師父とともに過ごした懐かしい日々(一)
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文/中国・大連の大法弟子

 【明慧日本2015年12月20日】

 一、師父の大連での初回講習会

 1994年3月27日、師父が初めて大連で講習会を開かれました。この日は私の生涯で最も重要で大切な一日となりました。

 今回の講習会は大連外国語大学の小ホールで行われました。私たち家族は早めに着いたので、ドアが開いていませんでした。入口で『法輪功』の本が販売されていたので、一冊購入し、そのまま階段に座り読み始めました。この本は何の本なのかめくってみると、内容は全て今まで聞いたことのない内容で、奥深いものだと思いました。私はドアが開いて家族に呼ばれるまで、一時間近く夢中で読んでいました。

 大連で比較的有名な気功師Aさんが、私の前に来て「私は法輪功を学びに来たわけではなく、様子を見に来ただけです。大気功師が大連に来たら、必ず本物かどうかを見に来るのです。もし偽物だったら、私はその人を嘲(あざけ)る言葉を紙に書いて渡します」と言いました。

 師父が講壇の上に上がられた時、とても風格があり洗練されていて、風貌が良く、背が高く若い青年に見え、声も大きくよく通っていました。親しみがあり、威厳もありました。見る人に思わず尊敬の念を抱かせ、自然と神妙な心持ちになりました。師父の説法を聞いているうちに心が高揚し、胸にしみて深く心を打ちました。そのうち涙が出てきて、どうしても抑えられませんでした。こんな歳になってからは、人前で涙を見せたことがなく、今日はいったいどうしたのか、あまりにも涙が出るので恥ずかしくなりました。

 途中で気功師Aさんを覗いたら、彼女はずっと姿勢を崩ず、正座していました。中休みの時、彼女が来て「気功を習うなら、他の気功を考えないで、この法輪功を習らった方がいい。私には見えましたが、李先生の功は本当に凄いものです! あの光が本当に功法を教えるビデオの映像と同じく、周りの四方八方に放たれ、レーザー光線のように非常に強い勢いで発射されていました」と話し、師父に対する呼び方も呼び捨てではなくなり、生意気な彼女がかなり衝撃を受けたと、はっきりと感じました。

 その後、師父にお会いしたいと、何度も頼まれました。初めて講習会に参加した新しい学習者の私に、気功師Aさんが頼むのには訳があります。講習会の一日目が終わり家に帰った後、私はずっと興奮して涙を抑えきれず、すぐに師父のところに行きたい一心で、一晩中、車で師父の泊まられるところを探していましたが、見つかりませんでした。二日目の講義中でもずっと涙が止まらなく、師父のそばにいたい気持ちがどうしても抑えられませんでした。中休みの時、師父がステージの横にある小さい部屋に入られたのを見たので、必死になって断りもなく部屋に入りました、入った途端、師父は「運転手が仕事をこなせないので、その車に乗ることはできない」と言われているのを聞いて、私はすぐに「先生、私の車にお乗り下さい」と言うと、師父は私を見るなり、「この方の車なら大丈夫です、そうしましょう」と言われました。気功協会の李教授が私の知り合いですので、「大連の運転手が、皆大気功師の為に運転したがっています、私は4台の車をご用意できます」と言うと、「では彼女の車にしましょうか」と少し困ったご様子でした。幸いなことに、私はこのような機会を手に入れました。

 私たちは師父に随行して星海公園へ行った時に、Aさんはタクシーで後を付けてきました。公園の中で彼女はずっと自分の功能を吹聴していました。師父は「このような人は、自分のものをどうしても放下できない人です。だから済度し難いですね」と言われました。海辺の石に座られ、落ちた木の枝を拾われて、地面に「功能は本より小術 大法こそ是れ根本」[1]と書かれた後、法を説かれ始めました。私はその時に遠く離れた海面は、鏡のように静かでしたが、近くの海面では波が荒く激しくなっているという、普段見られない光景に気付きました。「今日、私は、あなた一人だけに説法をしているのではなく、天上および海の生命も皆、これを聞いています」と言われました。

 数回の講義しか受けていないので、師父のお話をよく理解できませんでした。しかし、それを私は信じています、師父が言われた全ての事は、すべて本当だと信じていました。私は師父のことを信じていました! 

 数日後、気功師Aさんは私たちを自宅に招きました。部屋に入った途端、彼女はすぐに額縁に納められた一枚の絵を見せてくれました。その絵には一頭の金色の龍が水面に出てきて、仙女がその龍のひげを引いている様子が生き生きと描かれていました。彼女は「これは公園に行った日、私は海辺で龍王様が海面に出て来られたのを自分の目で見た光景です。大連市のある有名な画家を家に招き、自分の見た光景を言葉で伝え描いてもらいました。私が見たのとそっくりです。あの龍王様と仙女は李先生がお呼びになったのか、それとも私が呼び出しのかが分からないのですが」と言ったのを聞いて、「あなたが呼び出したのではなく、その日海辺にいた時、天上と海の生命が皆来て、李先生が説かれたことを聞いている」と反論しました。Aさんが言ったことは間違っていますが、その絵は確かに、当時の情景がそのまま描かれていました。

 講習会の4日目、師父と10数名の学習者が我が家に来て、皆一緒に師父の功法を教えるビデオを見ていました。ビデオの中で、師父は黄色い服を着て、芝生に座られていましたが、「今私が何の上に座っているのか、見てご覧」と言われたので、ある学習者はすぐに「蓮華座の上です」と大声で答えました。他の学習者も皆見えましたが、私ひとり見えなかったので、自分の目が駄目だと落ち込んでいました。師父は「見えないですか? ではちょっとそれを動かしましょう、そうするとはっきりと見えます」と言われると、私は見えるようになり、師父が本当に蓮華座の上に座られており、蓮華座も一層だけではなく、花びらもわずかに揺れ動いていました。本当に不思議でした! それを見て、皆が喜び、小躍(こおど)りしました。

 師父はお皿にあるトマトを手に取られ、両手を上からちょっとかぶせられてから「誰かこれを食べてみてください」と言われ、私はすぐに「まだ食べないで、これを取って置きたいのですが」と言い、そのトマトをテレビの上に置いてから、普通のトマトと比較したいので、もう一個のトマトをその隣に置きました。突然、ある学習者が「見て、トマトが光を放ち、その光の中に小さい佛様がいるよ!」と大きな声で言いました。今回、私も師父が触られたトマトの頂部から、一束の翡翠のような緑の光を放ち、その光は天井まで達し、光の中に本当に小さい佛様が居られるのが見えました。トマトだけではなく、テレビや壁まで同じ緑の眩しい光を放っていました。それを見て、皆が嬉しくなって顔がほころびました。

 その晩向こう側の壁全体とテレビは、まだ緑の光を放ち、師父が触られたトマトから放たれた光が、まだ強く輝いて見えました。もう一個のトマトは柔らかくなった為、他のトマトと入れ替えました、4個取り替えても師父が触られたトマトは、依然として新鮮さを保ったままでした。17日目になった時に、トマトが痛むのを心配し、子供に食べさせました。あとから考えてみると、私の悟性がまだまだ良くないと思いました。

 皆の前で師父は、この宇宙は既に「真・善・忍」の特性からずれていて、危険に直面していて、将来地球にも問題が現れ、その時、大連市が残されるかどうか、まだ未定だと教えてくださり、それを聞いた学習者は皆残して欲しいと、師父にお願いしました。師父は「残すなら、まずは大連市の水の問題を解決しなければならない」と言われました。確かに、当時の大連市は、長年水不足の問題に悩まされていて、断水することがよくありました。師父が大連市の水不足の問題を解決すると、言われてから現在まで12年経ちましたが、大連市では断水したことはなく、これは偶然なことでしょうか?

 講習会の6日目、李教授が師父を大連市の市内観光に案内しました。彼は2台のカメラと4本のフィルムを用意し、他に何人かを連れて来て、師父と一緒に記念撮影をしようとしました。しかし、観光中私は師父が気功師のAさんを含めて李教授が連れて来た人たちと一緒に写真を撮りたくないと、思われていると感じました。「師父が嫌がっておられるのだから、おそらく写らないはずだ」と内心思いました。最後に師父は私たち4人の学習者を呼ばれ、2回一緒に撮影をされました。

 写真の現像ができたので、取りに来るようにと李教授から電話があり、行きました。部屋に入った途端、彼はたくさんのフィルムを抱えながら、「おかしなことが起きました、私は写真館にフィルムの現像を依頼に行った時、1台のカメラの中のフィルムが消えたと気付きました」と言うので、私は「ご家族の方がカメラを触ったのではありませんか?」と言ったら、彼は「絶対ありえない。そのカメラはずっと手放したことはありません。他のフィルムも全部現像を頼んだのですが、露出オーバーになり、この2枚だけ現像できましたよ」。私がそれを手に取って見ると、正に師父が私たちを呼ばれて撮った写真でした。李教授は「これでやっと分かりました、李先生は本当に佛様なのですね!」。教授の口からこのような話を聞いた時に、私は当時非常に心の中で驚きました。

 家に戻った後、私は細かく写真を見直し、一枚の写真に2頭の龍、もう一枚の写真に1本の剣と剣の鞘が写っていました。その後、私は師父に写真を届けに行き、この2枚しか写真現像ができなかったことを伝えてから、その2枚の写真に龍と剣が見えることを師父に確認をしました。師父は「大連市が2つの海に囲まれていて、2頭の龍王は私が大連に来てからずっと護法し、この剣は私のこの上ない威力を備える宇宙剣です」と教えて下さいました。

 数年後、夢の中で師父は、魔を滅する為にその剣を貸して下さったことがあり、本当にこの上ない威力を発揮しました。その剣を握って、何回か振っただけで、数万に及ぶ魔が一瞬にして消滅してしまいました。

 ある日、孫さん夫婦と一緒に師父にお会いしに行った時、孫さんは長年心臓病を患って、入退院を繰り返し、4回も病状が重篤に陥ったことがあります。調子が悪い時には、横になることさえできずに、枕を抱いて座ったままで寝っていたと言います。師父は両手をテーブルのしたに置かれてから、左手でテーブルを支えられ、右手でテーブルを回してから両手を合わせられた後、部屋を出られました。私は孫さん夫婦に師父が、体を調整して下さったと教えました。間もなく、師父が戻って来られてから微笑みながら「もう心配しなくていい、すっかり治り、病がなくなり、これからはしっかり修煉しなさい」と言われました。その日から孫さんは修煉し始め、20年間初志貫徹し、学法煉功を怠ったことはありません。その心臓病もとっくに消えていました。

 4月1日師父と共に大連市開発区に行って、食事する時に師父は私に「メガネをかけていますね、近視ですか?」と聞かれました。「はい、そうです」と答えると、師父は「今前に飾ってあるその絵が、はっきり見えますか?」と尋ねられたので、「はっきり見えません」と答えました。師父は手で私の背中を下から上へ3回撫でて下さってから「今度はどうですか?」と聞かれ、「前よりは良くなりましたが、まだはっきりと見えません」と答えました。師父は「もうメガネを外して良い」と教えてくださったのですが、「もうメガネに慣れてしまっているので、かけないと違和感を感じます」と言いますと、師父は「それなら度がついていないメガネにして」と言われました。

 この一言一言の会話を聞いて、隣いた劉さんが、当時、私が悟性があまりにも悪いので、険しい顔をして、厳しい目差しで私をにらんでいました。それを見て、私ははっと悟りました。これは師父が目を調整して下さったのに、そのように答えることは師父が目を調整されたことを拒否したことに等しいのだと、やっと悟りました。例えて言えば、電気が送られてきたのにスイッチをつけなければ、照明が明るくならないのと同じことです。私は悟ってから、すぐに「見えました」と訂正しました。

 日本に出張した時に、私は本当に度がないきれいなメガネを買いました。しかし、それから目の調子が良くなくて、メガネをかけるとめまいを感じ、メガネを外すと見えなくなり、かけてもかけなくても目の調子が悪く、このような状態が1年も続きました。ある日、私はソファで本を読んでいて、メガネを外してからソファに置いたまま席を立ち、戻ってきた時に忘れてメガネの上に座ってしまい、パカという音が聞こえて、メガネが二つに折れてしまいました。今度こそメガネを外さなければならないと師父が悟らせてくださっているとやっと気づきました。ちょうど師父の質疑応答の部分の経文を勉強していて、ある学習者はメガネをかけることについて質問し、師父はメガネをかけることも業力の現れだと回答されました。どうして分からなかったのでしょうか、自分の悟性が悪すぎると思い、直ぐメガネをごみ箱に捨てました。その後、私はお客さんに迎いに駅に行きました。駅の高台に立って遠いところを眺めていると、自分の目の調子が良くなったことに気付きました。遠いところにある広告の看板に書かれた電話番号まで、はっきりと見えるようになり、私は他の事を忘れてしまい、お客さんを探すことも忘れてしまい、ずっとそのまま眺めていたところ、お客さんに肩をたたかれて、やっと我に返ったのです。           

 ある日、師父が泊まられた宿泊所へ行きました。係員がドアを開けた瞬間、テレビのスイッチが付き、画像が現れたので、係員がとても驚きました。私もけげんな面持ちで振り返って師父を見たら、師父は笑いながら「私が部屋に入ってくると、いつもこうなります」と言われました。

 今回大連の講習会に一人特別な人物が来ました。講習会の1日目、ある半身不随の女性がご主人に背負われてやって来ました。入口の警備を担当する学習者が、師父が講習会を開く目的は法を伝える為であり、病気治療はしないので入場を拒みましたが、ちょうど師父が入口に来られ、「入れてあげてください」とおっしゃられ、講習会の授業が始まる前に、師父が会場の中でちょっと体を調整して上げただけで、彼女はすぐに動けるようになりました。講習会の最後の授業が終わった時に、彼女は講壇の上に上がって、師父に命を救われた御恩を感謝し、跪いて頭を下げ師父にお礼をしました。それを見て会場にいる全ての学習者が感激しました。

 他の気功師が人の病気を治す時に、その場では治りましたが数日後、患者がまた倒れ、病気が再発することはよくあります。私たちはそれを「現場効果」と呼んでいます。その為、私たちは病状の確認に彼女の家を訪ねました。

 彼女は5階に住んでいて、下の階に住んでいる近所の人が彼女は今公園に出かけた為、不在だと教えてくれました。そして、彼女は毎日階段を上り下りし、公園で体を鍛え、完全に治ったと言いました。私たちはそれを聞いて、答えが分かり、彼女の帰りを待つ必要もないと思いました。師父は本当に凄い力をおもちで、他の気功師とは比べることもできないと感じました。

 今回の講習会が終了する前、師父は体験文章を書くよう学習者に要求されました。私は感謝の涙が紙に落ちて汚れたので、何回も何回も書き直しましたが、最後の出した文章の紙にもやはり一滴の涙が落ちてしまいました。その時私は次のように書きました。「数十年生きてきて、自分が何を求めているのかが、今までよく分かりませんでした。名誉を求める為だと思いましたが、小さい官職についた後に、それが自分の欲しいものではないと気付きました。お金を求めているのだと思いましたが、ある程度のお金を手に入れてからは、これも自分の欲しいものではないと気付きました。自分は何を探し求めているのかも分からないまま、躊躇していました。9日間大法の講習会に参加してから、人生の中で追い求めている目標がはっきりと見つかり、師父は私の人生観、世界観を全て変えて下さいました」。これは正に、私の心の底からの真の言葉なのです。

 講習会が終わった後、師父とともに錦州へ行きました。錦州の旅で師父が見せて下さったさまざまな奇跡は、私たち学習者にとって、大いに見識を広げることになりました。

(続)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/2/318460.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/11/20/153745.html)
 
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