる!」という声が聞こえました。同修の家に着き、私は大泣きして、良い解決方法を教えてほしかったのですが、同修はとりあえず一度言うとおりにするよう勧めてきました。これは私が望む答えではありませんでした。

 帰る途中、夫と一言も会話せず心の中で、戻ったらまた先程のような激しい罵倒や暴力が待っているかもしれない、もし今回の最初の関門も乗り越えられなかったら、2回目の関門はもっと難しくなるので、何としても耐えぬくしかないと思いました。おそらくこの一念が自分のいる次元の法理にかなったのかもしれません。父は私たちが帰ってきたのを見て何事もないように挨拶して帰りました。父が帰った後、私は大法の書籍が全て消えている事に気づき、父に電話して尋ねたところ、全てゴミ箱に捨てたと言われました。それを聞いて私はゴミ捨て場に走り、一生懸命探しても見つからず、周りのゴミ捨て場を全て探しても見つかりませんでした。その夜は辛くてどのように過ごしたのかすら覚えていません。翌日の朝早く、近所の廃品回収所に問い合わせてみましたが、やはり見つかりませんでした。父親に尋ねようと思い実家に帰ると、父は寝ていました。私は偶然ベランダで大法の本を見つけました。その時の気持ちは悲喜こもごもでした。父が業を作らなくてよかったと思いました。私はちょっとでも手を放すとどこかに飛んで行ってしまうかもしれないと『轉法輪』を胸にしっかり抱きしめ、走って持って帰りました。

 その後、家族はもちろんのこと、特に夫は私の修煉をやめさせるため、両家の親の前で離婚を切り出しました。最初、私は自分が修煉者であり、お金や財産などに執着せず、子供以外全て渡しても良いと言いましたが、夫はそれを聞いて私が離婚に同意したと思い、ひどく怒りました。その後また離婚をしようと言われた時に、私は大法は人により良い人になるように教えており、私は悪いことを何もしていない、大法弟子も国民としての権利を持っているので、このような不平等な扱いを受け入れるわけにはいかないと思い、夫に「離婚しても構わないですが、この家のすべての物の所有権の半分は私にあります。テレビや洗濯機など、これらの物を持って行きたければ全て半分に切って私に残してください」と伝えました。夫はそれを聞いて笑いました。そしてこの事件はとうとう雲散霧消しました。

 私は仕事、家庭、夫、そして子供に対して常に心をこめて一生懸命尽くしています。義理の父と母、夫の兄弟たちにも優しく接して、義理の父と母にも親孝行をし、お金や物など全て自分の親より多く与えています。大法を修煉し始めてから、彼らは私に多くの圧力を加えましたが、私は大法の要求に従い以前よりさらに優しく接しています。こうして家庭の中の魔難も少しずつ鎮まっていきました。

 転機

 常に勤倹を旨として家事を切り回している義理の父と母は一度に8千元も出して、孫の為に勉強用のパソコンの購入費用だと言って、夫に渡しました。実はそうではなく、本当は夫を家にいさせて、ネットカフェに入り浸らないようにさせるためでした。

 実家の父と母も私の結婚生活を安定させるため、弟が結婚する時に新居を購入せず、私のために家を購入する一部の費用を負担すると言い出しました。当時私は家を購入するために家族からお金を借りることは絶対しない、好意で言ってくれたとは言え、私の貯金はわずか1万5千元しかないので、無理だと思いました。

 しかし、結果は私の予想より大きく外れました。今住んでいる古い家は売らなくて済み、夫と2人の積み立て金を出し、家族がローンの頭金を用意してくれて、12万元の現金を用意するだけで130平米の家を購入した上、家の内装も立派なものに仕上げることができました。今でもこのことを思い出すと不思議に感じています。修煉者は執着心がなく正念が強ければ、師父は何でもおできになられますし、どんなことでも実現できると感じています。師父に深く感謝します。

 古い家を貸して得た家賃は新しい家のローンに充てています。隣近所の家賃は毎年4、5千元しかありませんが、私の家の借家人は年に8千500元の家賃を払ってもいいですと自ら言ってくれました。また、この古い家を売る時もさらに不思議なことがありました。この家は外からちょっと押すだけで倒れそうになるとよく人に冗談で言われるほどボロボロで、8万、9万元と値を付けて売り出しても買い手が現れないかも知れないと思いましたが、どうしても14万元で購入したい人が現れたので、売りました。これは全て大法を修煉して得られた福です。私は彼らに真相を伝え三退をしてもらいました。

 真相を伝える

 新居の内装工事を行った時は一番多く真相を伝え、三退を勧める効果も一番良い時期でした。時間を見つけたら、内装の建材屋さんに足を運びました。携帯で真相を伝えるショートメールを送りながら、各店を一軒ずつ建材の値段を尋ね、法輪功の真相を伝えていきました。時には3人ないし5人の店員が私を囲んで真相を聞いてくれ、一度に三退しました。毎回たくさんの三退者の名簿を持って帰っています。バスを待っている間も、バスに乗っている時やタクシーに乗っている時も真相を伝え、チラシ配りの人にも法輪功の真相を伝えました。出会う人には話す機会があれば、すべて伝えました。

 家の内装工事の職人たちにはなおさら法輪功の真相を伝え、三退を勧めるチャンスを逃すわけにはいかないと思いましたので、壁の仕上げ工事の職人、照明などを取り付けてくれた人、家具を配達してくれた人、床貼りの職人などなど家に入ってくる人に全て三退してもらいました。時には夫に察知されて、大声で私を外に呼び出し、「どうしてよそのものが家に来てもこんな話をするの? 話してはダメ!」と真相を伝えるのを止めさせようとしました。「安心して大丈夫だから」と笑って答え、その後は彼に気付かれないよう、彼のいない部屋で真相を伝え続けました。ある日、内装のクリーニング工事に4人の女性スタッフを雇ってガラスの掃除してもらいました。夫は一歩も外に出ず離れようとしませんでしたので、私は焦りました。

 掃除が終わり、あるスタッフが家のトイレを使いたいと言いました、ちょうど当時家の内部の建具は取り付けていなかったので、当然のことに夫をそとに追い出してから、4人のスタッフに真相を伝え、三退してもらいました。

 12年間修煉し、法を書き写すことは最もよい向上の効果を感じています。今まで師父のすべての著書を3回書き写しました。この過程の中でさらに師父と大法を信じ、多くの執着や共産党がつくった党文化の邪悪の要素を取り除くことができました。最初のころは行書(訳注:書体の一種で少し崩し書きの漢字の書き方)で書いていましたが、一筆一画丁寧に書くことは法に対する敬意を表すと同修に注意されました。今は楷書(訳注:書体の一種で点画をくずさずに書く、最も標準的な漢字の書体)で丁寧に書き、座る姿勢もきちんと正して書くようにしています。師父に線香をさし上げる時も、顔をきれいに洗い、髪の毛もきちんとセットして、服もきちんと着てから行うようにしています。一度も怠ったことはありません。

 数日前に法を書き写した時、師父はこのように説かれました。「常人のことに対して喜ばしく感じるとかのことはありませんが、学習者が体験交流しているのを聞いたり、または見たりすることは私にとって最も喜ばしいことです」[3]。ここまで書いたときに涙が出てきました。自分も師父に喜ばれることをしたいと思い、初めて修煉交流文章を書きました。

 師父に感謝致します!

 同修のみなさんに感謝致します!

注:
 [1] 李洪志先生の著作:『ヒューストン法会での説法』
 [2] 李洪志先生の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志先生の著作:『米国中部法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/10/30/318130.html )
 
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